ジャガイモは、新大陸からヨーロッパへの最高の贈りものだった。
アメリカ大陸から伝えられた植物には、ほかにも重要な作物がたくさんあるが、なかでもジャガイモが果たした役割は絶大だった。度かさなる飢饉によって疲弊の極致にあった人びとを救った点において、ジャガイモに勝る功績をもつ野菜はない。
ジャガイモは、紀元前3000年代から栽培されていた、と言われる古い植物だ。原種は特定されていないが、原産地はアンデス山地で、ペルーからボリビアにかけての高地に自生していた野生種がたがいに交配したものと見られている。
この地の先住民族の食糧としては、神格化されていたトウモロコシに次いで重要な作物だが、
(1)トウモロコシよりさらに高い標高4,000mに達する山地でも栽培できる特性
(2)チューニョとして通年保存ができる利便性
といった利点から、実質的にはインカ帝国の礎を築いたもっとも重要な作物だ。
チューニョとは、フリーズドライによる保存ジャガイモだ。寒暖の差の激しい高地では、イモを夜のあいだ外に出しておくと凍結する。それが昼の太陽で溶けたころを足で踏んで、イモの中の水分を出してしまう。この作業を何日か繰り返して、完全に水分の抜けた乾燥ジャガイモをつくるのだ【注】。
イモというより軽石のようなスカスカの物体で、煮戻して食べると不思議な味がする。
インカ帝国では、これを大量につくって各地の倉に保存し、必要に応じて人民に配給して治安を図るとともに、帝国の誇る強大な軍隊が遠征する際の兵糧として活用した。
ジャガイモがヨーロッパに知られたのは、フランシスコ・ピサロが率いるスペインの征服者たちがペルーを蹂躙したときだ(1532年)。このとき持ち帰ったジャガイモが、時の教皇に献上されるなどして旧大陸にはじめて紹介された。
これより先に、コロンブスが西インド諸島に上陸しているが、カリブ海の島にはサツマイモはあってもジャガイモはなかった。高地で栽培されていたジャガイモは、このころはまだメキシコ半島でも知られていなかった、という説もある。
サツマイモも新大陸原産の重要な作物で、伝播の時期はジャガイモと同じだが、今日のヨーロッパでは生活に溶け込んでいるジャガイモに比べて、サツマイモは普及していない。寒冷な気候に対する適応力の差のせいか。
(a)ナス科のジャガイモ
(b)ヒルガオ科のサツマイモ
(c)キク科のキクイモ(トピナンブール)
これら三つが新大陸から伝えられた。(c)はアーティチョーク(朝鮮アザミ)に似た風味があるとして最初のうちは(a)より人気が出たが、その後はあまりふるわなかった。
結局、新大陸から伝えられたイモ類の中ではジャガイモだけが、3世紀後にはヨーロッパ全域で、生きていくためには不可欠の野菜として絶対的な地位を獲得することになった。
【注】日本にも「凍みイモ」がある。
全国各地にあり、「寒干しイモ」「寒ざらしイモ」「しばれイモ」などとも呼ばれる。中でも富士山麓にある山梨県鳴沢村の凍みイモが比較的よく知られ、人気漫画『美味しんぼ』第80巻でも取り上げられた。イモの水分を抜くために足で踏みつけるため、形も崩れて黒くなり、見た目はあまりよくない。
その点、青森、岩手両県などで見られる凍みイモは、氷点下の外気で凍らせた後、皮をむき、水にさらしてあく抜きをするため、白墨色に精製されたものに仕上がる。よく乾燥しているので、何年置いても変質しない。食べる際は粉にし、団子などをこしらえる。
□玉村豊男『世界の野菜を旅する』(講談社現代新書、2010)
↓クリック、プリーズ。↓

【参考】
「【読書余滴】玉村豊男の、沖縄の人がコンブをたくさん食べる理由 ~聴衆からの質疑に答える極意~」
「【読書余滴】玉村豊男の、赤ん坊はキャベツから生まれる」

アメリカ大陸から伝えられた植物には、ほかにも重要な作物がたくさんあるが、なかでもジャガイモが果たした役割は絶大だった。度かさなる飢饉によって疲弊の極致にあった人びとを救った点において、ジャガイモに勝る功績をもつ野菜はない。
ジャガイモは、紀元前3000年代から栽培されていた、と言われる古い植物だ。原種は特定されていないが、原産地はアンデス山地で、ペルーからボリビアにかけての高地に自生していた野生種がたがいに交配したものと見られている。
この地の先住民族の食糧としては、神格化されていたトウモロコシに次いで重要な作物だが、
(1)トウモロコシよりさらに高い標高4,000mに達する山地でも栽培できる特性
(2)チューニョとして通年保存ができる利便性
といった利点から、実質的にはインカ帝国の礎を築いたもっとも重要な作物だ。
チューニョとは、フリーズドライによる保存ジャガイモだ。寒暖の差の激しい高地では、イモを夜のあいだ外に出しておくと凍結する。それが昼の太陽で溶けたころを足で踏んで、イモの中の水分を出してしまう。この作業を何日か繰り返して、完全に水分の抜けた乾燥ジャガイモをつくるのだ【注】。
イモというより軽石のようなスカスカの物体で、煮戻して食べると不思議な味がする。
インカ帝国では、これを大量につくって各地の倉に保存し、必要に応じて人民に配給して治安を図るとともに、帝国の誇る強大な軍隊が遠征する際の兵糧として活用した。
ジャガイモがヨーロッパに知られたのは、フランシスコ・ピサロが率いるスペインの征服者たちがペルーを蹂躙したときだ(1532年)。このとき持ち帰ったジャガイモが、時の教皇に献上されるなどして旧大陸にはじめて紹介された。
これより先に、コロンブスが西インド諸島に上陸しているが、カリブ海の島にはサツマイモはあってもジャガイモはなかった。高地で栽培されていたジャガイモは、このころはまだメキシコ半島でも知られていなかった、という説もある。
サツマイモも新大陸原産の重要な作物で、伝播の時期はジャガイモと同じだが、今日のヨーロッパでは生活に溶け込んでいるジャガイモに比べて、サツマイモは普及していない。寒冷な気候に対する適応力の差のせいか。
(a)ナス科のジャガイモ
(b)ヒルガオ科のサツマイモ
(c)キク科のキクイモ(トピナンブール)
これら三つが新大陸から伝えられた。(c)はアーティチョーク(朝鮮アザミ)に似た風味があるとして最初のうちは(a)より人気が出たが、その後はあまりふるわなかった。
結局、新大陸から伝えられたイモ類の中ではジャガイモだけが、3世紀後にはヨーロッパ全域で、生きていくためには不可欠の野菜として絶対的な地位を獲得することになった。
【注】日本にも「凍みイモ」がある。
全国各地にあり、「寒干しイモ」「寒ざらしイモ」「しばれイモ」などとも呼ばれる。中でも富士山麓にある山梨県鳴沢村の凍みイモが比較的よく知られ、人気漫画『美味しんぼ』第80巻でも取り上げられた。イモの水分を抜くために足で踏みつけるため、形も崩れて黒くなり、見た目はあまりよくない。
その点、青森、岩手両県などで見られる凍みイモは、氷点下の外気で凍らせた後、皮をむき、水にさらしてあく抜きをするため、白墨色に精製されたものに仕上がる。よく乾燥しているので、何年置いても変質しない。食べる際は粉にし、団子などをこしらえる。
□玉村豊男『世界の野菜を旅する』(講談社現代新書、2010)
↓クリック、プリーズ。↓



【参考】
「【読書余滴】玉村豊男の、沖縄の人がコンブをたくさん食べる理由 ~聴衆からの質疑に答える極意~」
「【読書余滴】玉村豊男の、赤ん坊はキャベツから生まれる」
