皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

16番目の夏

2017-07-19 22:17:45 | 記憶の片隅

夏休み目前。梅雨明けの声とともに高校野球の地方予選もいよいよ本格化する時期。
私は中学まで野球経験者。幼いころから野球ばかりやっていた。神社の境内は子供の野球場。来る日も来る日もグローブを握り、友達が集まらないときは
石灯籠がキャッチボールの相手だった。社殿にボールをぶつけ戸を破ってしまい、父に何度となく怒られた日が昨日のことのようだ。
 高校で野球をやらなかったことを今でも後悔している。硬式のボールが怖かったのだろう。
今でも野球が好きだ。
高校生のころ、野球のテーマソングが流れていた。
 YELL!~16番目の夏
今の君に伝えたい
自分に色褪せないで
夢が恋が君の夏が
今始まる

だから君に伝えたい
自分に色褪せないで
16番目の君でも
全部大好き...

グラウンドで駆け回る選手も、ベンチで声を張り上げる控えの人も、また応援席で番号のないユニフォームで応援する子もそれぞれの立場で懸命に野球に向き合っている。それぞれすべての人に支えている家族や関係者、仲間がいる。
道具をそろえ、練習場所を確保し、時間を割いて・・・
一人では野球はできない。
中学で野球を終わりにした際、仲間にありがとうと言ったと思うが、家族に感謝を伝えていなかったように思う。

野球をやらせてくれてありがとう。
30年以上経っても野球が好きだ!
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第7回講座はスポーツ整体

2017-07-13 20:11:37 | 生涯学習
行田市民大学第7回講座はスポーツ整体。一二学年合同で行田市総合体育館グリーンアリーナにて行われました。年間全22回の講座のうち、三回はこうした健康促進に係わる講座です。体育館には動きやすい服装でという案内がありました。池井戸潤原作『陸王』が秋からドラマ化されることもあり、足袋に関する注目が集まるなかで、行田市における健康促進にも一役買おうという試みも感じらました。座っての解説も直ぐに切り上げ、実際に普段使わない大腿骨を動かす運動、重心を意識した歩き方、肩甲骨の動かし方など、講堂を使って実践しました。私は若年者ですが、身体が硬く先輩方と共に四苦八苦です。
講師の先生いわく、これまで使っていなかった部分を意識して動かすことで、数年後飛躍的に身体の動きが楽になるそうです。
ところがそこで野次が入り、『その頃には棺桶入ってるな!』との一言で、笑いの渦に。おっしゃる通り、と頷くしかありませんでした。

最後はテニスボールを使って、身体の痛みをチェックしていきます。
高齢化社会において、健康寿命を伸ばすことは誰もが望むものです。意識して身体を動かすことは、大事なことですが、継続する事は難しい。また、人間の能力と同じく身体部分においても使っていない部分がたくさんあるのだとしりました。
またまだ眠っている能力を目覚めさせ、心身共に成長していけたらと思います。
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八雲神社とおんな天王

2017-07-10 21:21:35 | 神社と歴史
先週末は羽生の夏祭りてんのうさまでした。羽生に勤務する事5年になりますが、仕事がらなかなか祭りをみることもできず、祭りの後通りを一人あるいています。祭りの前の熱気より、終わったあとの寂しさの方が味わい深く、私は好きです。
八雲神社の創建は天録三年。(972年)羽生領七十四村の鎮守とす、と例祭祝詞にあるそうです。ご祭神は須佐之男命。古くは牛頭天王と称したが、明治期に八雲神社に改称している。職場の地元の人に聞いてもみな、てんのうさまと呼んでいます。神社境内地は隣接の神明社とならび、商店街の通りから細い参道を入るためややわかりづらい位置です。(向かって左が八雲神社)
祭りのあとには市民プラザで神輿を見る事ができます。おんな天王様の由来です。
孝謙天皇の御代、村君地区に邑君大夫といふ村の長のところに加須の樋遣川の姫が嫁いだのち、年に一度里帰りをされました。この里帰りは、姫君の亡くなった後も「おかえり」といふ祭りとして語り継がれ、実際に加須の御室神社まで担がれたそうです。現在の神輿(おんな天王)は文政8年(1825)の建立と伝えられています。
祭典の間、各戸で麦藁を炊いて御神灯としたそうです。
ところで八雲神社の由来は、古事記の上巻須佐之男命の八俣大蛇神話にあります。大蛇を退治し、櫛名比売と夫婦となる際に歌を詠んでいます。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣造る その八重垣を
日の本で初めての和歌だとされます。
新妻を得た喜びを雄しくおおらかに歌い上げたと称されます。
夏の空に浮かぶ雄大な雲にまで届く、神輿の掛け声が今年も響き渡りました。
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信玄餅を御笑味ください⁉

2017-07-07 21:21:30 | 心は言葉に包まれて
お中元の季節を迎えました。スーパーでもサマーギフトの売り場が目立ちます。
食べ物を贈る際に「どうぞご賞味ください」と言う言い回しは間違いのようです。賞味とは褒め称えて食べることの意味で、正しくは「お召し上がりください」とするようです。賞味期限と言う言葉も現代の用語だとおもいますが、なかなかな曖昧な意味合いだと思います。美味しく食べられる期限と言う意味て規定されます。
ご賞味ください、の代わりに「ご笑味下さい」という言い回し、表現ができるようです。(広辞苑より)
つまらない物ですが、笑って食べて下さいねとなるようです。
謙譲語やへりくだり表現は日本語独自の文化なのでしょうか。回りくどいという一面もありますが、自ら一歩引いて接するというのは、日本人にはありがちな一面です。
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鷺栖神社と石田堤

2017-07-06 23:14:35 | 神社と歴史 忍領行田
行田市門井町の鷺巣神社。荒川左岸元荒川水源地近くに当たります。古くは神明社と称し、いつのころからかこの社に鷺が飛来し、巣を作るようになってから、すぐ隣の鷺栖神社(現在、棚田神社)を分霊して慶長年間に鷺宮大明神として社殿を建立したと伝えられています。慶長年間といえば江戸幕府が開かれたころの話です。実際の社殿はひときわ小高い丘の上に立っている様子がわかります。そう、当時残っていた石田堤の上に社殿を立てているのです。
棚田神社の項にも記されていますが、元荒川に接する、棚田、佐谷田、門井近辺は水利に恵まれた半面、洪水に見舞われることも多く、砂原、深水、押田などの地名としてその歴史が伝わります。棚田、鷺栖の両神社は同じ細い路地でわずか300mほどの距離で通じています。

主祭神は日本武尊。正徳年間(1711年頃)大井村から分村して門井村となり、伊勢神宮に倣って、天照大神、月読命などを祀っている。

また明治期に山神社、稲荷社及び、塞神等を合祀している。
元荒川の氾濫を鎮めるために祀られ、水の神として信仰されてきたようです。口碑によれば、江戸期の大水により熊谷の久下で土手が切れ大水害となったが当地は堤に社を築いていたため難を逃れたと伝えられています。

またここ数年で伊勢講や出雲参りの記念碑が建てられ、氏子の信仰の厚さが現在まで続いていることがよくわかります。神社裏は大井公民館と隣接し、地域の中心となっているようです。
 水難という歴史を経て、水神を祭り地域の絆を紡いできた当地区の古い歴史がここにあるようです。
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