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『鴻臚館』で語る日本国と日本人(18)

2014-08-12 | アイヌ民族関連
NET-IB NEWS-2014年8月7日10:24
<「流球」と「阿児奈波」>
鴻臚館跡展示館内「遣唐使船の航路」図 「琉球」と「阿児奈波」 中国の史書「隋書」に「流球」と表示されていたのは台湾だ。その後、「瑠求」などと表記され、現在一般に表記されている「琉球」に落ち着いたのは「唐」「宋」「元」を経て「明」代である。台湾から鴻臚館跡展示館に来た客に聞くと、既に台湾に「琉球」表示は残ってないが、今も西南部にリゾートの島「小琉球」が残ると言う。
 「流球」が台湾の事か、それとも台湾を含む島嶼部の事か、という議論が残るが、隋・唐時代の「流球」あるいは「琉球」が、今の沖縄の事ではないことは確かだ。1429年の尚巴志による統一王国「琉球国」の直前、明との交易が盛んになった14世紀には明に朝貢した沖縄地方の事を「大琉球」、台湾を「小琉球」との呼び方が生まれた。
添付地図をご覧いただきたい。台湾を「琉球」と表示する地図上で沖縄本島は「阿児奈波」と表示されている。これを「あこなは」と読むのならまだうなずけるが、一部の学者が「おきなわ」と読むに至っては牽強付会を思わせる。むしろ、今でも沖縄本島の人が自分たちの土地の事を「うちなー」と呼ぶ事の方が、古からの真実を伝えていそうである。NETでは「うちなー」が「内側・内部」を指す言葉との説明が見られるが、これなどまさに、「やまとんちゅ」からの勝手な言い分に聞こえる。
 想像力を発揮していただきたい。7、8世紀の人は、「うちなー」を「阿児奈波」と聞き取り、18世紀の日本人は「うちなー」を「沖縄」と聞き取り、表記しただけの事ではないか。案外単純な事だろう…?私にはそう思える。
 「阿児奈波」の初出は779年淡海三船作の鑑真の伝記「唐大和上東征伝」。これは、753年に鑑真が渡航途中に漂着した「阿児奈波島」が沖縄本島とされているのだ。
 「沖縄」という表示は1719年新井白石の「南島誌」に出てくるのが初出とされる。その数年前薩摩藩の文書にも「沖縄」と出ているのだが、いずれにせよ、「沖縄」表記は当て字に過ぎない。やはり今に残る「うちなー」との音の方が古の真実に近い。
 さて、琉球人もアイヌ民族と同じく、縄文時代から居住していた列島原住民で、弥生人の進出で南北に追いやられた人々である、との論調があるが、それは少し違う。アイヌのように、シベリア・白人系と混血した形跡は見られない。その代わり、源為朝(鎮西八郎)が逃れて来、琉球王家の始祖舜天になったとの正史が残るように、11、12世紀に日本列島から日本人が流入したことは否定し難いようである。言語も文化も、そうして水田稲作技術もその頃、日本から琉球に持ち込まれたようなのだ。弥生時代の到来となる水田稲作技術が、南島から来たとの論が今でも引きずられているが、そんな遺構は一切発見されていない。列島の水田稲作は朝鮮半島を通じて中国江南地方の越人が伝えたのであり、沖縄のそれは、この頃日本から南下した技術なのである。
 だが、1872~1879年の「琉球処分」まで、沖縄は日本の外国であった。(つづく) 【溝口 眞路】
http://www.data-max.co.jp/area_and_culture/2014/08/12472/post_16457_ms18/

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元東京交響楽団奏者 夫婦で富良野にカフェ 演奏会も予定 「地域交流の場に」

2014-08-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (08/06 16:00)
 【富良野】東京交響楽団の元トロンボーン奏者で市内出身の宮本直樹さん(57)と同楽団元バイオリニストの睦さん(56)夫妻が、市内西学田二区にカフェ「halu(ハル)」を開店した。演奏旅行で国内外を訪れるうち、料理への関心と故郷への思いが強まったといい、「音楽も交えながら、地域の人が触れ合える空間にしたい」と奮闘している。
 宮本さんは市内で生まれ、4歳で旭川へ移った。武蔵野音大(東京)卒業後、東京シティフィルを経て26歳で同楽団に入団。睦さんは東京都小平市育ちで、国立音大(東京)卒業後に入団し、宮本さんと出会い、結婚した。これまで関東を中心に年約180回の公演をこなしてきたという。
 「エネルギーがあるうちに次の道を自分たちで選ぼう」と昨春退団。演奏旅行で訪れた地で興味を深めた料理を第二の人生に選び、親類がいたため毎年のように訪れていた富良野に戻った。調理を担う宮本さんは「各地を回ったことで、食も風景も豊かな故郷の良さを再発見した」と話す。
 店は納屋を改装して6月上旬に開店。32席あり、木を生かした内装にクラシック音楽が流れる落ち着いた空間に仕上げた。店名はアイヌ語で「大地から恵まれた食糧」の意味。地元産食材による日替わりのランチプレート(1日15食限定、千円)や、富良野の卵、牛乳、小麦を使ったパンケーキ「ダッチベイビー」(900円~)が人気という。睦さんは「窓から見える十勝岳や田園風景が素晴らしい。ハスカップなど旬の素材を使ったメニューもお薦め」とPRする。
 今後は奏者を招き、店で演奏会を開きたいという。宮本さんは「自分たちも経験を生かして演奏に参加し、地元の人たちと交流できる場にしたい」と話す。
 8月末までの開店時間は午前8時~午後6時。月曜定休だが、同24日までは無休。問い合わせは同店(電)22・1266へ。(松下文音)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki4/555428.html

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消滅の危機に瀕する出雲弁、国語研が学術調査へ

2014-08-12 | アイヌ民族関連
読売新聞 2014年08月06日 19時06分
 「だんだん(ありがとう)」といった特有の言葉や、いわゆる「ズーズー弁」とされる「出雲弁」について、「消滅の危機に瀕ひんしている」方言の一つとして、国立国語研究所(東京都立川市)が島根県内4か所で学術調査を行うことになった。
 出雲弁保存会長でもある藤岡大拙・県立大短大部名誉教授は「出雲弁を話す人は今や70~80歳代が中心。きちんと研究してもらえるのは、すばらしい」と歓迎している。
 同研究所が2009年に始めた「消滅危機方言の調査・保存のための総合的研究」の一環。国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)が「絶滅の恐れがある」と指摘した沖縄方言やアイヌ語の研究を進めており、今年度の調査対象に出雲弁を加えた。
 県文化財課によると、研究者は17日に来県。18日に安来市広瀬町、19日に奥出雲町横田、20日に雲南市木次町、21日に出雲市斐川町を訪ね、地元の60~90歳代の8~10人に同じ単語や文章を読んでもらい、音声学、方言学の専門家が録音、分析する。日常語や文法を記録し、出雲弁の多様性について報告書にまとめる。
 調査にあたる県立広島大の友定賢治名誉教授、藤岡名誉教授らの講演会が20日午後7時から、出雲市役所くにびき大ホールで開かれる。申し込み、問い合わせは同市文化財課(0853・21・6893)へ。(高田史朗)
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20140806-OYT1T50114.html

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文芸のぼりべつ」第33号発刊、道内外76人が執筆

2014-08-12 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年8月6日(水)朝刊】
 登別市文化協会(熊野正宏会長)の「文芸のぼりべつ」第33号が完成した。今号の執筆者は登別はじめ、帯広や東京など道内外の20~96歳の76人。小林碧水委員長=登別川柳協会=は「読み応えがある作品がそろいました。多くの人に楽しんでいただきたい」と購読を呼び掛けている。
 A5判125ページ。構成は登山記1、随筆4、俳句30、創作4、随想1、短歌15、自分史1、詩8、川柳14。題字は登別書道連盟の吉野朴静さん、表紙絵とカットは登別美術協会の長田清さんが担当した。
 山本絢子さんがファンタジーの世界観でつづった「いぬあそび」は思いも寄らない展開が読み手を引きつける。アイヌ民族の部族抗争「シャクシャインの戦い」をモチーフにした、佐々木博義さんの「砕かれた牙」(全5回)が完結。浅野清さんは樺太引き揚げ船内での3家族の苦闘を描く「海鳴りの伝言」(3話目)で、昭和の大横綱の故大鵬幸喜さんが幼少時代の「コウキ」として登場する。
 最高齢投稿の鳴海秋子さんは随筆で90代でも明るく前向きに生活する日常を記す。第30号で監察医の立場から検視の問題点を指摘した当麻鉄彦さんは「物知りおばさん」と題し、医者から見た一部患者の医療分野の介入への葛藤をつづった。
 文芸のぼりべつは1972年(昭和47年)に発刊し、資金難などのため92年(平成4年)から10年間休刊するなど、「限られた財源で編集している」(市文協)のが特徴だ。
 第33号は第32号に比べ10人ほど執筆者が減ったが、小林編集委員長は「まだ書きたい人はいると感じている。これからも文芸の輪を広げていきたい」と意欲を示す。熊野会長は発行の継続のため資金調達手法として「会員制」による援助を検討していることを明かし、「(文芸誌は)登別の文化像を示すもの。若い人にも協力いただきたい」と抱負を語った。
 300部印刷。価格は千円(税込み)。市文協事務局のほか、TSUTAYA登別店(富岸町)、ブックマックス(中央町)で販売している。問い合わせは同事務局、電話0143・85局8886番へ。
(粟田純樹)
【写真=文芸のぼりべつ第33号の購読を呼び掛ける(右から)小林編集委員長、熊野会長、小塚順一事務局長】
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/08/06/20140806m_05.html

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白老元陣屋資料館で特別展、江戸時代奉納絵馬など展示

2014-08-12 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年8月6日(水)朝刊】
 仙台藩白老元陣屋資料館の特別展「北海道の絵馬~東蝦夷地編」が2日から同資料館で始まり、江戸時代に神社やお堂、ほこらなどに奉納された絵馬や神社の軒先につり下げられた仏具の鰐口(わにくち)、奉納者名や願い事が記された棟札(むなふだ)など39点が並んでいる。
 絵馬は約20点。大漁を祈願した帆船が少なくない。ほかにススキを背景にしたキツネ、七福神、地引き網漁、アイヌ民族の儀式の様子、荒波が打ちつける岩場の亀、太陽を背景にした松と鶴など。室蘭、八雲、日高、浦河、厚岸、豊頃の神社などから借り受けた。
 神社を建築・修築の記録・記念として建物内部の高所に取り付けた棟札には「天下太平国土安穏前浜年々鯡大漁」「当国大守御武運長久」「五穀成就」などと書かれている。
 同資料館の平野敦史学芸員は「地域にどのような人が出入りしていたかが分かり、地域を読み解く手がかりになる。どういう目的で奉納物が納められたか、多様性を見てほしい」と話している。
 町制施行60周年、同資料館開館30周年の記念事業。今月末日まで開催。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/08/06/20140806m_08.html

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初の象徴空間運営協準備会合 アイヌ民族の意見を幅広く聴取

2014-08-12 | アイヌ民族関連
苫小牧新聞  (2014年 8/5)
 内閣官房アイヌ総合政策室は4日、アイヌ文化振興の拠点として国が白老町に整備する「民族共生の象徴空間」の運営協議会の前身となる初の準備会合を札幌市内で開いた。施設の整備や管理、業務内容に関して情報共有するとともに、女性や青年を含めて道内のアイヌ民族の意見を幅広く聴取していくことなどを確認した。
 準備会合は同政策室、文化庁、国交省北海道開発局、道、白老町、アイヌ文化振興・研究推進機構、北海道アイヌ協会、アイヌ民族博物館(白老町)の8者で構成。会議の冒頭、池田潤内閣官房アイヌ総合政策室長は「政府の重要方針として象徴空間の整備にしっかり取り組んでいきたい。整備に当たって関係者間の意思疎通に支障がないよう検討すべき事項や課題、アイデアについて幅広く意見交換し、必要に応じて調整していきたい」と述べた。
 この後、非公開で各団体が取り組み状況を報告、意見交換した。内閣官房によると、意見交換の中では「象徴空間がどういったものか一般には分かりづらい。愛称を募集してはどうか」といった提案があったという。
 白老町の戸田安彦町長は昨年11月に町活性化推進会議を発足させ、受け入れ体制を整えるとともに、町として関係機関と協力しながら周辺整備していく考えを示した。
 加藤忠道アイヌ協会理事長は「いろんな方々の力によってここまできたことに感謝している。今後、国民、道民、地域の理解が一番重要になってくる」と話し、アイヌ民族の歴史を振り返る必要性に触れた。次回の準備会合は、早ければ9月となる予定。
 白老町のポロト湖周辺に整備する象徴空間は、国立アイヌ文化博物館を中核施設として民族の共生公園、遺骨の慰霊・管理施設などが設けられる。政府は6月、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に合わせ、一般公開することを閣議決定した。
http://www.tomamin.co.jp/20140815519

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伝統的工芸品「二風谷イタ」の魅力が冊子に 歴史や制作工程紹介

2014-08-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (08/05 16:00)
 【平取】町二風谷地区のアイヌ工芸職人でつくる「二風谷民芸組合」(貝沢守代表)が、昨年3月に経済産業省から「伝統的工芸品」の指定を受けた二風谷イタ(木の盆)を紹介するパンフレットを作製し、PR活動や知名度の向上に活用している。イタについてまとめた冊子は初めて。制作工程をたくさんの写真を使って解説するなど、読者が分かりやすいよう工夫されている。
 「伝統的工芸品」には全国で218品が指定されているが、道内では二風谷イタと二風谷アットゥシ(樹皮の反物)のみ。指定を受け、徐々に認知度が高まっていることから、札幌の会社に編集を依頼し、3月に出来上がった。
 パンフレットには制作工程のほか、ラムラムノカ(ウロコ文様)を多用する二風谷イタの特徴や、伝統的工芸品に指定されるまでの経緯、歴史などを掲載。同組合の職人も顔写真付きで紹介している。
 A5判、15ページで500部作製した。職人の店や二風谷工芸館で見ることができるほか、道内外の物産展やイベントで取り組みを簡潔に伝える際にも活用しているという。
 貝沢代表は「工程や歴史を明らかにすることで二風谷イタの価値が伝わると考えた。広く知られるきっかけになれば」と話している。同組合は現在、アットゥシについても、同じようなパンフレット作りに取り組んでいる。問い合わせは二風谷工芸館(電)01457・2・3299へ。(清水泰斗)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki/555222.html

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開催日:2014年07月19日(土) - 2014年09月28日(日)

2014-08-12 | アイヌ民族関連
IMA ONLINE-2014/08/05
ジャンル:風景 / その他
開催地:札幌駅前通地下歩行空間(チ・カ・ホ)
フォトグラファー:露口啓二 / ほか
「センシング・ストリームズ」は、社会や都市環境に浸透し、人々をつなぎはじめた新たな層としての情報技術に注目、複数のアーティストが自然や都市におけるさまざまな情報の流れ(ストリームズ)を感知(センシング)し、可視化・可聴化していく作品で構成されます。
地上になだらかな扇状地、地下に水脈をもつ札幌は、連綿とした自然の循環のなかで培われてきた水脈豊かな都市です。南に位置する奥定山渓の森の大量の雪に由来する水が、うねりながら海へと注ぐ豊平川や扇状地の先端部分に13カ所の「メム(湧水)」を生み出しました。そしてメムの畔にはアイヌの人々が集落を形成し、生活を営んできました。明治以降の都市化を受けてメムは失われたものの、札幌は現在も各所に豊かな自然を保持しています。
1日7万人を越える人々が利用するチ・カ・ホは、メムがあった地域に隣接しています。この地下の人工空間にも、かつては豊かな水が流れていたことでしょう。「センシング・ストリームズ」は、地下水脈、人々の流れ、電磁波の変化など、札幌の過去や現在にアートを通して新たに出会う場となります。それはまた、古生物学、北方文化など、地球史・人類史的な側面から札幌の見えざる側面を発見していく契機となるでしょう。
INFORMATION
住所〒 060-0001 北海道 札幌市 中央区北一条西
開館時間11:00~19:00
お問い合わせ先TEL: 011-222-4894 / FAX: 011-218-5154
URL(PC)http://www.sapporo-internationalartfestival.jp
http://imaonline.jp/ud/exhibition/53be201aabee7b4561000001

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【大人のTV】ちっぽけな人間を実感させる知床の自然 絶景百名山知床地の涯の山後編羅臼岳夏

2014-08-12 | アイヌ民族関連
ZAKZAK-2014.08.05
★絶景百名山知床地の涯の山後編羅臼岳夏(BSフジ、8日午後10時)
 暑い日が続いている。こんなときは、せめてテレビぐらい、涼しい画を見たいもの。そんな思いを満たしてくれるのがこの番組だ。
 オホーツク海に、幅25キロ、長さ70キロにわたって突き出る北海道の知床半島。言わずと知れた世界自然遺産の登録地だ。
 知床の語源は、「地の涯」を意味するアイヌ語の「シリエトク」だという。海から見る半島は断崖に囲まれ、浜にはヒグマの姿も。その名の通り、“地の涯”の光景が広がっている。
 その知床にそびえる百名山は2座。ひとつは、半島の付け根にそそり立つ斜里岳(1547メートル)。もうひとつが知床連山の一角、羅臼岳(1661メートル)。今回は、羅臼岳周辺を登る後編にあたる。
 羅臼平から知床連山を縦走し、硫黄山へと向かう2泊3日のルート。地元ガイド、滝澤大徳さん(47)の案内で登る。ただし普通の登山ではない。もうひとり姿なき同行者の気配がつねにつきまとう。
 ヒグマだ。「ヒグマがいるのは当たり前。お邪魔するという気持ちで」と語る滝澤さんの言葉のほうが自然なのだろう。むしろ、知床では、人間のほうが邪魔者なのだと再認識させられる。
 映し出される自然の姿は圧倒的だ。山の緑、空の青、雪の白。沈む夕日と赤く染まるオホーツク海。そして、空一面を埋め尽くす満天の星。自然が怒涛(どとう)のごとく押し迫ってくる。
 火山である硫黄山を登る。ごつごつとした岩場を抜けて、たどり着いた山頂でみえた景色は、意外にも花畑だった。足元には色鮮やかな高山植物が咲き乱れる。かれんにみえて、実は一番力強いのかもしれない。
 滝澤さんは話す。「知床を知りたいなら、ぜひ山に登ってほしい」と。その言葉通り、そこには想像をはるかに超えた原生の自然が息づいている。人間も自然の一部にすぎないことを改めて思い知らされる。見終わったあとの爽快感はこの上ない。やはり日本の自然は美しい。(哲)
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20140805/enn1408050830004-n1.htm

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『鴻臚館』で語る日本国と日本人(17)

2014-08-12 | アイヌ民族関連
NET-IB NEWS- 2014年8月4日13:24
<日本国は単一民族国家ではない>
 「日本は単一民族国家」と発言して辞任に追い込まれた大臣がいた。先住民族のアイヌを無視しているというのだ。1899(明治32)年制定の法律「北海道旧土人保護法」により、土地の没収と日本語使用の強制など、日本への同化政策が実施された。日本国の支配が明治になってアイヌ民族の居住域まで到達した。その時点までアイヌは日本列島の北端北海道で先住民族だったのである。
 日本人としてアイヌ人と共同することを否定はしない。それでも存在する個性や独自の伝統・歴史までも無視し、乱暴に同化しようとする「単一民族国家」論が批判される政治土壌は、その当時未だ健全だったと言える。それから、数年経た現在でもそれが通用するか?今の風潮が少し心配である。
 アイヌ民族は、千島列島を通じて北方から渡来した白人人種であるとする説、津軽海峡を挟んで居住していた蝦夷(えみし)のうち、北海道に居て、日本の国家統制が及ばなかった民族だとの説がある。どちらが本当か?という事でなく、アイヌ民族はそれら複数の要因が重なって、独自に発展し、遅くに成立した民族である。
 縄文時代から、東日本の「落葉広葉樹林帯」には、西日本をはるかに上回る縄文文化が広まっていた。青森県の巨大な三内丸山遺跡がそれを語っている。世界自然遺産「白神山地のブナ原生林」は、縄文人をも育んだ生物多様性を未だ保っている証である。
 北部九州から始まり、日本海沿いに急速に広まった水田稲作技術、それは灌漑技術と金属文化を伴い、いわゆる弥生文化をもたらした。水田稲作は一旦東北地方まで広まるのだが、元来西日本以上に人類の食糧調達環境が整っていた東北地方は、弥生の寒冷化に伴い、水田の北限が南下すると、弥生人いわゆる倭人の集団とは違い、狩猟と漁労を中心に、焼畑による若干の穀物生産のみを伴う、独自の民族が残るのである。それが「毛人」とか、「蝦夷」と呼ばれた人々なのだ。
 平安時代、初代の征夷大将軍に任命された百済出身の東漢(やまとのあや)氏の一族坂上田村麻呂が征討に派遣される。その後も、「蝦夷をして蝦夷を制する」大和の傭兵にされ、次第に切り崩されていく。大和王権の支配に服属するようになった蝦夷の事を、「俘囚」と呼び、蝦夷に対決させ、あるいは「夷俘」として、西国筑紫に派遣するようになるのである。東北におけるその代表的な氏族が、奥州安倍氏、出羽清原氏、奥州藤原氏につながり、やがて「日本人化」していく。
 北海道のアイヌと共通した言語を持つ蝦夷が、東北にその頃の地名のみを残す一方、北海道の蝦夷は、シベリア系との混血と発展をし、プロト・アイヌと呼ばれる、独特の集団をつくり、その地に縄文・弥生とは異なる「擦文文化」を形成する。やがて、オホーツク文化との交流・融合を経て、一時期、樺太から沿海州にまで影響を拡げた、アイヌ民族文化を形成するのが、日本の中世、13世紀頃の事である。だからアイヌを縄文時代からの生き残りとするのは正確性に少し欠ける。(つづく) 【溝口 眞路】
http://www.data-max.co.jp/area_and_culture/2014/08/11988/post_16457_ms17/

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アマゾン奥地の先住民「パノ語族」 外部と初接触

2014-08-12 | 先住民族関連
テレビ朝日-(08/05 17:09)
外の世界と交流する様子が初めて捉えられました。
 身ぶり手ぶりで何かを伝えようとしている裸の男性たち。これは、ブラジル当局が公開したアマゾンの熱帯雨林で暮らす「パノ語族」とみられる先住民の映像です。ロイター通信によりますと、ブラジル国立先住民保護財団は2008年から先住民の調査を続けていて、今年6月、ペルー国境に近い北西部のアクレで初めて先住民に接触しました。先住民は弓などの武器で武装していましたが、接触した際、威嚇する様子などはなく、友好的だったということです。財団は、環境保護や生態の研究目的で今後も先住民の調査を続けるとしています。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000032035.html

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澄んだ歌声で魅了 台湾原声童声合唱団が県庁でコンサート 群馬

2014-08-12 | 先住民族関連
MSN産経ニュース-2014.8.5 03:54
 来日中の「台湾原声童声合唱団」によるコンサート(県、県台湾総会主催)が4日、県庁1階県民ホールで開かれ、来庁者や昼休みの職員らが清涼感ある歌声に聞き入っていた。
 同合唱団は、台湾最高峰の玉山(旧・新高山(にいたかやま))の麓に暮らす先住民族・ブヌン族の子弟育成を目的に活動。山のこだまを思わせる澄んだ声の響きが、世界的な評価を受けている。
 コンサートでは、民族衣装で登場した子供たちが、軽快なブヌン語の歌のほか、東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」を日の丸を振りながら日本語でフルコーラスするなど熱演した。
 帰省中に訪れた埼玉県越谷市の主婦、新井友香さん(24)は「きれいな声に驚きました。外は暑いけど気分すっきりです」。夫でパティシエの翔さん(25)も、「台湾は近いのに知らないことが多いですね」と山の自然が育んだ子供たちの響きに感心していた。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140805/gnm14080503540002-n1.htm

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台北故宮展、山水画「赤壁図巻」など新たに公開

2014-08-12 | 先住民族関連
読売新聞 2014年08月04日 21時49分
 中国歴代皇帝のコレクションなどを集め、東京・上野の東京国立博物館で開催中の台北故宮展(読売新聞社など主催)で4日、一部の出品物を入れ替えた5日からの後期展示に向け、同博物館主催の特別内覧会と式典が開かれた。
 台湾側からは、馮明珠・台北故宮博物院長のほか、来賓として周美青・名誉団長(総統夫人)らが出席。式典では、台湾中部の先住民族ブヌン族の少年少女でつくる「台湾原声童声合唱団」が日台の歌を披露し、民族衣装をまとった子どもたちの澄んだ歌声に出席者は聞き入っていた。
 後期展示では、天下の名品とされ、日本で一時守り伝えられていた北宋・蘇軾の書「行書黄州寒食(こうしゅうかんしょく)詩巻」や、金・武元直の山水画「赤壁図巻」など6点が新たに公開される。東京会場の会期は9月15日まで。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20140804-OYT1T50127.html

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馬総統の夫人来場 新たに6点公開 台北・故宮博物院展

2014-08-12 | 先住民族関連
MSN産経ニュース-2014.8.4 21:36
 台北・故宮博物院展(産経新聞社、フジテレビジョンなど主催)が開催されている東京国立博物館(東京・上野公園)でこのほど、書画作品の展示替えが行われ、きょう5日から新たに6点が公開される。いずれも台北・故宮博物院が展示期間を制限している国宝級の作品ばかり。これに先立ち4日、同館で報道内覧会と式典が開かれた。
 目玉のひとつは北宋の偉大な文人、蘇軾の書の代表作「行書黄州寒食詩巻(ぎょうしょこうしゅうかんしょくしかん)」。日本人収集家が一時期所蔵し、関東大震災(大正12年)の際、身をていして守ったという逸話のある、日本とも縁の深い作品だ。
 式典には、台湾の馬英九総統夫人の周美青氏や同院の馮明珠院長らも出席。先住民族、ブヌン族の児童合唱団「台湾原声童声合唱団」が澄んだ歌声を披露し、式典に花を添えた。
 同展は9月15日まで。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140804/art14080421360005-n1.htm

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ポロト温泉(白老町) 湯人話(ゆ ひと わ)【湯人話】

2014-08-12 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2014年08月03日
■アイヌ文化の伝承に一役
 青空を隠すように、すーっと海霧が湖畔を覆った。白老町のポロト湖。アイヌ文化振興の拠点として国が2020年の完成をめざす「民族共生の象徴となる空間」(象徴空間)が作られる地だ。
 湖を挟んで東の岸にアイヌ民族博物館「しらおいポロトコタン」、そして西には古びた建物のポロト温泉。ポロ(大きな)ト(湖)コタン(集落)は1965年にアイヌの文化遺産を保存公開するために作られ、数年後に民間企業が温泉ホテル経営を始めた。いまは老朽化して日帰り温泉のみだが、「温泉とコタンはアイヌ観光の中で一体だった」とアイヌ民族博物館の野本正博館長(51)は言う。
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 この温泉を使って、一度は途絶えた文化が復活している。木の皮を編んで作る民族衣装「アットゥシ」だ。皮を軟らかくするために、温泉の湯が使われた。
 江戸時代に交易が盛んになって木綿が手に入るようになると、白老ではアットゥシは作られなくなっていった。転機は84年に博物館がコタンにできたこと。調査研究の中で伝承活動を復活させようと、日高地方の伝承者の指導も受けながら様々な取り組みが始まった。
 いまでは作業がしやすいようにと木の皮はポロト湖の湖水にさらしているが、以前は温泉に2週間ほどつけてから川でぬめりを取り、細く割いたものを女性が編んで衣類や袋などに仕上げた。野本さんは白老で育ったが、アットゥシを知ったのは博物館の職員になってから。「僕の時代、アイヌは学校で差別を受けた。20代前半の青年が積極的にアイヌ文化に関わろうとは思わなかった」。木の神様にお祈りをしてオヒョウニレの皮をはぎ、温泉につける作業は新鮮だった。「かつての伝統文化と、現代の自分。アイデンティティーや『つながる』というのが一つのキーワードになった」
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 象徴空間の基本方針は6月に閣議決定された。現在の構想ではポロト温泉がある岸の周辺に道内初の国立博物館が建設される予定だが、温泉を象徴空間にどう位置づけるか、まだ決まっていない。
 「地域の人に愛されている温泉をつぶすわけにはいかない」。自然との共生はアイヌ民族の精神だ。そしてもう一つ、望むことがある。「足湯とか温泉につかりながら、コタンやポロト湖を眺める。新しい博物館には、そんな精神的な余裕があるものになって欲しい」
 (上山浩也)
 ■こんなところ
 アイヌ民族博物館は午前9時15分から1時間おきに1日計8回、ポロトコタンなどの解説や古式舞踊の披露などがある。入場料は大人800円、高校生600円、中学生500円、小学生350円。
 ポロト温泉は源泉かけ流しのモール温泉。地元の人たちが「色がコーラみたい」という温泉は、湯船につかると体が見えなくなるほど濃い褐色で、48度の源泉を水量調節のみで43度に調整する。定休日無しで中学生以上400円、小学生150円。管理人の一人、木村直樹さん(70)は「風向きによっては、(コタンから)歌声が聞こえて来ます」。
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20140804011290001.html

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