「風土記稿」によれば当地は元より広い野原であって、慶長年間(1611~)開発が進み「野村」と称した。当地は行田市の最東南端に当たり戦国期までは忍・騎西・岩槻など度々領有が変わり、戦のたびに被害を受けている。よって忍の殿様は戦に備えて道を迷路のように屈曲させたと伝わり、現在でも区画整理が入っていない多くの部分でその名残を感じることができる。
満願寺は天正年間宗純和尚をもって中興開祖とし現住職をもって第十九世に当たるとある(境内石碑)この間四百年寺門益々興隆し三千百坪偉容を近隣に誇る。然し文化十年(1827)頃火災にあい御堂のほとんどを消失し、その後再建する。
昭和五十三年弘法大師千百五十年の御遠忌に際し記念事業として墓地の区画、有縁無縁塔の建立、六地蔵尊の移転等を施工する。
宗派は真言宗智山派。
鴻巣市の市境にほど近い、県道77号線からわずかに入ったところに位置するこのお寺には樹齢600年の立派なしだれ桜があります。
天保6年(1835)岩崎長容(ながかた)によって増補された『増補忍名所図会」に「広前に大木の枝垂桜あり、垂縁長くして花のころは優艶なり」と記された銘木で平成19年に市指定記念物となりました。幹の2/3ほどが枯死腐朽しているそうですが樹皮の半分が樹勢を保ち毎年見事な花を咲かせています。
目を開く 心を啓く 道を拓く
美しい花を後世に伝え、この広い野の大地で力強く生き抜いてきた人々の心を感じることができました。 合掌
令和5年4月2日 参拝
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