皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

羽生領総鎮守 小松神社①

2018-03-08 20:49:27 | 神社と歴史

国道122号バイパス下岩瀬交差点を右に折れ、武州中島紺屋の手前、やや奥まったところに鎮守の杜が隠れています。社記によれば景行天皇の御代、日本武尊が東征の途中この地に陣を敷き、小さな祠を建立し、伊邪那岐命、伊邪那美命を祀ったことに由来します。秩父三社同様、神話の世界のお話です。
 時代は下り、神亀三年(726)東征に向かう藤原宇合、高橋安麻呂が戦勝祈願し参拝したとも伝えられます。更に天慶三年(940)平将門の乱に際し、平貞盛はこの地で祈願し、将門鎮圧後、奉賽として社殿を再興している。また承安年間(1171~75)小松内府平重盛は熊野白山権現を勧請します。平重盛はあの平清盛の嫡男で武勇に優れていながら、温厚な人物とされている。浄土往生を願う平重盛ので本地仏に阿弥陀如来を祀っている。重盛の死後、重臣の筑後守貞能は出家し小松寺を造営している。その重盛の遺骨を熊野白山両権現のそばに埋葬し、目印として銀杏の木を植えた。

その脇に小松大明神が建立された。

よって鳥居をくぐって正面の本殿が熊野神社白山神社の合殿、銀杏の木の脇が小松神社の本殿とされている。
また小松と称するところは羽生のほかにも下総、加賀、出羽の国にもあり、それぞれ小松寺が建立され、小松内府の霊を慰めるべく造営されている。

重盛の遺骨が眠るとされる銀杏の木。季節が廻れば、青々とした葉が広がり、かつて落雷によって傷んだとは思えないほどの立派な木だ。新編武蔵風土記稿にも巨木が描かれているという。その昔お乳の出の悪い女がこの木に祈願すると不思議と治ったという。乳銀杏の伝説は全国各地にあるらしい。銀杏の葉の形に由来するという。時代が下っても乳銀杏の信仰は続き、神職が乳銀杏の小枝ともち米をふかして寒さらしにしたものを授与していたという。銀杏は煎じて食後に服用し、もち米の寒さらしは粥に入れて食べるとよいとされた。
 小松といふ地名ももとは「駒津」が転じてなったとされ、かつて船運交通の要所であったことがうかがえる。

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三寒四温、早春の日に生まれた君へ

2018-03-08 16:24:37 | 生活
弥生三月に入り日差しに溢れた暖かな日が続いたと思うと、寒の戻りで冷たい雨が降りだす日になりました。三寒四温とは良く言ったもので、少しずつ時節が進む日本の気候を端的に表した言葉のように思います。「一歩進んで二歩下がる」という歌もありましたが、「七転び八起き」と言うように物事の進歩も、人の成長も、壁を乗り越えつつ、少しずつ前に進むことが大切だと思います。
梅の花が咲き始めました。桜よりひとつき早く、寒さに耐えるように慎ましく咲き誇る様が好きです。
おかげさまで、長女が十二歳を迎えました。写真は弟のほうですが。本当に早いもので、干支も一回りしてしまいました。
時計も干支も十二で一回りして数えます。もう一回りした時に側にいるとは限りません。
これまで心やさしい、正直で思いやりのある子に育ってくれたと思います。
回りに流されず、自分の道を一歩ずつ歩いてほしいと願っています。
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験担ぎと神頼み

2018-03-08 14:56:06 | 生活
寒の戻りで冷たい雨となりました。仕事でも人不足から中々上手くいかず、悩む日々が続いています。上手くやるより、懸命にやる、結果は後の産物だと自分に言い聞かせていますが、心が沈むと浮かび上がるのに時間もかかります。こういう時の神頼み。験担ぎで、小松神社に参拝しました。
願うことではなく、苦しくも今日を生きていることの感謝のつもりで。
「験を担ぐ」と言いますが、江戸時代に粋な言い回しとして「縁起を担ぐ」の「えんぎ」を今でいう業界用語的に「ぎえんを担ぐ」と言ったところ、縮めて「験担ぎ」となったようです。ぎえんもさることながら、担ぐという言い回しが江戸期間の祭の神輿のようで、好きな言葉の一つです。
三寒四温の梅の花が過ぎれば、必ず今年も美しい桜の季節が待っています。
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