南紀白浜の地名の由来となった美しい砂浜の広がる白良浜海岸。そこにはこんな逸話が残っています
昔は白良浜の周りにたくさんの田んぼがありました。村には彦左といふ百姓が住んでいて、たいそうな働き者として知られていました。そんな彦左は村一番の角力取りとしても知られていました。
そのころ白良の浜には甲羅法師(かっぱ)が住んでいてこどもの足を引っ張たり、夜な夜な陸に上がっては畑の大根を抜くなど悪さをしていました。
ある夏の夕刻、西の海に赤い夕日が沈み、薄暗くなったころ、仕事を終えて帰ろうとしたさ彦左は「ひこざ、ひこざ」と浜辺で自分の名を呼ばれます。「おーい」と返事を返すと海の中から丘へ上がって来るものがいます。そう、甲羅法師でした。悪さをする河童を懲らしめようと彦左は「良いところで出会った。一つ力自慢に角力をとろう」と申し出ます。甲羅法師も腕に自信があり「よし、角力をとろう」と答えます。
二人は組み合うと力自慢の彦左は甲羅法師(河童)を浜に投げつけました。ひっくり返った甲羅法師は頭から血を流し、「もう悪さはしない命だけは助けてくれ」と涙を流して謝りました。
彦左は「命を助けてやるがこれからは二度と陸に上がることはするな」と甲羅法師に約束させます。そして「万が一白浜の砂が黒くなり、沖の四そう島に松が生えるようなことがあれば陸に上がってもよい」と諭します。
そののち甲羅法師は陸に上がろうと白良浜に墨を塗りましたが波に洗われて消えてしまいます。また四双島に松を植えますが波に流されて消えてなくなります。
こうして甲羅法師は丘へ上がることはなくなったといいます。
悪さをした河童がただ海に帰るのではなく、希望を持たせつつかなわない儚さを伝える味のある逸話となっています。
鬼、天狗と並んで河童にまつわる伝説逸話も数多いようです。妖怪であるが川と童が相まって河童の語源となったようにどことなく、悪さをするも大人に諭される印象が強いように思います。
九州には河童伝説が多く、壇ノ浦に敗れた平家はちりじりになって九州へ逃れたものの、追っ手に討たれて死んでいった後、その霊魂は河童となり、九州各地で田畑を荒すなど悪戯を働いたと伝わります。
敗れた者の悲しい伝説と言えるでしょう。