皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

居候からシェアハウスへ

2022-03-30 20:41:46 | 心は言葉に包まれて

早いもので明後日には四月の新年度。
学校や仕事を始め新たな生活を始める人も多いことでしょう。コロナ禍も三度目の春となり、住環境も変える(引っ越す)人も多いと聞きます。

住む場所が決まるということは大事で、生活の基盤があるということです。戦後の日本の住宅政策は残念ながら失敗で、明らかに人口に対する住宅の軒数が明らかに多い。住宅を建て続けることで、投資を促し経済を回してきた。人口減少がはっきりして空き家が増え、過剰供給となっても都心部を中心に新規着工数が増えている。そのほうが経済効果もあり、またそこに住もうとする人がいるから。もちろん平和な時代にあって、仕事や経済性を重視して、住む環境を選べるということは幸せなことです。否定できないところでしょう。三十年後の全国の姿はどうなっているのかを考えなければ。
一方少なからず、本人の住居ではなく他人の家に世話になることを『居候』といいます。
近世の文書には肩書として『○○方居候』などと記していたそうです。
『居』はそのまま『居る』。『候』は謙譲語の『ございます』をあらわし自らを置いてもらうことを指したそうです。
戦後まで家族制度」からあふれてしまった者を社会的に認知する肩書の意味があったそうです。
明治期以降は『厄介者』という意味で用いられるようになりました。
私が学生のころ(1990年代)には大学の先輩で実際に居候の方もいました。今では『シャアハウス』といったところでしょうか。
家はなくとも志高く。そんな気質から、みんなでなんでも分け合う時代へ。何事も考え方次第でしょうか。



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