花は野に咲くほどに美しい。農村部に生まれ育って、自然の恵みに囲まれて育った環境からか、花手水なるものにやや抵抗がありました。花がかわいそう。そんな風にも思っていました。
人間というのは勝手なもので、食べることで腹を満たし、美しさに触れることで心を癒すもの。花には花の一生があり、人のてによって育てられ、愛でられ、散って行くのでしょうか。
今年はじめて神社と自宅を区切る柵に朝顔を蒔きました。思ったよりも可憐で、多くの花を咲かせてくれました。小学校三年生くらいで、朝顔の観察をしていますね。弦は日に日に延びて、一面に広がっています。
朝顔に釣瓶とられてもらひ水
加賀千代女の代表作の俳句です。朝顔は季語としては秋に当たります。
朝顔の蔓がが井戸の釣瓶に巻き付いてしまった。水を汲むのに引きちぎってしまっては可愛そうなので、隣の家まで水をもらいにいきましたよ。
自然の花に対する可憐な思いと、儚さ、生活感が入り乱れた秀作と言われます。様々な評価があるようですが、私はこの句が好きです。実際に神社の手水舎のすぐそばで咲く朝顔に毎日癒されています。
神は人の敬いによりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う
花を通じて神社に集う人の癒しとなり、心穏やかに日々過ごすことができれば、これほど嬉しいことはありませんね。
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