撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

小肥羊にて羊しゃぶしゃぶを食った

2012-09-05 23:55:47 | 中華人民共和国
8月22日(木)、昨日に引き続き生産委託工場にて打ち合わせ。


お昼は作業員の方々と同じものを頂く。美味


豆腐のスープ。美味

さて、ひと仕事終えたその晩、地元社員の案内で羊のしゃぶしゃぶを食べに行く。


店の名前




店内


羊肉


半分凍っていた。地元社員の説明によると内モンゴルから運んできているらしい。


赤いダシは辛い


しかしうまい


羊肉の串焼き。美味

赤いダシにつけて沢山頂いたところ、翌日以降、トイレに行くたびおケツがヒリヒリ。汚い話でスイマセン。

上海 スカイフォーチュンブティックホテル

2012-09-04 19:45:03 | 中華人民共和国
8月22日(水)に 中華人民共和国は上海へ出張しました。5日前に決まったという急な出張で、急な出張というのは大体もめ事が多く、今回もまさにその例に漏れず。
日本から開発担当、貿易担当とワタクシ3人で暗い顔のまま浦東国際空港へ降り立ち、現地法人のローカル社員と合流してホテルへ


まずは部屋へ入り荷物を置く。ベッドがやたらでかい。日本人なら大人3人は確実に寝られます。


部屋は広いが少し薄暗い。とりあえず荷物を置き


ホテル近くでお昼を済ませ、生産委託工場へ打ち合わせに向かう。

なんとか最悪の事態を避けることに成功、その後日中双方で会食

















会食後、ホテルへ帰って改めて部屋を見回す。


風呂、シャワー、トイレ、洗面所。駐タイ時に接待で行ったプーケットのゴルフ場のホテルを思い出した。


ホテルの玄関を入ったエントランス


ロビー。左側にフロントがある。


エレベーターホール




外観。中国名は上海天禧嘉福璞客酒店。五つ星ホテルだそうで、フロントの対応は可もなく不可もなく。掃除のおばちゃんやルームメイクのお姉さんはフレンドリーで会うたびに笑顔で挨拶してきた。


対面にあったホテル。スカイフォーチュンより安そう。ここでもよかったけどなあ。

呉市 海上自衛隊呉資料館

2012-09-03 20:30:05 | 広島
さて、大和ミュージアムの前に

潜水艦がぼ~んと置かれておりまして


その実体は海上自衛隊の史料館であります。入場無料ゆえ入ってみます。
1階はロビー、2階から展示室でありまして


2階は掃海活動に関する展示であります。


太平洋戦争中に周囲を機雷封鎖されたという歴史から、日本の掃海能力は世界一とされております。








3階は潜水艦に関する展示です。


寝床の再現


食事の再現。うまそう。過酷な環境下ですので乗組員の方々にはしっかりと栄養をとって頂きたい。

そして3階から実は

例の潜水艦に入れる様になってます。


艦内厨房


潜水艦操縦席


潜望鏡


艦長室。狭い。

狭い潜水艦の艦内を見て、国民の生命と財産、国土を守る為に日夜活動を続ける自衛官の方々のご苦労の一端を感じることができ、非常に有意義でありました。


この潜水艦は あきしお というそうです。


そして史料館の出口ではアンケートに答えると粗品(ピンバッジ)がもらえます。リクルートも兼ねておりました。

呉市海事歴史科学館

2012-09-02 17:13:47 | 広島
いつの間にやら当ブログのご訪問者数が延べ10万を突破したしました、厚く御礼申し上げます。
さて8月19日(日)、宿を出まして最初に訪れましたのは


呉市海事歴史科学館 俗称 大和ミュージアムであります。


外観


お約束

さて館内でありますが、呉の歴史に始まり


戦艦大和関係の資料。写真は引き上げられた大和の備品です。他に戦死した方々の遺品、遺書なぞもありますがこれらは撮影禁止となっています。


さらに戦後復興期の呉の様子や


造船業の繁栄の様子なぞがあります。

再び時代をさかのぼり、軍港として発展した市の一面を表すものとして


運用開始当初は世界最高とうたわれたゼロ戦


特攻用小型潜水艦 海龍


これも特攻兵器の人間魚雷 回天

等、日本海軍の兵器が展示されております。


さらに波発生機や


船の揺れを体感できる器具など、子ども向けの設備も充実しております。


海側からみたミュージアム。海側には


深海探査艇や


水中翼船も展示されております。


館内にある戦艦大和の大型模型。

1945年4月6日、戦艦大和は巡洋艦1、駆逐艦8を従え、呉を出港、沖縄へ「水上特攻」に向かいました。呉出港後には早くも米潜水艦に補足され、大和の動きは米側に筒抜けだったとかで、4月7日には米航空部隊の攻撃により僚艦5隻と共に沈没しました。
沖縄本島の海岸に突っ込み、口径46センチというその巨大砲をもって上陸した米地上部隊を砲撃、その後乗り組み員は全員上陸し白兵突撃をもって米軍を殲滅するというおよそ馬鹿げた作戦の途上、4,000名近い貴重な人命が失われたのであります。

何かの本で読んだ生存者の方の「米上陸部隊に向かって砲を撃ったら沖縄の人も沢山死ぬだろうなと思った」という言葉が強く印象に残っている。
当時の日本政府、軍が守ろうとしていたのは少なくとも国民の生命でなかった事だけは確かなようで、そのような状況下でなくなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、我々が今何をすべきか、考えさせられた貴重なひと時でした。

広島県呉市へ行った

2012-09-01 12:57:45 | 広島
8月18日(土)、長崎帰省Uターンの二泊目は広島県呉市であります。


あけて19日(日)、早朝に宿より見た商店街付近。


れんがどおりという


結構立派なアーケードです。


道巾も広く立派です。さて宿を出ました後は市内観光致します。