それをやっている意義を、たえず自分に言葉でいい聞かせ、納得してるようなもの なんざ、魂では渋々やっているものだ。 好きな理由に関心もなく、呼吸するように 暮らしと交じっている状態があらまほし。
詰めの甘いものほど、コンセプトという 社会的な意味を主張してごまかそうとする。 否、コンセプトを先に置いてしまったが故に 一義的な部品のよせ集めとなって、 宇宙に至らないのだ。
部分と部分がかけ算されて相乗効果を生み、 割り算されると粋になる。 要素を足し算すれば完成するといった錯誤は、 調和を生む匙加減が無いために 存在としての魅力が不足する。
部分と部分の境目の、橋渡しとなっている つなぎ目や鍵穴こそが最重要。 一方は不足でも、もう一方は過剰で あることで、えもいわれぬハーモニーが 醸されることもある。 たとえば、クリームは甘いが チョコレートは甘すぎないことで、 上品なパフェとなるように。
コンセプトという粗雑な言葉にとらわれると、 共鳴せずに近くにあるだけという、 単なる同じ属性の集合となる。 異なる性質によってステージを上げる 隠し味が排除されるおそれがある。
本来、意味と云うものは後づけでしかるべし。 「思うママに没頭してたらできちゃった、 ひとことじゃ表せないけど素適なもの」を、 頭でっかちの人間に合わせる方便として 完成後に仕方なく添えておくもの、 それをコンセプトといいます。
そもそも、意味や感じ方は人それぞれなのに、 それを「提案」と称し押しつけるのは、 存在にエネルギーのない証明となる。 コンセプト主導というスタートは、 終わりのはじまりとなるため、 氣をつけなければならない。
どんなものでもあらゆる意味を含んでいて、 後から好きな意味を引き出すことができる。 それが、言葉のもつ機能。 同じ絵でも、タイトル一つで見え方は いかようにも変わってしまう。 言葉に左右されず、産毛でかんじよう。
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