ふろしき王子のブログ◎
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1つ前の日記に書いた、毎日ゲームセンターな高校時代のこと。
いつものように、土曜日の帰りは(学校には内緒ね)
上野広小路のバス停から、山下にあるゲームセンターへと
ひた走っていた。

すると何かが変で、あれ?信号機が、赤でも青でもなく
消えている…

学ラン姿の当時の私、きょとんと立ち尽くしてると、
黒塗りの車がゆったりと進んできた。

見入っていると、数台目の車窓より、お微笑みになられて
御手をお振りあそばされている女性。

その瞬間、反射的に身体が自然と敬礼していた。儀礼ではなく、
普段は皇室に対して興味もなく、意識もしていなかった
尊大で独善的な高校生野郎だったのに、
窓辺より放たれる、あまりにまばゆい愛のアウラに
射抜かれ、細胞レベルの敬愛が生じて、体から反応してしまったのだ。

車の向かい側が、天皇陛下、こちら側が皇后さまであらせられました。

人は肩書きや名誉や序列に対して、損得勘定も含めた
形ばかりの儀礼を表すけれど、
敬愛というのは、言葉や時間を抜きに伝わりあふれるものなんだという
忘れ得ぬ体験となりました。

そして
信号機が復活し、いつものごと
ゲームセンターで、ぷよぷよや格闘ゲームにいそしんだ、
そんな昼下がりだった。

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電車内、スマホあるいはタブレットで、ゲーム(パズル系が多い)を
している大の大人を割合見かける。

僕は、貴重な限りある人生の時間を、こう無駄な浪費するなんて
考えられない。。という私見をよぎらせつつも、
我が身を振り返れば、幼稚園のときにファミリーコンピュータが
家に来てからというもの、二十歳近くまで日々ゲームをたしなみ、
高校時代は皆勤賞のごとく毎日のようにゲームセンターへ
勇んで通っていたものだ。

だから、自分こそよほど多くの青春時間をゲームに費やし、
ゆえにやり切って卒業した結果、好奇心のかけらも
残ってないに過ぎないともいえる。

一方、いきもの探しは子ども時分に不完全燃焼だったから、
いまだにカブト虫や東京だるま蛙にわあわあ騒いでいる。

味わい尽くさない限り好奇心を消すことはできない。

アメリカ人に巨乳信奉者が多いのは、
みどり児のころから粉ミルクと揺りかご生活で、
母性を皮膚感覚で十全に堪能しておらず、母への未練があるから
どでかい乳房に胸躍るという説を見たことがある。

ゲームはもはや自分にとって関心が無いから、たしなんでいる方に
今共感できないだけで、
当事者にとっては、仕事の合間の息抜きや癒しであったり、なまっている
部分の集中力や脳みそを活性化するのに有意義だったりで、
無駄と言い放てるものではない。

逆に、ゲームに飽きた人ほど、ゲームを創る側に向いているのかもしれない。

自分の中で楽しく盛り上がっているうちは、
足りない水を注いでいる段階であり、必要な要素を意識、認識できているから
作ってみても物真似や二番煎じとなりやすい。

だから、興味が向かない物事にほど、人はクリエイティブになれるのではないか。

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昨日は相模原で、比較的シニアの方向けの風呂敷講座でしたが、
みな溌剌と元氣で、自発的に教えあったりで、有意義な時間となりました。

最後には、新しい結び方「ふろしきでエリ」を披露しました。

このエリ、色柄や大きさにより様々な印象を楽しめるし、
首下があたたかくなるので、家の中でマフラーするでも
ない、という時にもよさそう。
しかも小風呂敷でできる。

70代以上の方は、結び目が十字の、不安定な縦結びになることが
ぐんと減る。子ども時代には、まだ日常に結びの機会が
多く存在していたのだろう。

そういう、江戸時代から(縄文時代から)の文化と
間近に触れていた方々はうらやましい。

子どもは半数以上が縦むすびになる。

こんど、特別支援学級の生徒さんのため、
結びの仕組みを可視化しやすく、角の色をそれぞれ変えた
4色の風呂敷を手作りする。

端切れ4枚を縫いつなぐ。

縫い物をしたい氣分だったので、ぱぱっと進めていきたい。

近い、立川のユザワヤは改装中かな。
新宿のオカダヤまたは、日暮里で生地を買う予定。

もっと時間を作って、映画を観たり、骨董市を歩いたりしたい。
幼な児がいるとなかなかだけど、そのうちみんなで
てくてく飛んでいきたい。

だけど、今住んでいるまわりをよりよくすることが
イキモノとして大切なことでしょう。

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