強烈な寒波に見舞われて、ここ関東も氷点下の真冬日となりました。昨晩の暴風でお社の木々も吹き飛ばされそうで心配しておりましたが、大きな被害もなく済みました。一夜明け、境内地を見回りながら自然の力に改めて思いを馳せ、人の営みの小さきを知る思いでした。
皿尾城土塁跡に繁る杉の木々は樹齢何年ほどになるのか定かではありませんが、長きに渡り風雨からこの社殿を守ってきてくれたことに変わりはありません。改めて早朝に手を合わせていました。
手水舎の竜神から流れ落ちる水が太い氷柱となって姿を変えています。ここ数年で見たことのない姿です。
手口をすすぎ、清らかな心身でお参りすることが神社参拝の作法とされておりますが、どうしてご神前にお参りすることで、より清らかな心持ちとなるのでしょうか。願いを神様に叶えていただくため、あるいは願いが叶ったお礼参り。
本来は良いときもそうでないときも、「今を生きていることへの感謝する」こととしてお参りすることが本来のあり方なのではないでしょうか。特に私のような鳥居の中に育った者はそうすることが自然な生き方なのでしょう。
そうした気持ちをご神前にお参りしたときだけではなく、日々の暮らしの中で常に持つことができればよいのですが、仕事や生活の流れの中で忘れてしまうことが多いのでしょう。
「生かされていることに感謝する 」気持ちを常にもちつづけることが叶わなくとも、何かの機会に「合掌」することで心が清らかになり、前向きで豊かな心持ちを取り戻すことができるのではないかと思います。
神社の参拝作法は二礼二拍手一礼とされることが多いのですが、穏やかに手を会わせ生かされていることに感謝することは作法以上に大切なことだと思います。
合掌