撮りさるく

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カンチャナブリ07

2008-02-28 23:17:22 | タイ王国
なぜ今回カンチャナブリ行きを思い立ったか。それは昨年7月と11月に訪れた際、見残したものがあるからです。以下、昨年の記録。

この街を流れるクワイ河には映画「戦場にかける橋」のモチーフとなった、鉄道の鉄橋があります。この鉄道というのは第二次大戦中、ビルマ方面に侵攻していた日本軍への物資輸送の目的で作られたもので、「泰緬鉄道」として有名。突貫工事で多くの連合軍捕虜、及びタイ、フィリピン、インドネシア、マレー半島、ビルマやベトナムから連れてこられた労務者の人たちが日本軍によって虐待、酷使され沢山の方がなくなられたそうです。

到着後最初の訪問地、JEATH戦争博物館。JEATHとは Japan England Austrarlia Thai Holand、の頭の文字をとったもの。いうなれば「日英豪泰蘭戦争博物館」です。入館料は確か30バーツだったかと記憶。戦時中、軍属としてカンチャナブリ捕虜収容所で憲兵隊通訳として働いていた日本人の方が、戦後、日本軍による捕虜虐待の贖罪の意味を込め、自費で有志の方とともに近くの寺院ともども設立したものらしいです。

中には捕虜の遺品や当時の生活道具、武器、スケッチ、写真が展示されており、手作りの博物館といった感じ。見学者は圧倒的に白人が多く、涙を流している方さえいました。この白人青年は同じ展示物の前から10分くらい動きませんでした。展示物は日本人にとってはかなり いたたまれない内容で、我ながらよく1人で行ったもんだと今にして思う。ちなみに中は撮影禁止、外から失礼しました。

鉄橋へ向かう途中にある、日本軍が建てた 鉄道建設事故でなくなられた方の為の慰霊塔。

碑文

続いてクワイ河鉄橋のそばにある第二次大戦博物館へ。日本軍使用の蒸気機関車。ここまでは無料、この奥から入場料40バーツと記憶。

展示パネル。
この中で何人の方が生きて家族の待つ家へ帰る事ができたのでしょうか。

展示されている絵。

日本兵の拷問を受ける捕虜を描いた絵。

日本兵監視下で働く捕虜の人形。

貨車に監禁される捕虜の人形。

鉄橋完成後、米英軍がしきりに鉄橋を爆撃に来るので、業を煮やした日本軍は捕虜を鉄橋の上やその周りに並ばせ、盾にしたそうですが、米英軍はかまわず爆撃を行ったそうです。
この第二次大戦博物館は地元のお金持ちが建てたもので、タイの民俗的歴史的展示物や仏教関連の展示物もあり、容赦のないJEATH博物館と比べれば日本人に対する針のムシロ度もまだやわらかい感じがします。

市街地から5キロほど離れたチョンカイ連合軍墓地。1,800人ほどの捕虜のお墓があります。イギリス軍、オーストラリア軍、オランダ軍の方々のお墓がほぼ等分にありました。

市街地から離れているので訪れる人は少ないらしいですが、しっかり整備されています。

以上が昨年の訪問記。そして今回の訪問記へと続く。