北大桑の地名の由来は、往古当地の中央を利根川が流れ、この川筋を往来する船の船頭の目印になる大きな桑の木があったことによる。加須市側を南大桑、この大利根側が北大桑にあたる。神社の鎮座地新井は荒井の字も当たり、比較的新しく開発された地だという。
口碑によれば、新井の八幡様は「八坂八幡」といい、大桑が南北に分かれる前にはこの辺りは十軒ほどの集落しかなく、そこへ鉢形城の落ち人吉田家の祖先が入り、次第に村を開いたという。社殿東側には道を挟んで地蔵堂があり、庚申塔や十九夜塔が並び、古くからの信仰をいまにつたえている。
古くから神社周辺に社地を有し、その田畑からの小作により社を運営したと伝わるが、戦後の農地解放で失い、現在では工場施設が立ち並んでいる。
地区内は神葬祭が多いという。明治期に悪い僧がいて、これを追い出し以降神葬祭を行うようになったというが、こうした伝承は所々にあるようで、明治期における廃仏毀釈の混乱を伝える話だという。現在でも葬儀は神式、以降の四十九日、新盆等は僧侶が仏式で行うところが多い。
地域に残る儀礼に事八日のネロハ除けがあるという。「ネロハがっくっから、はよネロ」と子供にむかってしつけるというが、ネロハとは一つ目のお化けのことで、子供に悪さをするという。これを除けるため、ミイケ(草の取り籠)の中に餅草を入れこれを竿に挿して建てるという。
するとミイケは目が多いので一つ目のネロハが驚いて逃げるという。
このネロハの伝承については、その由来が昔話として郷土に語り継がれている。(続)
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