大正浪漫を代表する画家・竹久夢二の最高傑作と言われる、『黒船屋』の夢二美人
を模写(模写と言っても鉛筆にパステル)してみました。
線が細く、伏し目がちで、潤う瞳の憂いを帯びた女性は、とても魅力的です。
実際に模写してみると、和服の美女に甘えるように身を委ねた黒猫が、なん
とも象徴的かつ魅力的な作品となっていることを実感させられます。
(竹久夢二)
竹久夢二は、孤独な漂泊者として、その生涯を終えた画家であり詩人でもある。
女性・自然、そしてまた一冊の聖書の内に「癒し」を求める旅人であったともいえよう。
その足跡は、東北から九州まで広く、旅先で様々な絵を描き残している。
特に哀愁漂う古びた港や海、芸妓といった画題を愛し、絵や詩に書いている。
夢二が最も強くその足跡を残した金沢では、我が子の療養のために、最愛の妻:彦乃
達と共に、都会の喧騒を逃れて山里で暮らしたひとときは、おそらくは生涯において最
高の旅であったであろうと言われている。
夢二の心に安らぎを与え、良きモデルにもなった妻:彦乃は、夢二にとって 「永遠のひ
と」であり、この彦乃をモデルとして夢二の画風が確立されて行く。
自分を「河」そして妻:彦乃を「山」と呼び、夢二は特にその晩年、山の絵を好んで描い
ている。
最愛の女性を山の絵に託し、そこに終わることのない「永遠の縁」を求めようとしたの
だろう。
夢二の絵の、最大の特色は、いうまでもなく女性の絵に見られる。
いわゆる夢二式美人画は、細くしなやかな肉体、長い睫毛に囲まれた大きな瞳、物憂
げな表情、この妻:岸たまき(最初の妻)をモデルとして初めて誕生したもだと云われる。
こうして多くの美人画を描き続けながらも、夢二が自らの内に創り出した「理想の女性
美」を現実の女性の中に発見することができなかった。
夢二の描く女性像のすばらしさは、夢二が女性を描く時、単に外見の美しさだけでは
なく、内面に隠された深い哀しみ、夢二自身の哀しみ、そして普遍的な人間の哀しみ
をも伝えようとしたところにあろう。
大正7、妻:彦乃は結核に倒れ入院するが、彦乃の父親によって面会を断たれ臨終に
立ち会うことは叶わなかった。
夢二が、後に歳を聞かれた際に・・・「私は37の年で死んだことになっているんです・・
・・彼女が25で、私が37で死んだのです」、つまり彦乃が死んだ時点で自分も死んで
しまった。と・・・・・・あとは「ただぼやんと、生きているだけさ・・・」と言ったという。
夢二に、ここまで告白させた「彦乃」という女性は、夢二にとってはまさに「永遠のひと」
であった。
そして、二人で訪れた金沢の湯涌は、いつまでも「懐し」の地として、夢二の胸に深く刻
みこまれていたのである。
(出典:金沢文化振興財団「金沢湯涌夢二館」)
~今日も元気で行きましょう~