水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・443」

2022-03-21 22:28:00 | Weblog


ある気功師・49

約2週間経った朝、いつものように母の頭に手を伸ばした。
直接触る事なく、10センチほど離した状態だ。
その瞬間、ものすごい痛みを掌全体で感じた。
感じるなんて優しい曖昧なものではない。
実際にとても痛い、痛いのだ。

同時にこの痛みは母の痛みだと判る。
母の症状は強い痛みだ。
風が吹いても痛がるほどだ。
酷い状態の時には、眠れない、食べられない。
話す事もほとんどできない。
震せんという頭の震え状態になる。

眠れない、食べられないのだから体力激減となる。
私や兄姉は、その度に覚悟をする。
車で動かすと更に苦しみが加わる。
痛み止めの薬も身体に合わなくて、苦しむ。
温めて痛みを和らげる以外に手がないのだ。
そうして何十年も過ごしてきたのだ。
発作状態が直接命を縮めるわけでもない。
痛み、苦しむ状態だけなのだ。
私も物心つく時から、痛む母の姿を見てきた。


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「迷想中・迷走中・442」

2022-03-20 22:41:24 | Weblog


ある気功師・48

生駒から帰る日に写真を撮った。
ただの写真ではなく、キルリアン写真という。
生体のコロナ放電を撮影するものだ。
気功師として故師匠が認定した人だけが対象だった。

この写真はどんな生体でも写る。
人でもネコでも植物でも写る。
指先を撮影したが、どの人も発光する。
だが、気功師のものは独特の丸いものが周りに写る。
それで普通とは違うと客観的に判る。

私の手も普通とは違った。
違ったが、感覚は無いままだ。
だから、わけがわからない。
そのまま母親の変化の目の当たりにしていた。


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「迷想中・迷走中・441」

2022-03-19 22:40:53 | Weblog


ある気功師・47

元々母親の病気の為に様々な治療を探した。
そして、気功に巡り合った。
そして、どういうわけか気功師になってしまった。
気功師になるつもりだったわけではなかったのに。

とはいえ、効くかどうかはわからない。
母親は原因不明の病だった。
症状名としては、三叉神経痛。
神経痛というのは原因不明の別名でもある。
気功がどこまで楽にしてくれるかわからない。

奈良県の生駒山で故師匠から体質を変えられた。
10日間の後、実家に帰って母親に気功をした。
感覚が無いのだから、真似をした。
ところが、私には何の感覚も無いのに母に変化が出た。
大きな変化だ。
私は無自覚だから、よりわけがわからない・・・


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「迷想中・迷走中・440」

2022-03-18 22:27:57 | Weblog


ある気功師・46

本当に頭のいい人もいるだろう。
人類の極一部だろうが。
そういう人は研究者として何かを究明するのが役目。
それ以外は知ったかぶりで解説しているのだ。

私は幸い自覚があった。
私はアホだ・・・
アホを自覚すれば頭で判断しない。
感覚、直感で判断する。
知識や概念よりも身体の方が信用できる。

まず、授かった能力というより体質だ。
感覚が出たのは、変えられてから2週間後。
それまで何も感じなかった。
氣が出る、受ける、感覚は初期無かった。
そして、ある日急に感じる。


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「迷想中・迷走中・439」

2022-03-17 21:22:49 | Weblog


ある気功師・45

アホな私は素直だった。
まぁ、無知でもあった。
何も知らなかった。
今も何も知らない事には変わらないが・・・

まして「氣」だ。
見えないし怪しげだし妖しげだし。
誰がウソを言っても反論し難い。
だからデタラメも横行する。

特に中国型(例えれば)とそれ以外。
その違いも判らない解説が多い。
私の感覚と違和感がある。
気功師で無くてもいいが、ズレがある。
もっとも気功師もかなりズレた解説をする。
頭でっかちの解説だ。


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「迷想中・迷走中・438」

2022-03-16 21:39:17 | Weblog


ある気功師・44

この世の事などほとんど解らない。
人間だもの。
アホの段階の人間だもの。
その自覚があれば、落とし穴など落ちない。
その自覚があれば、争いなどしない。

自分が正しい、正義だ。
それが争いの元。
それが戦争の元。
相手も自分もアホだと知れば、そうそう争わない。
殺し合いまで発展する事もない。

お互い様だ。
お互いに・・・アホだ。
アホかもしれない。
そう思えれば、笑いさえ起こる。
笑えれば、争いは無くなるものだ。


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「迷想中・迷走中・437」

2022-03-15 21:52:32 | Weblog


ある気功師・43

落とし穴は結構怖い。
深さは様々だが無傷とはいかない。
生命を落とす事も珍しくない。
特に私のように治療関係者は危ない。
肉体もだが、精神がボロボロになる。

故師匠によって千人を超える気功師が生まれた。
そして、10年過ぎて数十人になった。
専門にしている人はもっと少ないだろう。
落とし穴に落ちたからだ。
知り合いで生命を落とした人も数名いる。

これは気功だけではない。
怪しげなセミナーなどで能力をつけた。
そういう人のほとんどは落ちる。
無事な人はとても少ない。
解ったと思っていれば、まず落ちる。
落とし穴というのは、解ったつもりの人が落ちる穴だ。
赤ちゃんや子供は落ちない仕組みだ。


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「迷想中・迷走中・436」

2022-03-13 22:34:31 | Weblog


ある気功師・41

人社会の常識はこの世界の数%。
いや、1%もあるかどうか・・・
だから人社会の外からのモノとはいえ、この世界だ。
世界を超えた存在ではない。
と、思う・・・

我々が知っている事など、とても僅かなのだ。
神とか悪魔ではなく、この世界に有るモノ。
そうでなくては、人間は感知できないだろ。
当たり前なのだが、当たり前が通じない・・・
どうしても神というブランドが欲しいみたいだ。
精神世界スキスキ人間や宗教スキスキ人間。

まぁ、そんな事はどうでもいい。
オンになった能力。
ついつい自分の能力だと思い込む。
それが落とし穴というヤツなのだが・・・


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「迷想中・迷走中・435」

2022-03-12 22:17:26 | Weblog


ある気功師・40

人世界とは別な世界からのモノ。
するとオッチョコチョイの人は勘違いする。
神の○○・・・
そして神という概念をとても素晴らしいモノとする。
高尚なモノとする。
それは人社会の常識や意識、固定概念で判断している。
それがアホな精神世界の正体だ。

神のイメージを光。
悪魔のイメージを闇。
どちらも人とはリンクしない。
光も闇も人社会の概念や意識での判断だ。
最初から光も闇も関係ない。
別な世界があるだけだ。

神は言葉を発しない。
神の言葉は無いのだ。
アホな扇動者の言葉はある。
例え話としての言葉なら、ある。
当たり前なのだ。
人社会とは別なのだから。
もうちょっと、しっかりしようぜ。
私が言うのもナンだけど・・・


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「迷想中・迷走中・434」

2022-03-11 22:36:53 | Weblog


ある気功師・39

ここで区別が必用だ。
能力がオンになった場合の区別だ。
本人の氣と能力の氣は違う。
作品という形になった時、本人とは区別する。
作品は別の世界、別な次元から来たものだ。

能力がオンになっていない場合。
本人の氣が作品の氣と同調する。
本人の感情が作品に出る。
本人の意識が能力を左右する。
ほとんどの能力、作品は本人とリンクする。

ここが理解できていれば騙されない。
アホな精神世界の言葉に騙されない。
アホな宗教に騙されない。
アホなセミナーに出ない。


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