現在行田市郷土博物館では市制70周年記念として「忍藩の甲冑と刀剣」という企画展が見られる。
企画展室奥に一際目立つ朱に輝く甲冑が目に入る。松平下総守忠明が大坂夏の陣で着用したと伝わる「黒糸威二枚胴具足」(くろいとおどしにまいどうぐそく)と呼ばれる見事な甲冑だ。
戦国時代より領主や武将は己の存在を示すため、具足に装飾性を求めた。要するに目立つことが求められた時代。昨今のインターネット動画にも似たようなことがあるのが面白い。炎上覚悟というものだ。特に兜は多様化している。ヘルメットの役割と共に、鉄板を尖るように張り合わせた形が出始める。突灰形兜と呼ばれる形だ。
(行田市HPより)
この具足は文政六年(1823)忍城主松平忠堯(ただあき)が忍東照宮に奉納したものとされる。具足が納められている櫃に「天璋院様御召替具足」とあり、天璋院とは松平家の祖松平忠明のこと。
松平忠明は父奥平伸昌、母は家康の娘亀姫で六歳で家康の養子になっている。
忠明は幼名を清匡と称したが二代将軍秀忠より「忠」の一文字をもらい受け忠明に改めている。以降松平家当主は名の一文字に「忠」をつけることが習わしとなっている。
姫路藩主時代、三代家光公より異国船が侵入した際は、西国大名を指揮するよう命じられたほど信任も厚い人物であったとされる。
甲冑が時代を超えてその人物の人柄まで伝えるようで実に面白い。
また同じ黒糸威二枚胴具足は徳川四天王と呼ばれた榊原康政所有のものが有名で、こちらは国の重要文化財に指定されている。家康から直に拝領したとされるものだ。
榊原康政は館林城主を務め、徳川家康を近くで支え幕府の成立に大きく貢献した人物であるが、二作前の大河ドラマ(おんな城主井伊直虎)
では尾美としのり氏が演じていた。井伊万千代(直政)演じる菅田将暉が必死に榊原康政に直訴するシーンが印象に残っている。
刀剣や甲冑が時代を超えて多くの物語を伝えてくるようだった。
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