語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【大岡昇平】と中国

2013年05月28日 | ●大岡昇平
 (1)『漢詩鑑賞辞典』
  (a)漢の高祖から魯迅まで、中国2,000年間余の代表的な作品を納め、読み下しと訳文、語釈、鑑賞、補説を添える。詩人の評伝も併せ録する。なお、『詩経』、『文選』、『楽府詩集』については別途、選を編む。

  (b)付録
    ①漢詩入門・・・・中国詩史、形式、押韻。
    ②日本の漢詩・・・・歴史、代表的作品(大津皇子から永井荷風まで)。
    ③詩書解題・・・・『詩経』から(民国)王国維『人間詞話』まで。
    ④中国文学史年表・・・・日本ほかの文学史も併記。
    ⑤漢詩鑑賞地図・・・・洛陽、長安、唐代の歴史地図。中国文学史跡地図も併載。

  (c)索引
    ①作品索引
    ②詩形別索引
    ③人物索引
    ④主要成句索引

 (2)大岡昇平
 大岡はインタビューで、漢文はさほど読んでない、と述べている。が、持ち前の韜晦癖の匂いがする。
 『武蔵野夫人』第14章、瀬死の道子の声は当初「鬼啾」と形容されていたが、後に「鬼哭」に換えられた。この措辞、杜甫の古詩「兵車行」が出典か。「鬼啾」「鬼哭」は、最後の2行を参照。

   車燐燐 馬蕭蕭     車燐燐 馬蕭蕭
   行人弓箭各在腰     行人の弓箭各(おのおの)腰に在り
   耶娘妻子走相送     耶娘の妻子走りて相送る
   塵埃不見咸陽橋     塵埃にて見えず咸陽橋
   牽衣頓足遮道哭     衣を牽き足を頓して道を遮りて哭す
   哭聲直上干云霄     哭声直ちに上りて云霄を干(おか)す
   道旁過者問行人     道傍を過る者行人に問う
   行人但云點行頻     行人但だ云う点行頻りなりと
   或從十五北防河     或は十五より北 河を防ぎ
   便至四十西營田     便ち四十に至って西 田を営む
   去時里正与裹頭     去る時里正与(ため)に頭を裹(つつ)み
   歸來頭白還戍邊     帰り来って頭(こうべ)白きに還た辺を
   邊廷流血成海水     辺廷の流血海水と成るも
   武皇開邊意未已     武皇辺を開くの意未だ已まず
   君不聞漢家山東二百州  君聞かずや漢家山東の二百州
   千村万落生荊杞     千村万落荊杞を生ずるを
   縱有健婦把鋤犁     縱(たと)い健婦の鋤犁を把る有るも
   禾生隴畝無東西     禾(か)は隴畝に生じて東西無し
   況復秦兵耐苦戰     況んや復た秦兵苦戦に耐うるをや
   被驅不異犬与鶏     駆らるること犬と鶏とに異ならず
   長者雖有問       長者問う有りと雖も
   役夫敢伸恨       役夫敢へて恨を伸べんや
   且如今年冬       且つ今年の冬の如きは
   未休關西卒       未だ関西の卒を休めざるに
   縣官急索租       県官急に租を索むるも
   租税從何出       租税何(いづく)より出でん
   信知生男惡       信(まこと)に知る男を生むは悪しく
   反是生女好       反って是れ女を生むは好(よ)きを
   生女猶得嫁比鄰     女を生まば猶ほ比隣に嫁するを
   生男埋沒隨百草     男を生まば埋沒して百草に隨う
   君不見青海頭      君見ずや青海の頭(ほとり)
   古來白骨無人收     古来白骨人の收むる無きを
   新鬼煩冤舊鬼哭     新鬼は煩冤して旧鬼は哭す
   天陰雨濕聲啾啾     天陰(くも)り雨濕(けぶ)とき声啾啾

 著名な中国文学者を父に持ち、自らも『新唐詩選』の共著者である桑原武夫から、大岡は、生涯私淑することになるスタンダールを紹介された。後に膨大詳細な杜甫注釈をあらわす吉川幸次郎も大岡と同学の京都大学の俊秀だった。こうした事情がなくても、当時の知識人として、大岡は『武蔵野夫人』を書く前に「兵車行」を知っていた、と思う。中年になって応召した自分を「便至四十西營田(便ち四十に至って西 田を営む)」に重ねてみたかもしれない。
 なお、『花影』((1961年毎日出版文化賞、新潮社文学賞)のタイトルは、王安石の絶句「夜直」の結部から採る。

   金爐香尽漏声残  金炉香尽きて漏声残す
   翦翦軽風陣陣寒  翦翦の軽風陣陣の寒さ
   春色悩人眠不得  春色人を悩まして眠り得ず
   月移花影上欄干  月は花影を移して欄干に上らしむ

□石川忠久・編『漢詩鑑賞辞典』(講談社学術文庫、2009)
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