語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【旅】三次の霧 ~松本清張『神々の乱心』~

2017年01月28日 | ミステリー・SF
 <庭に向かった広縁側の戸はまだ入れてなかった。障子の窓ガラスは部屋の湯気や煖気に曇って一面の霧となり、その中に近いところは庭の立て雪洞(ぼんぼり)の明りがあちこちに滲み、山間の下には遠い三次の灯がかたまって茫々と霞んでいた。
 春子が立って障子の傍に寄り、懐紙を出して曇ったガラスを拭った。
「だめです」
 ふり返って笑った。
「外が霧なんですの」
 泰之は眺めて、
「渓底(たにぞこ)の灯の上に山の夜霧が流れる。仙境だな」
「ほんまにきれい」
 と、まさ子。
「明日の朝おめざめになったら、朝霧でいっぱい包まれています。ここがまるで雲の上にあるようです」
「ここは霧が名物ですか」
「夏は鵜飼い。秋の暮れから春さきにかけては霧です。川が三つも流れていますから」
「霧は万物を霊化しますね」
「不浄を隠します。悪人も霧の中に」>

□松本清張『神々の乱心』(上下)(文藝春秋、1997/後に文春文庫、2000)
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