2021年8月4日(水)牛久市観光アヤメ園から
結構狭隘な道をレンタカーでノロノロ走って
13時00分 レンタカーを6台分ある無料駐車場に止めて
駐車場から公衆便所の前を抜けて車止めの左手に
改善一歩の道標を見た。
説明板によると、地元の青年らが道標を建てる計画をしていた事を知った牛久在の著名な画家であった小川芋銭が上等な石柱を寄付したという。寄付に感激した青年らが芋銭の名を刻もうとしたら、芋銭自ら「改善一歩と記しなさい」と言ったのでそのようにしたという、大正11年、1922年の事であったそうな。
車止めを右に行くとベンチがあって涼をとれるようになっていた。
そして右側にあったのは
これである。表面が風化していたが、良く見たら観光アヤメ園と三日月橋にあったカッパ像の体育座り姿ではないか。
傍の石碑には「芋銭子河童碑」と刻んであった。牛久ゆかりの画家、小川芋銭は好んで河童を描いたという。
説明板によると河童の碑は芋銭の死後、芋銭の生前の偉業を讃えんが為、昭和27年に建てられたもの。戦後のものでさほど古くはないが、牛久市の文化財となっている。気になるのはだいぶ風化が進んでいるようで、補修したが良いように感じた。
改善一歩と河童の碑を見学した後、この道を通って小川芋銭旧宅に向かったので以下次号。
結構狭隘な道をレンタカーでノロノロ走って
13時00分 レンタカーを6台分ある無料駐車場に止めて
駐車場から公衆便所の前を抜けて車止めの左手に
改善一歩の道標を見た。
説明板によると、地元の青年らが道標を建てる計画をしていた事を知った牛久在の著名な画家であった小川芋銭が上等な石柱を寄付したという。寄付に感激した青年らが芋銭の名を刻もうとしたら、芋銭自ら「改善一歩と記しなさい」と言ったのでそのようにしたという、大正11年、1922年の事であったそうな。
車止めを右に行くとベンチがあって涼をとれるようになっていた。
そして右側にあったのは
これである。表面が風化していたが、良く見たら観光アヤメ園と三日月橋にあったカッパ像の体育座り姿ではないか。
傍の石碑には「芋銭子河童碑」と刻んであった。牛久ゆかりの画家、小川芋銭は好んで河童を描いたという。
説明板によると河童の碑は芋銭の死後、芋銭の生前の偉業を讃えんが為、昭和27年に建てられたもの。戦後のものでさほど古くはないが、牛久市の文化財となっている。気になるのはだいぶ風化が進んでいるようで、補修したが良いように感じた。
改善一歩と河童の碑を見学した後、この道を通って小川芋銭旧宅に向かったので以下次号。