毎日、行列して急いでかっこむ500円のランチをつづけるよりも、
自宅からおむすびを結んできて、
3日に1度、並ぶこともなくゆったりしているフレンチ店の
1500円のランチの口福に浸るほうがずっと心身に佳かろう。
やはり量より質で、たくさんかっ食らっちまうのは物足りないからに他ならない。
味つけがよくても、元素材が貧弱な安物で栄養不足のために
体は沢山食べて養分をかき集めたいという意識かもしれない。
自身の風呂敷講座にしても、僕は真面目に人生のあらゆるシーンで役立つと確信し
15年間の研鑽と経験から選りすぐりのエッセンスを伝えているので、
もしも実習費を100円にして、参加者の頭数は増えたとしても、
100円きぶんの姿勢で受講するのはもったいないと思う。
値段によって、ものやサービスを受けとる人の意識までが変わり、
意識が行動や習慣を変えて、その人への貢献につながるから、
価格設定はとても大切。結局はどう感じてほしいか、
何に氣づいてもらいたいかが値段を決める。
そうなると、個人的に自分の風呂敷講座は
2時間で1万5000円以上でも元がとれるほどの技術と思っている。
ただ、やはりこの浮き世は3次元の世界であるから、
目に見えて、形あるものに価値を置きやすい。
いちまいで1万5000円の風呂敷なら、さような高級品もありなんと
理解されるだろうが、その多様な結び方の実習が同価格としたら、
何でそんなに高いの?と疑問符をいただくだろう。
あらゆる位相のものたちであぶれ返っている今日、
ものそのものよりも、内蔵されている物語でまた価値が変動するけれど、
そこは嘘も方便となり、おじさんが結んだおむすびを
美少女が結びましたって写真貼って騙されかねない。
本来は、素材と技術の確かさから来る、もの自体の機能が優れているほうが
よいにきまってる。
そこには、当たり前の機能が十全たるとともに、
真に心がこもっているからこそ付加されざるを得なかった、
目に見えないレベルの研ぎ澄まされた機能も同時に存在するだろう。
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