皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

梓杯~埼玉東部中学校テニス大会にて

2022-06-07 23:13:35 | 日記

6月5日、関東地方が梅雨入りする前日に加須市テニス大会「梓杯」へ出場しました。行田、羽生、加須、久喜、蓮田と埼玉東部の広域の限定大会です。約50チームが3チーム総当たりのグループ予選を経て、決勝トーナメント16チームを争います。

予選は4ポイントワンゲームの5ゲームマッチ。3ゲーム先取すれば勝ちです。同級生と組んだ2年生チームながら予選は一ゲームも落とさずストレートで決勝に残れました。応援に駆けつけたのは予選の二試合目から。

7ゲームマッチとなる決勝トーナメント初戦を突破し、準々決勝は格上の三年生チームを2ゲームとられながら逆転で勝利し、準決勝へ駒を進めました。
午後になるとやや風も強くなり、ファーストサービスの決定率も下がります。ストロークでも風に流されて打ち難そうでした。準決勝は破れましたが、相手のマッチポイントを2度凌いだのが印象に残りました。
コート内に唯一入れるのは高校生の外部コーチでした。コーチが自分の事以上にコートに立つ二人に対し、冷静で熱い言葉や指示を送ってくれたことに感動を通り越して、尊敬の念を覚えました。またそうしたコーチを招聘した監督(部活動顧問の先生)の人を見る目、信頼して任せるところにも指導力を感じます。素晴らしい先生です。
試合最後の指示は「ここまで来れば、自由に思いきってやってきな!!」
序盤の技術的指導、メンタルコントロール。相手との駆け引きの指示の先には本人たちの能力を信じ、任せ、次に繋がるゲームとなるような組み立てが感じ取れました。

三位の表彰を受け非常に嬉しそうでした。ただし、今回の大会で今のペアは一旦解消し、チーム内で組み替えて次の大会へと向かうようです。個人としての成長、チームとしての成長、団体戦を見据えたチームバランス。様々な要素を勘案し監督である顧問の先生が判断しています。勝つこと、結果を残すことは需要です。でもその過程自体により注目しています。私は保護者として、息子やチームの選手のファンとしてサポートしていきたいと思っています。
頑張れテニスの王子様!!頑張れ我ら忍中庭球部!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皿尾門の狐

2022-06-07 20:28:35 | 昔々の物語

『甲子夜話』(こうしやわ)という九州平戸藩主松浦静山翁が文政四年(1821)から七年かかって書き上げた随筆集がある。その巻四十六に「忍城の事」が出ていてそのなかに「本城の後ろの林ある嶋あり、この処狐多く住めり云々」と記されている。今から二百年も前に九州平戸藩まで知られていた事は非常に興味深い。


忍城は沼と森林に囲まれていたことから、蛇と狐の伝承が非常に多い。
皿尾門というのは忍城北西にあり俗に乾門(戌亥)と称し忍城十五門の内でも重要な門のひとつであった。忍城の場合明け六ツ、暮れ六ツには門を開閉する「時鐘」が鳴り響いたという。

大屋の竹さんは皿尾門の使丁であった。明治に入ってすぐの頃暮れ六ツの鐘と共に城門を閉めれば誰一人通らない静かな夜を迎えるばかりでである。
亥の刻(午後十時)には火の用心の見回りをするのが勤めっであった。この間城門近くを通る度、潜り戸を叩く音がするので扉を開けると誰もいないとい事が続いた。竹さんは興味が湧いて物陰に隠れてみていた。すると一匹の狐が門のとこへ来て止まり後ろ向きになって尻尾を立てて門をトントン叩いているのいるではないか。武さんが「この野郎!」と近づくと狐は素早く逃げてしまい、以来一度も門に近づかなかったという。
狐は人を騙すというが、狐にしてみれば戸を叩くと人が驚いて開けてくるのでただ面白かったのかもしれない。

狐が戸を叩きに来る話しは竹さんの唯一の語り草で、この先の矢場かいわいでは、竹さんの話を聞かされない人はいなかったほど有名だったという。
引用文献「行田の伝説と史話」大沢俊吉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする