<「隣り人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 --「マタイによる福音書」5章43-44節
この言葉はよく誤解されている。イエスは、敵と味方を一緒にして、誰でも愛せというような博愛主義を説いているのではない。「敵を愛する」前提として、味方と敵を峻別しなくてはならない。その上で敵に対しては、有り余る憎しみがあるので、愛するくらいの感覚を持たないと判断を誤る、と説くのだ。もっとも、敵を愛しているうちに、敵とか味方とかいった区分が徐々に解消していく。迫害をする者のために祈っているうちに、迫害する者も変化していくという人間観がイエスにはある。
イエスの理解では、愛は何らかの目的のために行使されるものではない。愛はただその行為によって充足的に成り立っているのである。従って、最初の動機はどのようなものであっても構わないが、愛を実践しているうちに人間は変容していく。繰り返すが、聖書に記されているから愛を実践するのではない。イエスは、まことの神の子であるから、理由なく、ひたすら愛を実践するのである。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「常識を逆転する言葉」の「敵を愛しなさい」を引用
【参考】
「【佐藤優】目標をめざして」
「【佐藤優】試練を喜ぶ」
「【佐藤優】永遠の命のために」
「【佐藤優】立っていると思う者」
「【佐藤優】重荷を背負うのは」
「【佐藤優】苦難と希望」
「【佐藤優】弱さを誇ろう」
「【佐藤優】一粒の麦」
「【佐藤優】平和ではなく剣を」
「【佐藤優】恐れるな」
「【佐藤優】迫害される人」
「【佐藤優】平和をつくる人」
「【佐藤優】心の清い人」
「【佐藤優】あわれみ深い人」
「【佐藤優】正しさを望む人」
「【佐藤優】柔和な人」
「【佐藤優】悲しんでいる人」
「【佐藤優】心の貧しい人」
「【佐藤優】地の塩となれ」
「【佐藤優】狭い門を選べ」
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」
この言葉はよく誤解されている。イエスは、敵と味方を一緒にして、誰でも愛せというような博愛主義を説いているのではない。「敵を愛する」前提として、味方と敵を峻別しなくてはならない。その上で敵に対しては、有り余る憎しみがあるので、愛するくらいの感覚を持たないと判断を誤る、と説くのだ。もっとも、敵を愛しているうちに、敵とか味方とかいった区分が徐々に解消していく。迫害をする者のために祈っているうちに、迫害する者も変化していくという人間観がイエスにはある。
イエスの理解では、愛は何らかの目的のために行使されるものではない。愛はただその行為によって充足的に成り立っているのである。従って、最初の動機はどのようなものであっても構わないが、愛を実践しているうちに人間は変容していく。繰り返すが、聖書に記されているから愛を実践するのではない。イエスは、まことの神の子であるから、理由なく、ひたすら愛を実践するのである。>
□佐藤優『人生の役に立つ聖書の名言』(講談社、2017)の「常識を逆転する言葉」の「敵を愛しなさい」を引用
【参考】
「【佐藤優】目標をめざして」
「【佐藤優】試練を喜ぶ」
「【佐藤優】永遠の命のために」
「【佐藤優】立っていると思う者」
「【佐藤優】重荷を背負うのは」
「【佐藤優】苦難と希望」
「【佐藤優】弱さを誇ろう」
「【佐藤優】一粒の麦」
「【佐藤優】平和ではなく剣を」
「【佐藤優】恐れるな」
「【佐藤優】迫害される人」
「【佐藤優】平和をつくる人」
「【佐藤優】心の清い人」
「【佐藤優】あわれみ深い人」
「【佐藤優】正しさを望む人」
「【佐藤優】柔和な人」
「【佐藤優】悲しんでいる人」
「【佐藤優】心の貧しい人」
「【佐藤優】地の塩となれ」
「【佐藤優】狭い門を選べ」
「【佐藤優】求めれば与えられる」
「【佐藤優】明日を思い悩むな」
「【佐藤優】思い悩むな」
「【佐藤優】まえがき ~『人生の役に立つ聖書の名言』~」