水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
「いのち」は生きる願いをしている。
存在する限り、生きたいと願っている。
自分で生きること。
自分以外から生かされること。
この二つは同じだ。
自力本願と他力本願は同じだ。
他力とは自分以外の存在。
自分を含め、全ての存在。
同時にそれらを統括する存在。
創造主、大神、グレートサムシング。
特に他力本願を意識するのが大切だ。
「いのち」は傲慢な生き方を望んでない。
「いのち」は事実を知っている。
生きる事と生かされている事が同時だと。
お願い、が無ければ、生きていられない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
マジメに生きている人からは疑問かもしれない。
「私は、お願いして生きてない!」
自力のある人は、個人的なお願いをあまりしない。
(と、思い込んでいる)
あまり口に出さない。
でも、心の中では必ずしている。
人間なら、当たり前なのだ。
「お願い」といっても多種多様な対象がある。
強さ、範囲、質、数等々、多種多様なのだ。
「欲」だけがお願いの対象じゃないぜ。
だが「欲」にしても同じく多種多様がある。
深く潜れば、心の弱さが判る。
そこに「お願い」がセットでついているのも判る。
「お願い」は「神」への賛歌の入り口となる。
お願いをしない、と思っている人は・・・
不遜という傲慢な人間でもある。
しない、と勘違いしている。
「お願い」が何であるか、理解していない。
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「お願い」がいいとか、悪いとかの話じゃない。
自力本願も他力本願も同じモノだ。
「お願い」無しでこの世のモノ達は存在できない。
「お願い」に「良し悪し」を持ち込む事は筋違いだ。
ただし、勘違いの「お願い」はある。
勘違いだらけの「お願い」ばかりかもしれない。
無理難題の「お願い」も多すぎるだろう。
「お願い」だからこそ、様々なルールがあるのだ。
根性無しは「お願い」がメインで生活する。
ナサケナイが、そんなものだ。
ナサケナイが、他にそれほど迷惑をかけない。
だから結果の出る「お願い」の仕方をみつける。
ナサケナイから「大それたお願い」はしない。
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自力本願と他力本願という言葉がある。
努力と根性がある人は自力本願。
ナマケモノは他力本願。
本当はそんな事ではない。
それぞれ深い意味もあるけど・・・
深遠な意味を解説するのはメンドウだ。
軽佻浮薄で「お願い」したい。
軽佻浮薄でないと、空は飛べないのだ。
だが、勘違いして「お願い」しても無駄だ。
イワシの頭に「商売繁盛のお願い」しても無駄なのだ。
イワシの頭だって困ってしまう。
軽い邪気なら、追い払えるんだけどなぁ・・・
ゴキブリや政治家だって生きる権利はあるのだ。
根性と強引さで、自分で道を切り開くモノ達だ。
だが他に迷惑をかける根性が無いモノ達もいる。
自分で道を切り開けないから「お願い」して生きている。
そういう根性無しも生きる権利がある。
(というか・・・こちらの方がマトモだと思えるけどなぁ)
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七夕に託けての話だ。
少しはロマンチックに書きたい。
政治家で話を終りにしたのでは不本意だ。
というわけで、もう少し閑話を続けよう。
天の川と名づけた銀河系の一部。
両端に琴座のベガと鷲座のアルタイルがある。
橋は七夕の夜に架けられる。
橋の真ん中で織姫と彦星は逢引をする。
橋の下は輝く雫の川。
だが・・・
織姫も彦星も年をとる。
体型も崩れる・・・
二人とも、メタボリックシンドローム・・・
設定がロマンチックでも本人達がなぁ・・・
というわけで、いつまでも若くいようぜ!
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「ロハス」を唱える人達は少しはマトモだ。
政治家や役人や多くの事業家よりはマトモだ。
だが、当たり前に気づかなかった人達でもある。
主張しなければ、生活を変えられなかった人達だ。
(まぁ、それでも現代ではマトモな人達ではある)
アメリカの従国日本だ。
日本の政治家はアメリカ忠誠を誓う。
アメリカの為なら、日本の民は犠牲になります。
ウソでも冗談でもない。
今の政府の態度だ。
もちろん、日本国民向けには言ってない。
時々、口が滑るだけだ。
政府側の政治家だけじゃない。
政治家を長くしていれば、同じムジナとなる。
どの党だって、政治家なら汚れている。
綺麗でマトモな政治がしたかったら、全員総入れ替えだぁ。
だから、政治家はまだロハスとは言わない。
それどころじゃないのだ。
選挙で受かるのが第一優先だ。
地球の未来など、知ったこっちゃない。
選挙には金がかかるのだ。
薄汚い工作資金だ。
(注:偏見で書いてますが、真実や事実かもしれない。
もちろん、一括りにはできない。
中には立派な政治家や役人だっている、に違いない。
いる、だろうと思う。いる、かもしれない・・・)
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環境破壊の大国、アメリカだ。
さすがにヤバイと思ってる人達がいる。
健康と環境に配慮し、持続可能な社会・・・。
個人的には健康第一。
社会的には環境第一。
そういう製品を作ろう、買おう。
このままでは持続は不可能。
アホでも、そのくらいは計算できる。
計算できても目を閉じるのが政治家と役人。
ならば、一般国民から主張しよう。
それが「ロハス」という言葉だ。
アメリカだからこそ、言い出した言葉だ。
ず~と自然と共に暮らしている人達なら言わない。
そんな事は当たり前だからだ。
御蔭様で生きていける。
自他が共存する事、自然と共生する事。
そんな事は、当たり前だ。
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機ばかりが先行すると、自然環境がついていけない。
といって、スローライフのままでは人間の心が納得しない。
そこで「ロハス」と言い出した。
上手く二人を合体させた姿を「ロハス」という。
自分だけが納得していたシンプルライフ。
生活内の自然との調和がシンプルライフだ。
本来なら、それで充分だったと思う。
長い間、人類はそうやって生活してきた。
それで(自然とは)上手くいっていた。
ところが地球環境を破壊しすぎた。
他の生物が死に絶えても人間は残る。
一つ二つの国が滅びても、わが国は残る。
環境が多少悪くても、自分は大丈夫だぁ。
自と他は別物だと本気で信じていた近代現代現在。
人間の愚かさは、痛みが強くなって少し気づく・・・。
ひ、ひょっとして・・・ヤバイ?
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
純愛(鶴)と迷愛(人間)の物語。
だが別の観方、読み方がある。
機は文明の象徴でもある。
「つう」は、とても魅力ある織物を作った。
高いお金で交換できる織物(製品)だ。
周りの人間達は織物に魅かれる。
「つう」の心ではなく、織物に魅かれる。
人間は、文明の底にある素晴しさよりも、
出来上がった製品の魅力に魅かれてしまうのだ。
それは、お金で評価できるモノだ。
文明の底にある素晴しさはお金では評価できないのに。
「つう」は、人間の心が欲だけに傾くのが辛かったのだ。
だから去って行った。
織姫も天帝に引き裂かれたのではなかったのかもしれない。
織姫が彦星に別れ話をしたのかもしれない。
「このままでは、アタナはダメになる。別れましょ」
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
「見ないで」で見させるテクニック。
人間のオナゴだったら、最初から計算づくだ。
隠すのは、興味をひかせるテクニックの一つだ。
条件はある。
見たい、と思う容姿や性格の魅力だ。
大した魅力が無くても、ある程度は効く。
だが・・・
見たくない容姿と性格の悪いオナゴだったら。
「見ちゃダメよぉ~」
と障子の隙間を空け気味にしていても・・・。
「僕と僕の知る限りの人達は決して覗きません。
100万年は自信を持って保障します」
と、一生に一度しか使えない真摯な誓いをしてしまう。
(こんな場面で使うのかよ・・・)
「つう」は鶴だから理解できなかったのだ。
「よひょう」も(愚かで哀しい)人間の心を持っていることを。
人間の心は、愚かで哀しいからこそ、抱きしめるモノだ。
覗いたくらいで生真面目に出て行くこたぁなかったのになぁ。
「アタシ・・・鶴でもいい?」
とカミングアウトすればよかったのだ。
「もちろんいいさぁ、問題ないさぁ」
下手な人間のオナゴより「つう」の方がいいに決まっている。
人間は鶴(鳥)に負けるのだ。
当たり前だ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)