撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

特急きりしま16号 付 ロシア紙の反プーチン記事

2022-05-11 04:50:58 | 鹿児島
2021年10月12日(火)17時発のカゴシマシティビューに完乗して


18時20分、鹿児島中央駅に至った。


在来線ホームへ移動し

18時28分発の宮崎行き 特急きりしま16号の自由席に乗車。何とか座れたが車内は帰宅の乗客で満席、写真は撮らず。

話は変わってロシア戦勝記念日に関する日本では多分出てこない報道、ラトビアのロシア系ニュースサイト メディアゾーナから紹介する。
以下、自動翻訳概略、誤訳御免 下線部はリンクさせた。
2022年5月9日 11時29分配信 Lenta.ru「哀れな独裁者プーチン」と「意志の弱いロシアのエリート」に関する記事をWEBで公開 以下自動翻訳概略

・ウラジーミルプーチンとウクライナでの戦争を批判する、10以上の資料がLente.ruに掲載されました。現在はサイトから抹消されていますが、メインページのコピーはWebアーカイブに保存されています。

・これらは、「プーチンが21世紀の血なまぐさい戦争のひとつを始めた」、「ウラジーミル・プーチンは哀れな独裁者、被害妄想に陥った」、「ロシアのエリートは取り巻きのおべっかにうんざりしている」「戦争は経済の失敗を隠すには簡単な方法」という見出しのニュース記事です。

・記事は、「上層部の許可を得ておらず、そのために大統領府の検閲に引っかかる」という記載から始まり、「経済学」と「環境」の報道部門の責任者であるイゴール ポリャコフと、編集者であるアレクサンドラ ミロシニコワが署名しています。


Lenta.ruといえば、反プーチンジャーナリストのガリーナ ティムチェンコ氏が2014年3月に他のスタッフ38名と共に解雇されるまで編集長として勤務していたオンライン新聞だ。ゆえに、Lenta.ruの内部に反プーチン派が残っている可能性はあるであろう。
ティムチェンコ氏は同年10月、解雇されたスタッフ20名と共に、ラトビアに日本でもたびたび目にする反プーチンネット新聞 Meduzaを立ち上げる。

この記事は大本営発表ばかりのロシアマスコミにあって、 ウクライナ政権はナチである ウクライナ侵攻はドンバスのロシア系住民の保護のため、この作戦の責任はNATOにある とのロシア政府主張の矛盾を理路整然とついた辛辣なプーチン批判を展開している。

圧倒的多数ではあるとはいえロシア人全員が、ウクライナ侵攻を、プーチンを支持しているのではない。
ロシアにもまだジャーナリズムは生きていた
とは筆者の所感。
そして、この記事を書いたポリャコフ氏、ミロシニコワ氏が無事であることを願う。

カゴシマシティビュー

2022-05-10 05:34:30 | 鹿児島
2021年10月12日(火)鹿児島中央駅前のバス停から


16時56分、17時発のカゴシマシティビューに乗車した。最終便17時30分の1本前である。

カゴシマシティビューは鹿児島市内の主要観光スポットを回る循環バスなのだが、観光しようというのではなく、次の目的地に向かう列車の時間に1時間半ほど余裕があって鹿児島市営交通(バス、電車、シティビュー)の1日乗車券600円を購入していたので、乗ったのである。
普通ならマックに入ってコーヒーでも飲みながらパソコンで仕事でもしようかというのが真面目なサラリーマンなのだろうが、筆者の場合そうは問屋が卸さないのである。



乗客は



筆者以外だれもいなかった。

駅を出て次の 維新ふるさと館前 で運転手交代。
外もだんだん暗くなってきて、城山、西郷洞窟前、西郷南洲顕彰館前 といった観光スポットを回っていくが、誰も乗ってこず、筆者も降りないので恐らく運転手も薄気味悪かったのではなかろうか。



17時50分、仙巖園(磯庭園)到着



出発して50分、ようやく何人かが乗車してきた。なぜかホッとした。
これ以降、停車するバス停毎に乗り降りがあって車内の寂寥感もなくなった。



錦江湾に浮かぶ桜島を眺め



桜島からやってきたフェリーを眺め、鹿児島中央駅へ向かったのであった。

話は変わって昨日のロシア戦勝記念日でのプーチン演説ではウクライナに対する宣戦布告はなかったようだが今度どうなるか、予測は難しいところであろう。

若き薩摩の群像

2022-05-09 03:56:10 | 鹿児島
2021年10月12日(火)鹿児島大学から電車に乗って鹿児島中央駅で降りた。


16時53分、鹿児島中央駅前で 若き薩摩の群像 を見た。1982年(昭和52年)建立



1865年(慶応元年)薩摩藩は留学生として青少年15名を選抜し、使節団4名を加え、計19名の 薩摩藩遣英使節団 をイギリスに派遣した。留学生15名は 薩摩藩第一次英国留学生 または サツマスチューデント とも呼ばれ、最年少は長沢鼎 13歳であった。



若き薩摩の群像の横から駅前より伸びる通りを見た。



そして鹿児島中央駅を見た。

彼らがイギリスに留学したのち、我が国は急激な近代化を成し遂げたが、時とともに軍国主義へと傾いていき、朝鮮中国へ侵出、東南アジア侵攻に至る。その後、敗戦を機に平和国家、民主国家となり今に至っているのである。
発展した鹿児島中央駅前を中高生が行き来する平和な光景を眺めながら、若き薩摩の群像は「おいたちの苦労も報われたごたっなあ」と安堵しているように見えたのであった。

ところで本日はロシア戦勝記念日で、日本時間の午後からパレードがロシア各地で行われるらしいが、プーチンがどの様な演説を行うか世界の耳目が集まっている様だ。
ウクライナへの宣戦布告はないとロシア大統領スポークスマンのペスコフが発言していたが、気になるところではある。

鹿児島大学 総合研究博物館 内部

2022-05-08 04:50:37 | 鹿児島
2021年10月12日(火)鹿児島大学総合研究博物館に入館


受付。写真には写っていないが女性がおられた。学芸員の方と推測。入館名簿に住所と名前を記入したと記憶。
建物は2階建てである。


まずは1階の展示を見学

土器や



埴輪が展示されてあった。受付の女性に伺ったところ、ここ 鹿大郡元キャンパスの敷地内から出土したものもあるとの事だった。



昔の光学機器なども展示してあった。



2階へ上がる。



2階展示室



化石類が主に展示してあって鹿児島の地層の説明なんかもあり興味深く拝見、受付の女性にお礼を申し上げ博物館を後にした。



鹿児島大学総合博物館の開館時間は10時~17時で入館は16時30分まで、入館無料。日、月、祝日及び年末年始は休館日である。

これにて、拙ブログで取り上げた大学の博物館は、東京海洋大 百周年記念資料館(無料)、早稲田大 會津八一記念博物館(無料)、京都大 総合博物館(有料)、大阪大 総合学術博物館(無料)に次いで5校目、佐賀大 美術館(無料)まで含めると6校目であったがそれぞれに特色があって、いずれも記憶に残る素晴らしい施設だった。

が、しいて言えば自由に持ち帰られる栞が置いてあった早稲田大、アンケート用紙に記入して受付に提出すると特製のクリアファイルがもらえるここ 鹿児島大が一歩リードと思えたのは、風流の心からではなく、オマケにつられる貧乏人根性からなのであった。

鹿児島大学 総合研究博物館

2022-05-07 05:40:58 | 鹿児島
2021年10月12日(火)鹿児島大学散策は


16時02分、総合研究博物館に至った。外に何か置いてあるので見てみた。



菱刈鉱山から出た金鉱石であった。重量およそ4トン、日本最大の金鉱石標本だ。もちろん、削って金を採ろうなどという犯罪行為はしませんでした。



金鉱石の左には、国指定登録有形文化財の銘板。1928年(昭和3年)に前身の鹿児島高等農林学校の図書館書庫として建てられ、2003年(平成15年)に改修、2006年(平成18年)に登録された。


中に入る。

入館の際はスリッパに履き替える。



展示品の撮影は自由、ブログに書くのも自由、入館無料という太っ腹である。
続きは次号にて

鹿児島大学構内

2022-05-06 03:48:28 | 鹿児島
2021年10月12日(火)鹿児島大学の構内を散策


北辰通り、メインストリート。大学HPによると250mにわたってワシントンヤシが植えられている。名前の由来は鹿大の前身校のひとつである旧制第七高等学校造士館の寮歌「北辰斜めに」から取られたものと思う。
写真左手にあるは図書館、立派な建物である。北辰通りのかなたに聳え立つ茶色の建物は大学通りという大きな通りを挟んだ向こう側にある教育学部である。



振り返って北辰通りから正門方向を見る。写真右手の庇がある建物は確か稲盛アカデミーだったと思う。



銀杏並木通り。大学HPによると長さ約360mにわたりイチョウが植えられているそうだ。



見えにくいが、玉利池。鹿児島大のここ郡元キャンパスは旧鹿児島高等農林学校の敷地でこの池は高等農林学校時代からあったもので、当時はもっと大きかったらしい。池の名前の由来は初代高等農林学校長 玉利喜造氏にあるのだそうな。



池の近くにこのような薄暗いところがあったので入ってみた。



ごく一部ではあるが、ジャングルの様だった。



ジャングルの様相を呈していたのは実は植物園。看板の説明では、鹿児島高等農林学校が設置された1909年(明治42年)に玉利校長の命で建設が開始され、1919年(大正8年)にようやく完成した人工林であり、約300種の樹木が茂っているとの事。



東京の明治神宮の森もしかり、人工林でもここまで木々が生い茂るとは、自然の力はスゴイものであると感心しながら植物園を抜けた。


お次は

稲盛記念館。3階建て、カフェやレストラン、会議室がある。
鹿児島大学工学部の前身である鹿児島県立大学工学部OBである京セラ創業者の稲盛和夫氏の寄付により建てられたものだ。
鹿大構内にはいくつか 稲盛氏の姓が冠せられた施設や建築物があったが、相当な寄付をしたのだろう。母校愛にあふれた氏の人柄が感じられた。



学外の方もご自由にお入りくださいとある。中をのぞいてみたら高級感あふれる店内で、品の良いマダムがコーヒーを飲みながら本を読んでいたりして、作業着姿に安全靴、リュックを担いだハゲおやじが入っては他のお客様のご迷惑になるは必定と思い断念した。



稲盛記念館を見て鹿大構内をいったん辞去し、公道を歩いて再び正門方面へ向かったので以下次号

鹿児島大学 奄美の高倉

2022-05-05 03:41:03 | 鹿児島
2021年10月12日(火)鹿児島市は天文館から電車に乗って唐湊という電停で降りて


15時53分、鹿児島大学正門に至った。正門から見えるのは鹿児島高等農林学校を起源とする歴史と伝統を誇る農学部である。

出張業務の空いた時間には訪問した土地の中心街と駅、そして大学を可能な限り訪れる事にしている。その土地の繁栄度をうかがい知ることができると個人的に思っているのがその理由だ。



国内にあっては北は北海道大学、南は長崎大学まで19校を拙ブログでは取り上げたが、この鹿児島大学で20校目となる。
中国の雲南大学、タイのチュラロンコン大学を含めたら22校目となるが、東京のお茶の水女子大だけは警備員に入構を拒否され、道路から校舎の撮影をしただけなので正確には21校目かもしれぬ。
*お茶の水女子大は男女問わず、教職員、学生といった関係者でなければ入構を拒否される。



正門に教員免許更新講習の案内地図があった。地図下の赤い長方形の印がある位置が正門である。
この敷地には、農、共同獣医、理、工、法文の5学部がありその面積は大学HPによると233,630㎡という事である。
大学通りという道路を挟んだ向こうには、教育学部と体育施設、付属学校園があってこちらは118,265㎡、合わせて6学部と付属学校園がある351,895㎡のキャンパスを郡元地区と称している。

他に医、歯、水産の3学部が別に存在しており、合計9学部を誇る総合大学で、九州では12学部を有する九州大学、10学部の長崎大学に次ぐ学部を有するマンモス大学だ。


正門を入ってすぐ右側に

水木しげるのマンガに出てくるみたいな藁ぶきの建築物があった。



奄美の高倉という。現存最古のものらしい。
どこから出入りするのかと思ったがどうやら藁ぶきの下に入って天井に当たる部分に出入り口があってそこから出入りする様だ。
藁ぶきの屋根と見える内部が空間になっていてそこが倉となっているものである。


奄美の高倉を見た後、正門から見て左の方へ進み

右手に農学部校舎の植木、左手に本部事務局を見て



左折し、いよいよ鹿児島大学構内散策を開始、以下次号

天文館

2022-05-04 04:58:12 | 鹿児島
2021年10月12日(火)鹿児島のアーケード街 天文館ばさるいた。


天文館本通り入口



天文館G3入口



天文館本通り。立派なアーケードで賑やかだ。
天文館という名の由来は、江戸時代に薩摩藩の天文観測所がこの地にあったためという。



にぎわい通り


はいから通り、平日にもかかわらず、結構な人出であった。



納屋通り。庶民的な感じがした。



納屋通りを出ていづろ中央交差点にて、いづろ商店街の片側アーケード


時間の都合で断念したが、天文館には上記以外にもアーケード街があって

11の商店街のアーケードが四方に伸びる形で概ねつながっており、その延長は全蓋式アーケードだけで1,485m、片側式アーケードまで含めると3.1kmに及ぶという巨大なもので、高級な店から地元の人が利用する商店、観光客が立ち寄りそうな店まで様々あり、非常に印象に残るアーケード街であった。
*太字部出典:鹿児島市役所HPの都市計画資料より

余談であるが、奥様が香港人の会社の同僚に天文館の話をしたら、鹿児島未経験の奥様が非常に興味を示したそうで、お子さんがいない身軽さから急遽の鹿児島夫婦旅行を敢行する羽目となり、スイーツ大好き奥様が白くま かるかん といった鹿児島スイーツや黒豚とんかつ、きびなご といった鹿児島料理を食いまくって大満足だったと感謝されたが、財布的には痛かったと冗談半分の文句も言われてしまった。


アーケード街を逆戻りして

15時17分、天文館通り電停から電車に乗って次の目的地に行ったので以下次号

山形屋デパート

2022-05-03 05:30:54 | 鹿児島
2021年10月12日(火)鹿児島市中央公民館から歩いて


15時03分、山形屋を見た。立派な建物で古いものかと思ったが、1998年(平成10年)に外壁をルネサンス調に改装した新しい建物なのだ。
この山形屋、市民に愛される鹿児島の地元デパートで、入ってみたが平日であったのに結構賑わっていた。
また宮崎にも店があり九州内のデパートでは、小倉の井筒屋、博多の岩田屋、大分のトキハ、熊本の鶴屋といった巨人と並ぶ規模といえよう。その他の九州地元デパートとして佐賀と佐世保には玉屋、我が長崎には浜屋というデパートがあるがこれらは商圏規模から規模的には少し小さい様に思うが、いずれも地元で愛される店に変わりはないであろう。

ちなみに山形屋は やまたや かと思ったら、やまたや と読むそうで、己の不明を恥じたのであった。



そして山形屋の横の横断歩道上にはグーグル地図写真では確認できなかった屋根があって



そのまま山形屋横のアーケードへ入れる様になっていた。最近できたのであろう。
この後、鹿児島のアーケードを歩いてみたので次号へ続く。

旧鹿児島市公会堂

2022-05-02 05:09:11 | 鹿児島
2021年10月12日(火)14時48分、西郷隆盛銅像の道を挟んだ反対側にある


旧鹿児島市公会堂を見た。
1926年(大正15年)8月に起工、1927年(昭和2年)10月に完成したものだ。
筆者にとっては学生時代に部活の鹿児島遠征の折に立ち寄ったことがあり、個人的には懐かしい場所である。
また日本テレビ放送網の 嵐にしやがれ という番組で、長渕剛と相葉雅紀がロケをしていて、デカいジープで乗り付けた長渕剛が「ここが歌手としての出発点だった」という事を熱く語っていたような記憶があるのだ。
 


今は鹿児島市中央公民館として活用されており、国指定登録有形文化財となっている。