今年は行田市制施行70周年。田んぼアートを始め多くの記念事業が催されているようだが、そもそも昭和24年の市制がしかれるまでは、ここ行田市は忍町と呼ばれていた。忍市ではなく行田市となったのは「忍市」では要するに語呂が悪かったせいであろう。「行田」とは「成田」が転じたものと考えられているが、元は忍町の一字(ひとあざ)に過ぎなかった。
足袋でその名を知られるようになると、駅や電燈、郵便局も皆行田と名がついたため、他所の人は当時行田は独立しているものだと思ったらしい。
「忍の行田か、行田の忍か 武州行田は足袋でもつ」と歌われて、行田の名は次第に定着していった。
忍にしても行田にしても、その読み方は珍しく、他所では「いくた」「しのぶ(しのび)」と読む方が一般的のようだ。
東京四谷三丁目はかつて四谷忍町と呼ばれていて、家康から忍城へ派遣された高木九助の所領であったことに由来する。