皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

皿尾城の歴史⓸

2017-06-26 21:38:49 | 皿尾城の空の下

【久伊豆大雷神社裏手=皿尾城土塁跡か】
皿尾城川田谷忠朝の援軍に駆け付けたのは、岩付城主太田資正でした。太田資正は上杉謙信からの信任も厚く、武勇に秀でた武将であったといわれています。ある歴史講座にて、太田資正は真田昌幸のような知略家であったと聞いたことがあります。
『成田記』巻三『皿尾砦』の項の続きでは「太田が軍勢真知近く迫り鯨波を揚げて馳せ来れば、寄せ手の勢大に驚き、(略)忍の勢ハ度ヲ失ひ崩れ立て敗大将長泰城に引事能ずして西を指して逃退き(略)其夜は荒川二陣を据、翌備を全うして大宮口より入城しけり」と表記されています。成田長泰にとって
屈辱的な敗戦であったことが読み取れます。
その後永禄12年(1569)越相同盟によって皿尾城の木戸氏による支配は終わります。羽生城主広直繁が館林城を拝領し弟、木戸(川田谷)忠朝が羽生城主となったからです。あくまで当時の政治的策略によって皿尾城は上杉の勢力下から離れることになるのです。
その後皿尾城が歴史の舞台に登場することはありませんでした。上杉に最後まで忠義を尽くした木戸氏ともに、消えゆく運命にあったのかもしれません。

歴史書においてここ皿尾城において忍勢と羽生勢が争ったことは伝えられています。
遥か時を超えその時代に生きた人々の息遣いが聞こえてくるようです。
皿尾城の空の下、今日もゆたかな緑が大地に広がっています。
参考文献 高鳥 邦仁『歴史周訪ヒストリア』(まつやま書房)
     行田市史 資料編 古代中世
       同  別冊 『成田記』
コメント (2)
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