(1)安部内閣は、教育改革を最重要課題の一つとして掲げる。
政府の教育再生実行会議が、過日、教育委員会制度の抜本改革に関する提言を阿部総理に提出した。
現行制度上、自治体の教育行政は教育委員会が所管する。教育委員会は、首長が議会の同意を得て任命する5ないし6人の教育委員によって構成される合議制官庁だ。
提言では、(a)地方教育行政の責任を教育委員会ではなく、首長が任命する教育長に持たせることとした。また、(b)教育委員会は教育長の単なる諮問機関に格下げすることとしている。
ちなみに、現行制度上は、教育委員会は地方教育行政の責任者として位置づけられている。また、教育長は教育委員の一人ではあるが、教育委員会の代表者ではない。代表は教育委員長であり、教育長は教育委員兼教育委員会事務局長的立場だ。
(2)この改革プランが実現しても、さしたる変化は見られないだろう。改革プランは、地方教育行政の現状をほとんど追認したものでしかないからだ。
(a)提言は、教育委員会を諮問機関に格下げしているが、現行制度でも事実上、教育委員会は諮問機関の役割しか果たしていない。月に1日か2日会議を開き、事務局の報告を聞き、事務局から上がってきた議案をそのまま承認しているだけだ。いじめ問題に端を発し、その非力な実態が明らかになった大津市教育委員会はその典型だ。
(b)提言は、教育長を教育行政のトップに位置づけ、これを首長が直接任命する、としている。現行制度では、教育長は教育委員たちの互選によって任命される。したがって、首長は教育委員の選任には与れるものの、意中の人を教育長に任命することはできない・・・・という建前だが、実際は教育委員を任命する際に、既に教育長候補は決まっている。そのことを他の教育委員にも因果を含めているので、互選を通じて首長の意中の人以外の人が教育長に選ばれることは、まず無い。今でも事実上、教育長は首長が直接任命している。くだんの大津市の当時の教育長も、こうしたプロセスを経て市長主導で任命されていたはずだ。
(3)提言では何も変わらない・・・・かというと、必ずしもそうではない。今までより教育に対する首長の発言権が強まる。
それをどう評価するか。首長しだいで良くもなるし悪くもなる。より悪くなる可能性が危惧される。
首長が、これまで以上にリーダーシップを発揮できるようになる。やりたい改革がスピード・アップされる。
しかし、迅速に改革を進められる仕組みの下では、改悪も迅速に進めることができる。教育を軽んじる首長が登場した場合、それまでのせっかくの手厚い教育環境がたちどころに剥がされてしまう事態も想定される。
また、教育行政の性格からして、たとえ良い改革でも急激な変化は避けるべきだ。子どもたちと向き合う教師一人一人がその改革をポジティブに捉え、それを主体的に実践するためのモチヴェーションを持つに至るには、それなりの時間と手順を必要とするからだ。それらを欠いた改革は、教師たちとの間でいたずらに摩擦と軋轢を生む。摩擦と軋轢に改革者が強権をもって臨めば、学校現場は一層混乱する。子どもたちにとって迷惑至極だ。
激変緩和の緩衝材としての機能が教育委員会に期待されている。良い改革も少し時間をかけながら現場に浸透させていく。逆に、悪い改革には防波堤の役割を果たす。
(4)教育委員会が現状のままではいけないのは確かだ。ほとんどの自治体の教育委員会は、ちゃんと機能していないからだ。
ただし、これは制度の問題ではなく、むしろ運用のまずさに起因している。教育委員の「品質管理」がいい加減なのだ。
首長が教育委員候補を選定する際の手抜き。
その候補を吟味し、「品質管理」の責任を負うのが選任につき拒否権を持つ議会だが、実際にはほとんどの議会は適切にその役割を果たしていない。教育委員候補の「品定め」をすべきだが、一向にやっていない。ほとんどの自治体では、議会の最終日の、しかも閉会の直前に、教育委員などの選任議案が首長から提出される。それを受けた議会は、通常の議案なら所管の常任委員会に付託すべきところを省略し、直ちに採決に入る。本人の聴聞はおろか、提出した首長にも一切質問することはない。
かくして、教育行政の責任を担う自覚や見識があるのか、教育行政に割く時間的余裕があるのか、など大事なことは何も確認されないまま委員たちは任命される。「品質管理」は、ちっとも無い。
地方議会は、国主導の的はずれな改革を待つのではなく、自らの責任で教育委員会の再生のためにぜひ奮起してほしい。
(5)教育を本当に首長に委ねてよいか。
懸念される<例>・・・・最近の教員の非正規化の進行だ。沖縄県、兵庫県、大阪府、埼玉県などでは、児童数などを基準にして決められた公立小中学校教員定数の1割を超えて正規教員から非正規教員に代替されている。
正規教員を基準どおり配置するのに必要な財源は、国が毎年度これら府県にも措置している。ところが、府県の判断で、正規教員を非正規教員に置き換えると、一人当たり400万円近くの財源を浮かせることができる。教育財源のネコババだ。これを主導しているのは、財政権を持つ首長だ。
かかる事実を踏まえると、首長の権能をこれ以上強化するのではなく、むしろ教育委員会の機能を強化するほうがよほど大切だ。
首長は民意によって選ばれ、その民意は教育に重きを置いているから、首長は教育を蔑ろにするはずはない・・・・とは、理屈の上では正しいのだが、財政難の現実の中では必ずしも妥当しない。
教育委員の選任を首長自身もいい加減に処理していた事実も重ね合わせると、教育を首長に委ねれば万事うまくいく、というのは幻想だ。
□片山善博(慶大教授)「教育委員会は壊すより立て直す方が賢明 ~日本を診る 44~」(「世界」2013年6月号)
↓クリック、プリーズ。↓

政府の教育再生実行会議が、過日、教育委員会制度の抜本改革に関する提言を阿部総理に提出した。
現行制度上、自治体の教育行政は教育委員会が所管する。教育委員会は、首長が議会の同意を得て任命する5ないし6人の教育委員によって構成される合議制官庁だ。
提言では、(a)地方教育行政の責任を教育委員会ではなく、首長が任命する教育長に持たせることとした。また、(b)教育委員会は教育長の単なる諮問機関に格下げすることとしている。
ちなみに、現行制度上は、教育委員会は地方教育行政の責任者として位置づけられている。また、教育長は教育委員の一人ではあるが、教育委員会の代表者ではない。代表は教育委員長であり、教育長は教育委員兼教育委員会事務局長的立場だ。
(2)この改革プランが実現しても、さしたる変化は見られないだろう。改革プランは、地方教育行政の現状をほとんど追認したものでしかないからだ。
(a)提言は、教育委員会を諮問機関に格下げしているが、現行制度でも事実上、教育委員会は諮問機関の役割しか果たしていない。月に1日か2日会議を開き、事務局の報告を聞き、事務局から上がってきた議案をそのまま承認しているだけだ。いじめ問題に端を発し、その非力な実態が明らかになった大津市教育委員会はその典型だ。
(b)提言は、教育長を教育行政のトップに位置づけ、これを首長が直接任命する、としている。現行制度では、教育長は教育委員たちの互選によって任命される。したがって、首長は教育委員の選任には与れるものの、意中の人を教育長に任命することはできない・・・・という建前だが、実際は教育委員を任命する際に、既に教育長候補は決まっている。そのことを他の教育委員にも因果を含めているので、互選を通じて首長の意中の人以外の人が教育長に選ばれることは、まず無い。今でも事実上、教育長は首長が直接任命している。くだんの大津市の当時の教育長も、こうしたプロセスを経て市長主導で任命されていたはずだ。
(3)提言では何も変わらない・・・・かというと、必ずしもそうではない。今までより教育に対する首長の発言権が強まる。
それをどう評価するか。首長しだいで良くもなるし悪くもなる。より悪くなる可能性が危惧される。
首長が、これまで以上にリーダーシップを発揮できるようになる。やりたい改革がスピード・アップされる。
しかし、迅速に改革を進められる仕組みの下では、改悪も迅速に進めることができる。教育を軽んじる首長が登場した場合、それまでのせっかくの手厚い教育環境がたちどころに剥がされてしまう事態も想定される。
また、教育行政の性格からして、たとえ良い改革でも急激な変化は避けるべきだ。子どもたちと向き合う教師一人一人がその改革をポジティブに捉え、それを主体的に実践するためのモチヴェーションを持つに至るには、それなりの時間と手順を必要とするからだ。それらを欠いた改革は、教師たちとの間でいたずらに摩擦と軋轢を生む。摩擦と軋轢に改革者が強権をもって臨めば、学校現場は一層混乱する。子どもたちにとって迷惑至極だ。
激変緩和の緩衝材としての機能が教育委員会に期待されている。良い改革も少し時間をかけながら現場に浸透させていく。逆に、悪い改革には防波堤の役割を果たす。
(4)教育委員会が現状のままではいけないのは確かだ。ほとんどの自治体の教育委員会は、ちゃんと機能していないからだ。
ただし、これは制度の問題ではなく、むしろ運用のまずさに起因している。教育委員の「品質管理」がいい加減なのだ。
首長が教育委員候補を選定する際の手抜き。
その候補を吟味し、「品質管理」の責任を負うのが選任につき拒否権を持つ議会だが、実際にはほとんどの議会は適切にその役割を果たしていない。教育委員候補の「品定め」をすべきだが、一向にやっていない。ほとんどの自治体では、議会の最終日の、しかも閉会の直前に、教育委員などの選任議案が首長から提出される。それを受けた議会は、通常の議案なら所管の常任委員会に付託すべきところを省略し、直ちに採決に入る。本人の聴聞はおろか、提出した首長にも一切質問することはない。
かくして、教育行政の責任を担う自覚や見識があるのか、教育行政に割く時間的余裕があるのか、など大事なことは何も確認されないまま委員たちは任命される。「品質管理」は、ちっとも無い。
地方議会は、国主導の的はずれな改革を待つのではなく、自らの責任で教育委員会の再生のためにぜひ奮起してほしい。
(5)教育を本当に首長に委ねてよいか。
懸念される<例>・・・・最近の教員の非正規化の進行だ。沖縄県、兵庫県、大阪府、埼玉県などでは、児童数などを基準にして決められた公立小中学校教員定数の1割を超えて正規教員から非正規教員に代替されている。
正規教員を基準どおり配置するのに必要な財源は、国が毎年度これら府県にも措置している。ところが、府県の判断で、正規教員を非正規教員に置き換えると、一人当たり400万円近くの財源を浮かせることができる。教育財源のネコババだ。これを主導しているのは、財政権を持つ首長だ。
かかる事実を踏まえると、首長の権能をこれ以上強化するのではなく、むしろ教育委員会の機能を強化するほうがよほど大切だ。
首長は民意によって選ばれ、その民意は教育に重きを置いているから、首長は教育を蔑ろにするはずはない・・・・とは、理屈の上では正しいのだが、財政難の現実の中では必ずしも妥当しない。
教育委員の選任を首長自身もいい加減に処理していた事実も重ね合わせると、教育を首長に委ねれば万事うまくいく、というのは幻想だ。
□片山善博(慶大教授)「教育委員会は壊すより立て直す方が賢明 ~日本を診る 44~」(「世界」2013年6月号)
↓クリック、プリーズ。↓


