行田市和田はかつて条里制水田が広がっていた区域で、現在も多くの田んぼが残る。行田市にこの条里制による地名がいくつかのこっていて斎条、中里などいまでも大字として見られる。
和田地区は現在一和田と二和田とに分かれ、こちらは二和田になる。一和田は旧白河村の一部で現在も八坂神社を祀っている。『風土記稿」和田村の項には『伊森明神社、村の鎮守とす宝珠院持、蔵王社、同持」とありこの「蔵王社」が当社にあたり古くは蔵王権現と称した。明治の神仏分離により寺の管理を離れ、社名を御嶽神社と改め、明治41年社号を和田神社としている。
大正12年の関東大震災により本殿拝殿が全壊となったが、同地区の地主竹田恒太郎の所有する地に移転し大正14年社殿を新築している。このときの移転造営費用は七千八百円といわれ、現在の価値からすると一億近くになる。当時の氏子戸数は約60軒であったことを考えれば、大変な額である。
社殿は八幡造りで串瓦の外側に和田神社と社名が施されている。現在の御祭神は大己貴命と少彦名命。
境内地北側には星川が流れており、神社裏は堤の一部となっている。古くは水稲稲作と養蚕が中心であったが、戦後麦畑への転用も進んでいる。
明治45年の合祀記念碑が残っている。農業中心であった明治、大正、昭和の高度成長期にかけて、農耕暦に基づく祭りが続いていたが近年では勤め人が多くなっており、親和会を中心とした地区祭事へと引き継がれている。
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