JR東北線東大宮駅から北に1㎞ほどのところにある尾山台団地は日本住宅公団の集合住宅。埼玉千葉を結ぶ国道16号瓦葺交差点から大宮側に500m入った場所にある。高度成長期に開発された大型団地であるが、かつて古くは古墳時代の始めごろにも多くの人々が暮らしていたという。尾山台遺跡である。
昭和四十年尾山台団地の建設に伴い発掘調査が行われ、弥生時代末期から古墳時代初頭にかけての住居跡が約60軒見つかり大規模な集落跡であったことが判明している。当時一つの遺跡から60軒以上の住居跡がまとまって発見されたのは初めてであり、調査が進むと更に縄文期から弥生、古墳、奈良平安時代それぞれの住居跡や遺物も確認されたという。
住居の一辺は3~7mで柱穴は四か所設けられ、その中の多くに炉跡が見られる。かまどができる前の時代のことで、土器は煮炊きに使う台付き甕形土器が多い。また収穫した食料を貯蔵する跡も見つかっている。また住居跡は各時代にグループ分けすることができ、数世代に渡ってこの場所で人々が生活してきたことが分かるという。
見つかった住居のうち、約20軒からは炭化した木材が折り重なった状態で発見されている。これは火災によって住居が燃えた跡だと考えられていて、遺跡の南部に多く見つかっている。火災の原因は不明であるが同時期の住居であり、大火災によって一挙に燃えてしまったことがうかがえる。
現在団地の中ほどにある公園の一角に尾山台遺跡跡から見つかった住居跡を再現した場所がある。現在でも多くの人々がここ尾山台団地に住んでいる。古代から続く尾山台の繁栄は時代を超えて現代も集合住宅として引き継がれている。
今も昔も尾山台の地は人々が大きな集落を作り、未来の繁栄を願って暮らしているようだ。