皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

久喜市 江面 久伊豆神社

2019-06-08 22:32:45 | 神社と歴史

 

久伊豆神社は埼玉県元荒川流域を中心に分布する神社で平安末期の武士団武蔵七党の野与党、私市党の勢力範囲と一致するという。御祭神は大己貴命やその御子事代主命を祀ることが多い。県内流域によって神社の分布も異なり、県内東部の中川流域には鷲宮神社、江戸川流域には香取神社、荒川流域には氷川様が多い。

新編武蔵風土記稿によれば久伊豆神社の総本社は騎西(現加須市)の玉敷神社と考えられており、皿尾久伊豆大雷神社も 「騎西に大社ありて恐らく当社もこれにならん」と記されている。

越谷、岩槻、そして玉敷神社が久伊豆神社の大社として知られているが、この江面(えづら)の久伊豆神社を合わせて「四大久伊豆神社」というそうだ。江面の旧家は名主であった伊呂原家を始め何れも平家の落ち武者を先祖にもち、古くは秩父からこの地に土着したと伝えられている。

久喜市中心地からひと区画離れた地区であり、かつても今も農業区域が広がっているが、間近に久喜インターチェンジが建設されたことで、景観も大きく変わってしまったという。実際に菖蒲方面から久喜市街に抜けるのに高速下を通る際、やや道の不便なところを感じる。

境内地裏口にあたる場所に祀られる弁財天。その裏は畑となっているが、かつては水田であったのだろう。

村の禁忌に神様が嫌うとして小豆や麻を作ることがあったという。江戸時代半ばにこの禁忌が氏子の生活に支障をきたすことから、これを解除するよう求める文言が吉田家から発給された「宗源祝詞」記されているという。麻や小豆は稲作からの転作を意味し、それを戒めるための禁忌であったことが読み取れるが、当時氏子の生活のためには米以外の物の収穫が必要であったのだろう。

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久喜 愛宕神社

2019-06-08 21:37:22 | 神社と歴史

埼玉県久喜市は人口15万を超える県東部の中核都市として栄えている。平成の合併により旧鷲宮町、菖蒲町、栗橋町と合併し、中心部部はJR宇都宮線東武東上線との乗り換え駅でもあり、交通の便の良さから若い世帯の転入も多い。

久喜は近世においては木綿や穀物といった物資の集散地として栄え、本町では三の市、新町では八日市が立ったという。また新町では古くから火事の多いところで、その鎮守として愛宕神社が祀られたという。御祭神は火之迦具土命で火の神を祀ることで火災を防ごうとしたことが窺える。

久喜新町の鎮守である愛宕神社は久喜駅の北200mの場所にあり、周辺には商店街が広がっている。

久喜は古くは茎と書き、戦前まで多くは農地であった。今でも近隣である菖蒲地区には「芋茎」、その先の騎西地区には「鴻茎」といった地名が残っている。高度経済成長期である昭和50年代以降急速に転入者が増えたという。その中でここ久喜新町は古くからの商業地であり、商売繁盛の神として稲荷神社を信仰する人も多く、仲町商店街では豊川稲荷講を結成して参拝しているという。

現在の社殿の前には中落堀という流れがあり、流れを渡る橋を愛宕橋という。橋をわたったところに玉垣があり、駅前の開発と共に神社周辺も整備された様子がわかる。

 

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響け!trombone~④ 東部支部研究発表会編

2019-06-08 20:12:58 | 日記

埼玉県吹奏楽連盟東部支部研究発表会を鑑賞しました。場所は久喜市総合文化会館です。行田地区は埼玉県内の教育機関の区割りでは東部地区に属します。北埼玉の印象がありますが、高校野球などでも東部地区予選に該当します。久喜市までは約35キロ。中学2年の長女が吹奏楽部に所属し今日の発表会に出場しています。部員25名と顧問の先生が移動しますのでバスを1台チャーターしています。

発表会は今日を含めて今月全五回。多くの学校が参加していますが、今日一日で中学、高合わせて21校が出場しますので、分刻みのスケジュールです。

パンフレットの表紙には「響け!復興のハーモニー」とありました。恐らく東日本大震災からの復興を指していると思われますが、地震の時幼稚園に通っていた長女が、中学二年となりこうした音楽の発表会に出場していることを想うと本当に時の経つのは早いものだと思います。また一方地震の被害でまだまだご苦労されている方もいることを忘れてはならないとも感じます。

 令和改元後ひと月が過ぎますが、その出典が「万葉集」であったことが注目を集めました。今でも書店では万葉集に関する本も多く並んでいます。「令」という字は令冠を被り跪いて神のお告げを受け取る人の形を表しているとの説があるそうです。その姿が美しくまた麗しく神聖なものであることから「ご令嬢」といった表現がなされます。万葉集においては「令月」という熟語で用いられ「良い月」「美しい月」という意味合で読まれるようです。そこで「令和」を英訳する際には「beutiful harmony」とすると決められました。今まさに吹奏楽の時代ともいえます。

私は娘の中学を含めて三校しか鑑賞することができませんでしたが、選曲、表現力など学校により大きく違いがあることを強く感じました。時間、場所、道具、人数、選曲の幅など制約がある中で、各校がそれぞれ特色あるステージを作り上げていました。やはり指導者の力量、経験、熱意などが表れているように思いました。中学、高校ともそれぞれ三年間と短い期間の上、毎年ひと学年ずつ入れ替わる中で各々パートを形成しながら、一つの楽団として仕上げるのは大変な努力が必要なのでしょう。

文化会館ロビーには久喜市名誉市民の額が飾られています。旧久喜町、菖蒲町、鷲宮町と合併している歴史から旧町それぞれから名誉市民として表彰されています。やや気になったのが女性が一人もいない点です。名誉市民は長く行政の長を務めた方や医療や福祉等公共の政策に関して長く貢献した方が選ばれているように思いますが、事実女性の名誉市民が見当たりませんでした。選出基準についての知識がない中で書きにくいのですが、やや戦前から戦後にかけての政治の歴史を象徴しているように感じます。

一方今日の演奏会においては娘も含め多くの女子生徒がのびのびと楽しそうに演奏していました。またたくさんの女性指導者(指揮者)が登壇しています。

勿論男性指導者も、ダイナミックに指揮棒をかざし、男子生徒も懸命にフルートを吹いていました。

男女ともそれぞれがそれぞれの良さを自由に表現できる時代。日本だけではなく世界中が多様性を認められる社会。そして今日の音楽の様に平和で明るい世界が続く「令和」であってほしいと思います。

 

 

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