ある気功師・50
親子といえども痛みは共有できない。
個体は別々な肉体だ。
想像できても共有はできない。
だから私が感じた、いや体験した痛み。
それは母と同じ痛みではないだろう。
同じではない痛みが移ってきた。
共有の証明はできないが共有したと直感した。
例えれば数千本の針を一度に刺された痛み。
心臓に悪いような痛みだった。
母の痛みは、こんなに強いものだったのか。
その痛みは受ける痛み。
いきなりの衝撃の感覚。
だが、それだけではなかった。
手から、というより指から何かが出ている感覚もあった。
無感覚から突然の覚醒。
ある意味、私はこの日自分が気功師だと信じる事ができた。
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