当広場6/12でも触れたNHK 「ネットワークでつくる放射能汚染地図」で紹介された放射線衛生学の専門家、木村真三さん=写真。
木村真三さんは、出生地、学歴などご自身の経歴を詳細を公開していません。ようやく最近Wikipediaに登場しましたが、まだ不十分。ブログも見当たりません。そのせいか当ブログに検索でたどり着く方が日増しに多くなっていますので、少し木村さんについて知る限りをまとめてみました。
【木村真三】(敬称略) 44歳(2011年10月25日現在)
愛媛県広見町(現 鬼北町)生まれ。父は町職員、母は保育園長
小学校から高校までは地元。九州工大(二部)金属材料専攻
北陸先端科学技術大学院大学(薬物伝達研究)修士課程修了
北海道大学大学院(パーキンソン病メカニズム研究) 学位理学博士
1999年 (独法)放射線医学総合研究所(任期付き研究員)
2004年 同研究所退職 (その後2年7カ月塗装工)
2007年 (独法)労働安全衛生総合研究所(研究員)
2011年3月 退職し福島原発調査入り。北大医学部非常勤講師
2011年8月 獨協医科大学 国際疫学研究室 准教授
4才児の父。
(『週刊現代』2011年7/9号、朝日新聞2011年10月連載「プロメテウスの罠」などを参照)
福島では、地元の農家の人たちに厳しい数値の線量結果を知らせることになる。農家の人たちはそれを聞き肩を落とすも木村さんには感謝しているという。木村さんから真実を教えてもらうまでは、情報不足で間違った危険な判断さえしていたからだ。それに木村さんが職を失ってまでも現地調査に打ち込まれている熱意を人々は知っている。
木村真三さんが、まだ放射線医学総合研究所に入りたての1999年9月に東海村JOC臨界事故が発生した。この時、放射線医学総合研究所を管理していた科学技術庁(現在の文科省)は、現地入りをしようとした研究者にストップをかけた。木村さんはこの時の経験から、今回の原発事故では、いち早く現地入りを果たそうとした。ところが今度も上から、調査行動を慎むよう指令が出た。しかたなく木村さんは、辞職して福島に向かう・・
それにしても現地の調査を阻む官庁上層部とは、当時も今もいったい何を考えているのでしょう。事故の真相を伏せて、なるべく過小評価にしてうやむやにしようと画策しているかにしか見えません。
木村さんは今、「市民科学者」の育成を考えている。普通の市民に放射線についての知識を深めてもらい、自分たちで正しく線量の測定をしてもらう。」(週刊現代)
木村さんの思いに応えて、私も市民科学者とまでは行きませんが、“線量計測定見習い”をめざそうと思う。参考『測ってガイガー』のメンバーになりました。
木村さんは、控えめな人だ。自分はただの水先案内、他の一流の研究者さんの解析があっての調査活動、と自身が注目されることにあくまでも躊躇されている。そこがまた彼の良いところ。まさにこの人も GJ(Good job)!!