2023年6月22日(木)北海道出張、業務の合間を見て

12時55分、支笏湖畔は山線鉄橋に至った。

説明看板

渡ってみた。

渡って支笏湖畔側から山線鉄橋を見た。

支笏湖も見た。来てみて気づいたのだが、ここは2022年11月5日にNHK総合テレビで放送されたブラタモリ 「苫小牧はなぜ日本有数の工業都市になった?」のロケで、タモリが歩いていた場所なのだ。
ブラタモリファンである同行者のH氏は苫小牧の回は見逃したそうで、悔しがっていた。

山線鉄橋の説明看板。1899(明治32)年、北海道官設鉄道上川線の空知川に架けられた「第一空知川橋梁」であったものを王子製紙が払下げを受け、1924(大正13)年頃に現在地へ設置し、支笏湖 苫小牧間を走った軽便鉄道に利用され、1951(昭和26)年まで利用され、1997(平成26)年に復元され今に至るとの事である。

千歳川の方から見てみた。

もと来た方へ戻る。


パテントシャフト&アクスルトリー社 1899年 水曜日 と銘板にあった。お雇い外国人であったチャールズ・アセトン・ワットリー・ポーナル技師(1848~1920)設計による英国製だ。

近代化産業遺産だった。

橋を渡る。千歳川で潜水服を来た3人、男性ふたり、女性ひとりが何か調査をやっていた。

12時55分、支笏湖畔は山線鉄橋に至った。

説明看板

渡ってみた。

渡って支笏湖畔側から山線鉄橋を見た。

支笏湖も見た。来てみて気づいたのだが、ここは2022年11月5日にNHK総合テレビで放送されたブラタモリ 「苫小牧はなぜ日本有数の工業都市になった?」のロケで、タモリが歩いていた場所なのだ。
ブラタモリファンである同行者のH氏は苫小牧の回は見逃したそうで、悔しがっていた。

山線鉄橋の説明看板。1899(明治32)年、北海道官設鉄道上川線の空知川に架けられた「第一空知川橋梁」であったものを王子製紙が払下げを受け、1924(大正13)年頃に現在地へ設置し、支笏湖 苫小牧間を走った軽便鉄道に利用され、1951(昭和26)年まで利用され、1997(平成26)年に復元され今に至るとの事である。

千歳川の方から見てみた。

もと来た方へ戻る。


パテントシャフト&アクスルトリー社 1899年 水曜日 と銘板にあった。お雇い外国人であったチャールズ・アセトン・ワットリー・ポーナル技師(1848~1920)設計による英国製だ。

近代化産業遺産だった。

橋を渡る。千歳川で潜水服を来た3人、男性ふたり、女性ひとりが何か調査をやっていた。