語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】人間の努力を重視するグノーシス ~『なぜ私たちは生きているのか』~

2018年09月08日 | ●佐藤優
 <佐藤 キリスト教神学はグノーシスを絶対に排斥しないといけない異端だとしています。しかし、それは一種の近親憎悪であって、グノーシスはキリスト教に深く入り込んでいるからなのです。
 キリスト教初期に異端とされたマルキオンという人がいます。彼は旧約聖書の神は怒ったり嫉妬したりという不完全な神であり、イエスの示した神は慈みの神、愛の神だと主張して、旧約聖書を削除し、ルカによる福音書とパウロ書簡だけの聖書をつくりました。そして、神は人間のように苦しむわけがないのだから、仮にイエスという人間がいたとしても、神が一時的に乗り移っただけで、イエスの死後に神は去ったという仮現説を唱えた。教会はマルキオンを異端だと追放して、著作もすべて焚書にし、いまの聖書を編纂して正典としたのです。
 ウィキペディアのマルキオンの項目に掲載されている、彼とヨハネを描いたイコンを見ると、キリスト教内での扱いがわかります。ヨハネは後光が差しているのに、背教者のマルキオンには差していない。顔も醜くつぶれてしまっています。

高橋 化けもののような扱いをしているのですね。異端と決めつけたり、自分たちのほうが偉いというような差をつけることを、イエスはしなかったと思うのですが。

佐藤 そのとおりです。マルキオンは命がけで自分の思想を主張していたのだから、そういうレッテル貼りをしてはいけません。
 グノーシスとは、そもそもはギリシア語で「知識」を意味し、人間を救済にみちびく知識のことを指します。どうやれば救済のチャンスをつかむことができるのかという人間の努力を重視するアプローチです。教会はマルキオンを追放するときに、グノーシスもすべて否定することになったので、グノーシスが出てくると自動的に「異端」として、それ以上考えることをしない思考停止に陥ってしまう。しかし、たとえばヨハネの手紙に、グノーシスの要素が入っていることは明らかです。
 一方、西洋古典思想史におけるグノーシス研究は死体解剖みたいなもので、根底にあった「どういうふうにすれば人間は救われるのか」という問題意識が抜けている。グノーシスにあった強烈な救済観を救い出そうとしたのが、先ほどから話に出てくるソロヴィヨフです。ソロヴィヨフは『三つの会話』で、トルストイの絶対平和主義を全面的に拒否しています。トルストイの絶対平和主義は形式論理にすぎないものだと排除し、本の最後ではトルストイ主義者の将軍が逃げていってしまう。抽象的な平和主義には何の意味もなく、具体的にどこにおいて、誰が、どのように問われているのか、そこから初めて問題になるということなのです。大川周明が関心を持ったのは、この点においてですね。戦争によって平和を実現していくんだという、戦争の哲学があるとソロヴィヨフを読んだのです。> 

□高橋巖×佐藤優『なぜ私たちは生きているのか シュタイナー人智学とキリスト教神学の対話』(平凡社新書、2017)の「Ⅲ宗教--善と悪のはざまで」の「人間の努力を重視するグノーシス」から一部引用
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 【参考】
【佐藤優】悪はどこから入りどこから去っていくのか ~『なぜ私たちは生きているのか』~
【佐藤優】現代人は悪に鈍感 ~『なぜ私たちは生きているのか』~
【佐藤優】見えるお金が見えない心を縛る ~『なぜ私たちは生きているのか』~
【佐藤優】生活のなかに植え付けられた資本主義 ~『なぜ私たちは生きているのか』~
【佐藤優】プロテスタンティズムと資本主義は関係ない ~『なぜ私たちは生きているのか』~
【佐藤優】個別主義・全体主義・普遍主義 ~『なぜ私たちは生きているのか』~
【佐藤優】ルター派教会とナチズム ~『なぜ私たちは生きているのか』~
【佐藤優】キリスト教は「絶対他力」の宗教 ~『なぜ私たちは生きているのか』~
【佐藤優】『なぜ私たちは生きているのか シュタイナー人智学とキリスト教神学の対話』目次


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【波止場日記】のエリック・ホッファー、沖仲仕の社会哲学者/労働と独学

2018年09月08日 | ●エリック・ホッファー
 Eric Hoffer, 1902年7月25日 - 1983年5月20日。

★生涯
 ドイツ系移民の子としてニューヨークのブロンクスに生まれた。
 7歳、母親と死別。同年視力を失った。
 15歳、奇跡的に視力を回復した。以来、再び失明する可能性に対する恐怖から貪るように読書に励んだ、という。正規の学校教育は全く受けていない。
 18歳頃、唯一の肉親である父親が逝去し、天涯孤独の身となった。それを機に、ロサンゼルスの貧民窟でその日暮らしの生活を始めた。
 28歳、多量のシュウ酸を飲み自殺を図ったが、未遂に終わった。それをきっかけにロサンゼルスを去り、カリフォルニアで季節労働者として農園を渡り歩いた。労働の合間に図書館へ通い、大学レベルの物理学と数学をマスターした。農園の生活を通して興味は植物学へと向き、農園をやめてまで植物学の勉強に没頭し、またも独学でマスターすることになる。
 ある日、勤務先のレストランでカリフォルニア大学バークレー校の柑橘類研究所所長のスティルトン教授と出会い、給仕の合間に彼が頭を悩ませていたドイツ語で書かれた植物学の文献を翻訳した。彼はホッファーが植物学にもドイツ語にも精通していることを知り、研究員として勤務することを持ちかけた。しばらく研究員として働いたホッファーは、当時カリフォルニア州で流行っていたレモンの白化現象の原因を突き止めた功績が認められ、正式な研究員のポストが与えられたが、それを断り、気ままな放浪生活へと舞い戻った。
 1936年、ホッファー34歳の時、転機がやってきた。その冬、ヒトラーの台頭のヨーロッパ情勢の頃、砂金掘りの仕事のため雪山で過ごすことになり、その暇つぶしとして道中の古本屋でモンテーニュ『エセー』を購入した。この出会いによって思索、とりわけ「書く」という行為を意識し始めたという。哲学者、著述家として立つきっかけとなったのだ。『エセー』は、その冬に三度読み返し、最後には大部分を暗記してしまったという。
 1941年から、サンフランシスコで沖仲仕として働いたことから、「沖仲仕の哲学者」と呼ばれるに至る。
 1964年から、カリフォルニア大学バークレー校の政治学研究教授になったが、65歳になるまで沖仲仕の仕事はやめなかった。ホッファーによると、沖仲仕ほど自由と運動と閑暇と収入が適度に調和した仕事はなかったという。また、沖仲仕を含む港湾労働者の労働組合幹部を長く続けていた。バークレーでは週に一度のオフィスアワーを持ち、1972年まで続けた。
 1967年にCBCで放送された対談番組は、全米各地で大きな反響を呼んだ。再放送も人気だったことから、以来年に一度出演した。
 1970年代、ベトナム兵役拒否やヒッピー、マリファナと学生運動の時代に、ある種の知的カリスマとして高い知名度をもっていたが、ホッファー自身は彼らを甘やかされた子供と捉えていた。ホッファーはヒッピーと対照的な立場とされているスクウェアを支持していた。ただし、ホッファーのいう「スクウェア」とは、(日本におけるブルーカラーのような)勤労青年を指していた。
 ホッファーはベトナム戦争を肯定的に評価していた。
 1983年2月、当時の大統領ロナルド・レーガンは大統領自由勲章を送った。
 同年5月、80歳、老衰のためその生涯を終えた。

★著書
 ①高根正昭訳『大衆』(紀伊国屋書店、1961)/高根正昭訳『大衆運動』(紀伊国屋書店、1969/復刻版、2003)
 ②永井陽之助訳「情熱的な精神状態」永井編『現代人の思想(16)政治的人間』(平凡社、1967)
 ③中本義彦訳「情熱的な精神状態」『魂の錬金術 - エリック・ホッファー全アフォリズム集』(作品社、2003)
 ④田崎淑子・露木栄子訳『変化という試練』(大和書房、1965)
 ⑤『波止場日記 - 労働と思索』田中淳訳(みすず書房、1971、新装版1992・2002/同〈始まりの本〉、2014)
  ※『波止場日記』は、6月1日から始まり、翌年の5月21日で終わっている。ノート7冊分である。
 ⑥柄谷行人・柄谷真佐子訳『現代という時代の気質』(晶文社、1972、新版・同〈晶文選書、1985/ちくま学芸文庫、2015)
 ⑦田中淳訳『初めのこと今のこと』(河出書房新社、1972)
 ⑧田中淳訳『エリック・ホッファーの人間とは何か』(河出書房新社、2003)
 ⑨中本義彦訳「人間の条件について』『魂の錬金術 - エリック・ホッファー全アフォリズム集』(作品社、2003)
 ⑩In Our Time.(1976)
 ⑪中本義彦訳『安息日の前に』(作品社、2004)
 ⑫Between the Devil and the Dragon: The Best Essays and Aphorisms of Eric Hoffer.(1982)
 ⑬Truth Imagined.(1983)
 ⑭中本義彦訳『エリック・ホッファー自伝 - 構想された真実』(作品社、2002年)

 
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