行田市斎條は西条とも書き、条里制水田に由来した地名である。同じく私の住む星宮地区の中里も同じ条里制に由来する地名だ。
社記によれば景行天皇の御代御諸別王(みむろわけおう)が勅命を報じて、父彦挟島王(ひこさしまおう)に代わり東国支配を宣言する。ご祭神として御諸別王を祀る御室神社は加須市にある神社で、この時代の地方支配を今に伝えている。(樋遣川古墳群)御諸別王は東国開発の祖である日本武尊の霊を水陸の要である当地に守護として祀る。さらに康平五年(1063)には八幡太郎義家が安部氏を討伐するにあたり、社前に馬を休めたと伝わる。行田八幡神社も源頼義、義家親子の伝承が残るなど、武家社会より先にこの地(忍の行田)が東国の律令国家の支配の重要地点であったことを伝える伝承である。
利根川の酒巻交差点からわずかに離れた場所に鎮座しており、長く治水に苦心した歴史を伝えるように本殿は小高い塚に乗るような作りとなっている。利根川沿いの神社に多く見られる作りである。
御剣様と呼ばれる当社は斎条の鎮守として信仰され、毎月二十七日が縁日に当たる。農耕地区らしく春の祈年祭、秋の感謝祭を執行する。夏祭りは天王様ともいわれ末社八坂神社と合わせて氏子の無病息災を祈願する。三百貫ほどの神輿を担いでいたといい、最後は星川まで行って川に入れて揉んでいたという。また八坂社の地元の大道耕地ではキュウリの切り口が八坂様の神紋に似ていることから作作りしなかったという。
終戦まで神社境内に宮守が住み祈祷を行っていたという。
利根川からすぐ近くに広がる田園地区の氏神様として今も多く農耕信仰を集める神社である。