皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

庭師が来たりて枝おろす

2017-06-19 20:19:10 | 生活
年に一二度植木屋さんに庭の手入れをお願いします。父の代から、色々な方がきていますが、ここ数年小学校の同級生の庭師に来てもらっています。彼の父が庭師で跡を継いでいる形です。私の地区で五軒程彼に頼んでいます。
実のところ、彼が来る前は業者の方にお願いしていましたが、価格の面で折り合わなくなり、一年ほど庭もほったらかしにしていたところ、近くの家に来た彼の方から声をかけてもらいました。やはり庭は生き物で、手を入れなければ荒れてしまいます。昨日今日の二日間でかなり綺麗に切ってもらいました。庭に二本の松があり、新芽が伸びた状態から美しく切り上げます。素人では松の手入れはなかなか出来ないものです。私も出来る事は何でも自分でやるをよしとする方ですが、松の手入れはやった事がありません。高い枝中心に刈り込み、神社参道のくねを刈ります。くね刈りは自分でもやりますが仕上がりが全く違います。神社境内地と自宅の境に7本の木が植えてあり、2年に一度枝下ろしをしてもらいます。一般家庭でこれ程の枝下ろしをするお宅は少ないと思います。一日私も片付けをしながら、一緒に過ごしていると話も尽きません。
お互いの仕事のこと、家族のこと、同級生のこと、地区の世間話など。四十年前位から知っている訳ですが、時間を隔てても話が尽きないのは、幼い頃同じ時間を過ごした証なのでしょう。
庭師という仕事も大変なようですが、自分の腕と人脈を元に、人との縁を介して一人でやって行く独特な仕事だと感じました。北埼玉ではまだ土地も広く庭のある家が多いため、かなりの需要があるようです。実際に休みは月に数日しかないと話していました。また、相続などで代替わりすると、人伝に新たに頼まれたり、また通り沿いの家で刈っていると、通りがかった人にうちにも来てと頼まれたりするようです。向こう2ヶ月はほぼ予定でいっぱいのようで、先に延ばしてもらうことも多いと言います。
仕事ぶり、話ぶり共に自由で奔放なようですが、積み重ねた苦労と経験がにじみ出ていました。

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ミョウガを食べ過ぎると

2017-06-13 23:04:56 | 食べることは生きること
夏になると麺類や豆腐などの薬味に好まれるミョウガ。茗荷の俗説に「食べ過ぎると物忘れが多くなる」というのがあります。昔は家の庭で大量に採れたため、それこそ食べ放題のようでした。
科学的にはむしろ反対で、豊富なビタミンが脳の働きによいと言われています。ではこの俗説は何処からきたのでしょうか。
昔インドにお釈迦様の弟子に周利盤特という人がいて、大変な高僧として釈迦にも大事にされたそうですが、物忘れがひどく、自分の名前さえ忘れてしまうほどでした。その周利槃特が亡くなった後、その墓石に茗荷が生えたことから、物忘れが多くなるといった俗説が生まれたようです。
お釈迦様によれば、真の賢人は自らを愚かだと悟るとされます。
忘れることで幸せになることも多いと解釈したいものです。
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ドリバー

2017-06-12 15:53:43 | 物と人の流れ
外食産業におけるセルフサービスのドリンクサービスをドリンクバーと言いますが、若者の間では略してドリバーと言うそうです。初めて導入したのはすかいらーくの一部の店舗。1992年のことです。翌年低価格業態ガストに導入され、バブル経済後のデフレの波にに乗り大流行しました。私もガストのアルバイトOBで、入社は1993年のことです。都内環状7号沿いの店でガストの6号店だったと思います。導入当時はホットドリンクバーと呼び、コーラなどのゴールドドリンクはフロアークルーがオーダー毎に運んでいましたが、あまりの客数の多さに、一年後過ぎにはアルコールを除く全ての飲み物がセルフサービスの飲み放題になりました。ひばりヶ丘から始まったすかいらーくは、日本ではじめて郊外型ファミリーレストランを展開したと言われています。車社会と共に大きく成長し、時代と共に変化を遂げてきました。私もアルバイト、正社員も含めて約十年在籍しました。酸いも甘いも大事なことはひばりから学んだと思っています。
企業理念は「価値ある豊かさの創造」
他者に先駆けて、豊かさを作り出す。そうした精神が当時から言われていました。
低価格で好きな飲み物が好きなだけ好きな時に飲める。こうした豊かさを受け入れるのに抵抗があったとしても、それがよい意味での豊かさでなかったとしても、今日こうして多くの人に支持されていることをみれば、「ドリンクバー」という仕組みをつくった意味はとても大きいものでしょう。
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松原堰跡

2017-06-10 16:05:51 | 史跡をめぐり
戦国時代の永正年間(1504~1520年)成田氏は忍城を築くまで皿尾に居住していたとされています。地形的に皿尾村は忍沼、忍川に接するため、地下水位が高く長い間排水に苦労したとされています。私が小学生の頃、台風の際には、皿尾橋周辺ではよく水が溢れることがありました。他方皮肉なことに、用水不足にも苦しんだようです。これは灌漑排水の整備が遅れていた時代の特徴です。行田市では治水灌漑工事の一環として、明治34年(1901年)20基の煉瓦水門が建設され、その先駆けとなったのが皿尾の土地です。現在も三ヵ所に残っていて、高太寺北側にあるのが松原堰です。戦後酪農や共同作業による生活改善の取り組みをしたことで、知られるようになったとされます。ほぼ全域田植えも終わり、当たり一面緑の世界が広がります。
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活気溢れる売り場にて

2017-06-09 22:18:29 | 物と人の流れ
大宮宮原にあるスーパー角上です。平日正午過ぎでしたが、買い物客で賑わっていました。私は初めて来店しましたが、北埼玉のスーパーにもテナント出店しているようです。店内は二百坪ほどでしょうか。普段買い物慣れしたスーパーと違い、鮮魚中心の生鮮のみの売り場です。店内の活気が全然違います。少し喧しく感じてしまいますが。鮮魚の品揃えは圧倒的で、売り場をかなり往復してしまうため、滞在時間がかかりました。
一般食品はドラッグストアーやDSで買い、生鮮品はここで買うという行動パターンになるのでしょう。県南から東京エリアの住宅街では、こういう購買スタイルになるのだと思います。但し一部おいてある日配食品(デイリー品)はやや割高でした。やはり売り手も買い手も、品質、価格のバランスをはかりながら店選びをする時代です。そのなかで生鮮品の売り場で活気を出すのは日本の歴史なのでしょう。
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