巨星墜つ…
上岡龍太郎さんが、81歳で亡くなっていた事がわかった。我々関西人の心をつかみ続けた、毒がありつつも全てが正論だった洒脱な笑いが、もう見られない。
芸能界を引退されて久しく、もう随分TVからは遠ざかっていただけに余計に寂しく思える。
私は世代的にもちろん漫画トリオを知らないが、子どもの頃はKBS京都のラジオでよく聴いていた。
「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流。恵まれない天才・上岡龍太郎です」
と自己紹介していたが、自虐ではなく本当に天才だった。またラジオ大阪では土曜の昼に伝説の番組「歌って笑ってドンドコドン」を長く務め、桂雀々・水谷ミミとこれ以上ないリスナーいじりを聴かせていた。
そのあまりの面白さに、獄中からもハガキが来ていた。例えば
「お三人さん、こんにちは。いや〜、世間はオリンピックで華やかですなぁ!世界のアスリートが速さや強さを競ってますが、私には何の取り柄もありませんなぁ…強いて言えば私の取り柄は、シャブの早射ちぐらいでしょうか?アカンアカン、これはドーピングでんなぁ」
といった調子で、そもそもリスナーがすなわちハガキ職人が抜群に面白かった。ちなみに私が最も好きだった職人は「嵐山のレッドバトラー」だった(笑)。
TVでは「探偵ナイトスクープ」「ラブアタック」「花の新婚・カンピュータ作戦」「鶴瓶上岡パペポTV」「EXテレビ」など、本当にお世話になった。「パペポ」では客前で笑福亭鶴瓶とサシでハイチェアに座り、終始タバコを吸っては灰を足元に落としながら軽妙にトークし続けた。また「EXテレビ」では、視聴者に対し
「皆さん、放送が終わって砂嵐になったNHK教育テレビにチャンネルを変えて下さい」
と呼びかけるとその砂嵐の時間帯の視聴率がハネ上がるという事態になり、物議を醸した。TVギョーカイ的には
「メシの種である視聴率で遊ぶな!」
という風潮だったが、上岡氏はハナからそれを馬鹿馬鹿しく思っていたのだろう。
「僕の笑いは21世紀には通じない」
と2000年以降は第一線を退いたが、その後苦楽を共にした横山ノック氏を送る会での献杯の言葉は秀逸だった。
「漫才師から大阪府知事、最後は被告人にまでなったノックさん…」
と落としながらも、「あなたは僕の太陽でした」と感謝を述べたあの立て板に水な口調の中にノックさんへの愛を込めた言葉を超える弔辞は、私は思い浮かばない。
時代は移り、上岡さんが危惧したように本当にTVは面白くなくなってしまった。今のTVが本当に求めているのは、上岡さんのような芸かもしれない。
上岡さんなら、きっとコンプライアンスやBPOなんかクソ喰らえ!と笑い飛ばしていたに違いない…