語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【桑原武夫】人間素描/アラン訪問記

2016年08月24日 | 批評・思想

 (1)17世紀のフランスには文学上の一ジャンルに「ポルトレ」があった。文字をもってする肖像の意で、風貌、気質、行為まで描きだそうとするが、本格的な伝記でも人間研究でもない。
 そう桑原武夫は紹介し、「ポルトレ」を訳せば「人間素描」となる、という。
 『人間素描』は、30有余人のポルトレをおさめる。素描されるのは学者、それも錚々たる学者が多い。しかも、ジャンルを限定しない。中国文学者(内藤湖南や狩野直喜)からサル学者(今西錦司)まで。文法学者(『象は鼻が長い』の三上章)もいる。
 在野の人では、詩人(三好達治)から作家(中野重治)、翻訳家(米川正夫)まで。特異な実践的技術家(西堀栄三郎)もいる。京都一中・三高の名物校長森外三郎もしっかりと「素描」されている。海外の人では、作家にして政治家の郭抹若、哲学者にして教育家のアラン、米国の社会主義者スコット・ニアリング夫妻の名が見える。じつに幅広い。

 (2)桑原武夫の交友圏は広かった。単に顔が広いだけではなくて、専門分野以外の人ともあい渉る術を心得ていた。
 松田道雄は桑原武夫にふれた文章で、専門外の発言にどう切り込むかのテクニックを教わった、と書く。
 しかし、単に交際術を身につけているだけでは、あるいは論争術を心得ているだけでは、かくも多数の、ジャンルを超えた「人間素描」は生まれなかっただろう。人間に対する関心、ことに異能の人に対する強い関心が著者にある。
 そして、健康な知性、達意の文章。

 (3)「アラン訪問記」は、1937年の出会いを語る。渡仏当時、発表されたアランの一文に総罷業反対が記されていた。リヨンの小学教員組合が不参加を表明し、その他のサンジカにもこれにならうものが少なくなかった。アランは下級教育者に依然として影響力をもつらしい、といった推測から始まる。晩年のアランは、全身にわたるリューマチを患っていた。加減のよいつかのまに面会できた。全体としてずんぐりとした大男で、自分の仕事に自信をもつ美しい顔、と印象を記す。話題はもっぱら芸術で、東洋絵画にも言及される。
 <あまりたくさんは見てないが・・・・東洋絵画は広大な視界を求める。西洋のものにはそれがない。東洋の絵の中では toujurs, on s'en va, oui, toujurs! (いつも遠くへ立ち去ろうとするところがある)>
 帰国してから送った『鉄齋遺墨集』をアランはおおいに喜んだらしい。ドストエフスキーは好きで相当読んでいる、といった談話もあるが、アランの胸像をつくった高田博厚へのアランの献辞がいい。古人のいわゆる剛毅木訥である。
 <彫刻家高田に。現にここでわれわれがポーズしたその幾時かの記念に。彼の胸像は究極において似たところを示している--大へんrusticなところを。私はそこに自分を再び見出して愉快です>
 rustic(ひなびた、百姓ふうな)というのはアランがそう自認しているので、ここではすぐれた賛辞だ、と桑原武夫は注釈している。

□「アラン訪問記」(『人間素描』、筑摩叢書、1976/後に『桑原武夫集 第1巻』、岩波書店、1980)
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 【参考】
【本】『人間素描』


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