(1)アール・スタンリー・ガードナーは、1889年生、1970年没。
44歳のとき長編作家としてデビューし、80歳で亡くなるまでの37年間に長編140冊を著した。うち、ペリー・メイスン・シリーズ80冊、A・A・フェア名義のクール&ラム・シリーズ29冊、ダグラス・セルビー・シリーズ9冊、その他のミステリー8冊、ノンフィクション14冊。平均年間創作量は3.8冊だ。このほかに短編450編以上。驚異と言わねばならぬ。テープに口述し、それを秘書がタイプして作品に仕上げていった、というヘンリー・フォード的大量生産術があったにしても。
(2)E・S・ガードナーの修業時代は1923年(34歳)から『ビロードの爪』を発表した1933年(44歳)まで続く。当時、カルフォニア州の法律事務所に勤めるかたわら、あちこちのパルプ・マガジンに大量の作品を書き送っていた。夜中の23時半に帰宅し、明け方の3時までタイプライターを叩いた。1日のノルマは4,000語。1年に100万語を叩き出した。
スピーディな謎の運び、複雑なトリック、意外性、正義感、理想主義、庶民性などは、パルプ・マガジン時代に土壌が耕された。
ガードナーは、生前1冊も自分では短編集を編んでいない。ガードナーは、長編によって自分のスタイルを確立した人だ。
ガードナーのミステリーは、本格派と行動派との中間にあるが、本格推理の要素も、フェアな論理性より意外性に重きを置いている。意外なトリックは、一匹狼の悪知恵だ。庶民の、パルプ・マガジン的英雄だ。
(3)ガードナー作品には、人物や内面の直接的な描写はほとんどない。描かれるのは行動だ。行動を通じて人物像が描かれ、内面が(推定しようと思えば)推定できる。そして、行動は社会的機能から導き出される。ペリー・メイスン・シリーズの弁護士、クール&ラム・シリーズの私立探偵、ダグラス・セルビー・シリーズの検事のように。
言葉が喚起するイメージが明確な行動、行動によるスピーディなテンポ・・・・といった文体、発端の謎が意外な事件に展開し、歯切れよい解決に至る展開といったパターンは、出世作『ビロードの爪』で確立していた。
(4)ペリー・メイスン・シリーズは、パターン化は題名、登場人物、ストーリー展開において徹底し、1冊ごとに完結する。各作品相互に関連はなく、蓄積もない。
他方、クール&ラム・シリーズは、人間関係の蓄積があって、第1作『屠所の羊』では食い詰めたドナルド・ラムがバーサ・クールにお情けに近い雇用の仕方をされるのだが、『倍額保険』ではパートナーに出世する。もっとも、人間が描かれているのはよいのだが、バーサの、一時は275ポンドもあった体重が165ポンドに減って、その後165~170ポンドを上下したり、バーサや秘書エルシー・ブランドの年齢が初期の作品より若くなったりするのは、作者が登場人物に愛着が増したためか。
(5)文体は、長編作家としてスタートした段階で確立していたが、作家として年季を積むにつれ、磨きがかかった。レイモンド・チャンドラーは、ガードナーあての書簡(1945年11月9日付け)で次のように記す。
<年がたつとともに、読みやすく、たくみになっているのも興味あることでした>
(6)『倍額保険』を訳した田中小実昌は、巻末の、訳者あとがきと解説を兼ねた「和んだ気持ちで」において、ちょっとした文章論を展開している【注】。いわく・・・・
ペリー・メイスン・シリーズにはこ難しい法律用語が出てくるのはやむをえない。他方、A・A・フェア・シリーズの文章はすっきりシンプルだ。
そもそもミステリーとか推理小説には「装飾のおおい、つまりはおどかす文章」「飾りたてた文章」がよく売れているが、A・A・フェアは歳をとり、おじいさんになるにつれて、ますます、文章がすっきり、シンプルに、しかも、明るくなった。滅多にないことだ。
考えが深くなると、じつは考えがすっきり、明るくなるのだ。
『倍額保険』に登場する年配の医者など、A・A・フェアの文章によって、ほんとうに明るく、浮かびあがってくる。明るく、しかも深い洞察をもち、また医者であるからには、ふつうの人にはないシニカルさもありながら、まことに軽やかな日々のようだ。
シニカルさのない者に、軽やかさがあるものか。
そして、この年配の医者は自分でかってに死のうが、ひとに殺されようが、(病気のため)確実に死に向かっている。
シニカルさのない軽さ、明るさなどインチキのように、死に向かってこそ、自分が確実に死に向かっていることを知って、そのような毎日をおくっているからこそ、この明るさ、軽さが出てくるのかもしれない。
この年配の医者など、まことにみごとな小説のなかの人物であり、A・A・フェアは人物を描くというより、ミステリーのなかに、ぽっかり、この人物がでてきている。この自然さは、この年配の医者がA・A・フェア自身だからだろう。
日常的、身体的にはちがっていても、まさしくA・A・フェア自身なのだろう。
A・A・フェア・シリーズを楽しんで読むとは、A・A・フェアというおじいさんといっしょにいることを楽しみ、和んだ気持ちでいるのだろう。
【注】A・A・フェア(田中小実昌・訳)『倍額保険』(ハヤカワ・ミステリー文庫、1978)
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44歳のとき長編作家としてデビューし、80歳で亡くなるまでの37年間に長編140冊を著した。うち、ペリー・メイスン・シリーズ80冊、A・A・フェア名義のクール&ラム・シリーズ29冊、ダグラス・セルビー・シリーズ9冊、その他のミステリー8冊、ノンフィクション14冊。平均年間創作量は3.8冊だ。このほかに短編450編以上。驚異と言わねばならぬ。テープに口述し、それを秘書がタイプして作品に仕上げていった、というヘンリー・フォード的大量生産術があったにしても。
(2)E・S・ガードナーの修業時代は1923年(34歳)から『ビロードの爪』を発表した1933年(44歳)まで続く。当時、カルフォニア州の法律事務所に勤めるかたわら、あちこちのパルプ・マガジンに大量の作品を書き送っていた。夜中の23時半に帰宅し、明け方の3時までタイプライターを叩いた。1日のノルマは4,000語。1年に100万語を叩き出した。
スピーディな謎の運び、複雑なトリック、意外性、正義感、理想主義、庶民性などは、パルプ・マガジン時代に土壌が耕された。
ガードナーは、生前1冊も自分では短編集を編んでいない。ガードナーは、長編によって自分のスタイルを確立した人だ。
ガードナーのミステリーは、本格派と行動派との中間にあるが、本格推理の要素も、フェアな論理性より意外性に重きを置いている。意外なトリックは、一匹狼の悪知恵だ。庶民の、パルプ・マガジン的英雄だ。
(3)ガードナー作品には、人物や内面の直接的な描写はほとんどない。描かれるのは行動だ。行動を通じて人物像が描かれ、内面が(推定しようと思えば)推定できる。そして、行動は社会的機能から導き出される。ペリー・メイスン・シリーズの弁護士、クール&ラム・シリーズの私立探偵、ダグラス・セルビー・シリーズの検事のように。
言葉が喚起するイメージが明確な行動、行動によるスピーディなテンポ・・・・といった文体、発端の謎が意外な事件に展開し、歯切れよい解決に至る展開といったパターンは、出世作『ビロードの爪』で確立していた。
(4)ペリー・メイスン・シリーズは、パターン化は題名、登場人物、ストーリー展開において徹底し、1冊ごとに完結する。各作品相互に関連はなく、蓄積もない。
他方、クール&ラム・シリーズは、人間関係の蓄積があって、第1作『屠所の羊』では食い詰めたドナルド・ラムがバーサ・クールにお情けに近い雇用の仕方をされるのだが、『倍額保険』ではパートナーに出世する。もっとも、人間が描かれているのはよいのだが、バーサの、一時は275ポンドもあった体重が165ポンドに減って、その後165~170ポンドを上下したり、バーサや秘書エルシー・ブランドの年齢が初期の作品より若くなったりするのは、作者が登場人物に愛着が増したためか。
(5)文体は、長編作家としてスタートした段階で確立していたが、作家として年季を積むにつれ、磨きがかかった。レイモンド・チャンドラーは、ガードナーあての書簡(1945年11月9日付け)で次のように記す。
<年がたつとともに、読みやすく、たくみになっているのも興味あることでした>
(6)『倍額保険』を訳した田中小実昌は、巻末の、訳者あとがきと解説を兼ねた「和んだ気持ちで」において、ちょっとした文章論を展開している【注】。いわく・・・・
ペリー・メイスン・シリーズにはこ難しい法律用語が出てくるのはやむをえない。他方、A・A・フェア・シリーズの文章はすっきりシンプルだ。
そもそもミステリーとか推理小説には「装飾のおおい、つまりはおどかす文章」「飾りたてた文章」がよく売れているが、A・A・フェアは歳をとり、おじいさんになるにつれて、ますます、文章がすっきり、シンプルに、しかも、明るくなった。滅多にないことだ。
考えが深くなると、じつは考えがすっきり、明るくなるのだ。
『倍額保険』に登場する年配の医者など、A・A・フェアの文章によって、ほんとうに明るく、浮かびあがってくる。明るく、しかも深い洞察をもち、また医者であるからには、ふつうの人にはないシニカルさもありながら、まことに軽やかな日々のようだ。
シニカルさのない者に、軽やかさがあるものか。
そして、この年配の医者は自分でかってに死のうが、ひとに殺されようが、(病気のため)確実に死に向かっている。
シニカルさのない軽さ、明るさなどインチキのように、死に向かってこそ、自分が確実に死に向かっていることを知って、そのような毎日をおくっているからこそ、この明るさ、軽さが出てくるのかもしれない。
この年配の医者など、まことにみごとな小説のなかの人物であり、A・A・フェアは人物を描くというより、ミステリーのなかに、ぽっかり、この人物がでてきている。この自然さは、この年配の医者がA・A・フェア自身だからだろう。
日常的、身体的にはちがっていても、まさしくA・A・フェア自身なのだろう。
A・A・フェア・シリーズを楽しんで読むとは、A・A・フェアというおじいさんといっしょにいることを楽しみ、和んだ気持ちでいるのだろう。
【注】A・A・フェア(田中小実昌・訳)『倍額保険』(ハヤカワ・ミステリー文庫、1978)
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