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教皇のメキシコ司牧訪問・詳細日程

2016-02-10 | 先住民族関連
バチカン放送局-09/02/2016 18:34
教皇フランシスコは、2月12日から18日まで、メキシコを司牧訪問される。
メキシコに赴く途中、教皇はキューバに立ち寄られ、ロシア正教会のキリル総主教と初会見を行なわれる。
教皇のメキシコ訪問の日程は以下のとおり。
2月12日(金)午前、教皇はローマを特別機で出発、まずキューバに向かわれる。現地時間・同日午後、ハバナのホセ・マルティ国際空港に到着された教皇は、空港内でキリル・モスクワおよび全ロシア総主教と個人会談を行い、共同宣言に署名される。この後、教皇はハバナからメキシコシティへ。同日夜、ベニート・フアレス国際空港に到着される。
13日(土)午前、教皇はメキシコシティの国立宮殿(パラシオ・ナシオナル)で歓迎式に臨まれる。宮殿内で教皇は大統領と会談。続いて、メキシコ各界要人・同国駐在外交団に挨拶をおくられる。この後、司教座大聖堂でメキシコの司教団との出会い。夕方からは、グアダルーペの聖母巡礼聖堂でミサを捧げられる。
14日(日)午前、教皇はエカペテックへ。市内の教育センターの敷地でミサ。午後、メキシコシティに戻った教皇は、小児病院を訪問される。
15日(月)午前、トゥストラ・グティエレスを経由し、サン・クリストバル・デ・ラス・カサスへ。教皇は市内のスポーツセンターで先住民族の共同体のためにミサを司式される。午後、司教座聖堂訪問の後、トゥストラ・グティエレスに戻り、同市の競技場で家庭の集いを持たれる。夜、再びメキシコシティへ。
16日(火)午前、モレリアの市内競技場でメキシコの司祭・修道者・神学生らとミサ。午後、司教座聖堂を訪問。次いで競技場で若者たちとの出会いを行なわれる。夜、メキシコシティへ。
17日(水)午前、教皇はシウダー・フアレスの刑務所を訪問。正午、労働界の人々との出会い。午後、見本市の敷地内でミサ。こうしてメキシコ訪問の日程を終了された教皇は、シウダー・フアレス国際空港での送別式を経て、同国を後にされる。
18日(木)イタリア時間午後、教皇はローマに戻られる。
http://ja.radiovaticana.va/news/2016/02/09/%E6%95%99%E7%9A%87%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3%E5%8F%B8%E7%89%A7%E8%A8%AA%E5%95%8F%E3%83%BB%E8%A9%B3%E7%B4%B0%E6%97%A5%E7%A8%8B/1207175

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火の山のマリア 劇場公開日 2016年2月13日

2016-02-10 | 先住民族関連
エイガドットコム-2016年2月9日更新

2016年2月13日より岩波ホールほかにてロードショー
遠くグアテマラの高地で生きる母娘の姿が、根源的な命題をはらんで間近に迫る
グアテマラ映画としては日本初上映となる「火の山のマリア」。本編と資料から、活火山を含むグアテマラ高地に先住民のマヤ族が風習を守って暮らしていること、その多くが公用語のスペイン語を話さずメスティーソ(先住民と欧州系の混血)との格差があること、長引いた紛争のせいで治安が悪化し人種差別や幼児誘拐といった問題が今なお残ることなどを知った。ともすれば日本とかけ離れた異国の話ととらえられそうだが、意外なほど身近な出来事のように感じられ、胸をえぐられるような痛みさえ覚えるのはなぜだろう。
火山のふもとの借地で農業を営む両親と暮らす、17歳のマヤ族のマリア。両親は生活が苦しいことから、地主でコーヒー農園の主任を務めるイグナシオにマリアを嫁がせようとする。一方マリアは、アメリカ行きを夢見る青年ペペに惹かれ、連れて行ってほしい一心で身を任せるが、ペペは単身旅立ってしまう。やがて、マリアの妊娠が発覚する。
これが長編デビュー作となるハイロ・ブスタマンテ監督は、実際の事件に着想を得て、マヤの女性たちとのワークショップで脚本をブラッシュアップ。母フアナ役にはアマチュア劇団で演じていたマリア・テロンを起用したが、マリア役には演技初体験のマリア・メルセデス・コロイを抜擢し、丁寧に演出していった。
メルセデス・コロイは、真面目な性格ながら運命に立ち向かう激情を秘めた少女を、強い眼差しと抑えた演技でリアルに体現。テロンは、常に娘の幸せを願い、時に厳しく接しながらも、大地のような愛でマリアを守る母を説得力十分に演じきった。
無理に種付けされる豚、災いをもたらす毒蛇、マグマをはらむ火山など、ちりばめられた印象的なメタファーが、宗教の儀式とともに不穏な気配を醸していく。過酷な体験をする母娘だが、2人の絆は観る者の胸を熱くする。ブスタマンテ監督はドキュメンタリータッチでマヤの人々の営みを活写しつつ、かの国にとどまらない問題を突きつけ、人の業(ごう)を描いてみせた。火山のふもと、黒い岩肌の荒れ地にたたずむ母と娘の姿は、畏敬の念とともに胸に刻まれるはずだ。
http://eiga.com/movie/83020/critic/

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夷酋列像

2016-02-10 | アイヌ民族関連
産報-2016/02/09
 夷酋列像とは、18世紀末に松前藩の蠣崎波響がアイヌを描いた肖像画。フランス・ブザンソン美術館所蔵の作品が里帰りして先週まで千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で展示されていた。また、会場ではブザンソン蔵のみならず国内美術館所蔵の模写作品も展示されていて夷酋列像を巡る全体像がわかるような展示となっていた。
 夷酋列像についてはその存在は早くから知る人ぞ知るものだったようだが、ブザンソン本が展示されたのは画期的なことのようで、幻の名画と言われる作品を目の当たりにできたことははなはだ幸いだった。
 夷酋列像には12点あって、このうちブザンソン本は11点。いずれもアイヌの有力な首長を描いていて、言わば連作肖像画である。
 作品は意外に小さくてせいぜいB4くらいの大きさか。しかし、保存状態がよくて作品の隅々までくっきりとわかる。
 それでわかったこと。私は大きなルーペを持参し子細に観察したが、一つにはものすごく微細だということ。髪の毛やすね毛まで1本1本が丁寧に繊細に描かれている。これは圧倒的感動だった。二つには彩色が豊かで、着ているものが豪華ということ。この衣服については作画にあたって松前藩が貸与したもののようだが、それにしてもアイヌの首長というものは何と威風堂々としていることか。また、威容であり異様でもある。
 波響は松前藩主の弟ということだが、それにしてはこれは武士の手慰みと思われない練達ぶりで、江戸に出て絵画を学んだというのもうなずける。
 夷酋列像制作の背景には、根室地方で起こったアイヌの反乱について、幕府から松前藩の統治能力が疑われ、その打開策として波響はこの作品を携え内地で宣伝工作を行ったもののようだ。
 その効果はあったようだが、波郷の作品に驚愕するもの多く、天皇の目にまで留まったということである。また、その際、模写をするものがあって、それが今日に伝わっているということで、模写品は今日に数種あるということである。
 ともかく、絵画の場合、実物を見た場合の感動は少なくないが、この夷酋列像ほど実物に接した価値の高いものもないように思われた。
http://www.sanpo-pub.co.jp/column/akibanote/20160209.html

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動き出す登別駅周辺開発、官民「協議体」設置に合意

2016-02-10 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2016年2月9日(火)朝刊】
JR登別駅周辺のバス停ではインバウンド客が列をつくるなど利用需要が高まっている
 JR登別駅や周辺の開発に向け検討を進めている登別市と登別商工会議所は、官民による「協議体」の設置に合意した。今後、関係団体に協力を働き掛け、課題を整理し実現の可能性を調査する。2016年度(平成28年度)から経済界などの協力を得て、懸案の同駅を含めた周辺開発へ本格的に動きだす。
◆―― オール登別
 「早急に行政、経済、観光、漁業、農業、地域住民が検討のテーブルに着き、実現に向けて議論する必要がある」。経済界関係者が指摘する。
 「協議体」設置は、まちの活性化へ期待が高まる北海道新幹線開業や東京五輪(2020年)などの観光需要を的確に捉え、官民の役割分担を明確にし、まちづくりに関わる全ての関係者をつなぐ仕組みを「オール登別」でつくる必要性が背景にある。
 地域住民から駅周辺開発を求める意見が出ていたが、「財源」問題などもあり棚上げとなっていた。「協議体」は開発・整備推進への「タスクフォース」としての意味合いも兼ね、課題の抽出や整備の方向など「まちづくりの在り方」を検討する。
 市は、地区住民の複合施設建設などを求める「提言」や、小笠原春一市長が掲げる施策推進に向け、庁内検討に入る。ただ、1970年代のJR幌別駅周辺の社会資本整備を振り返り、「インフラを良くしても人は集まらない」(市幹部)との見方もあり、観光と地域経済を軸に議論を進める意向だ。
◆―― バリアフリー
 登別駅を含めた「登別地区」の状況をみると、市内の東北部に位置し、登別の語源となったアイヌ語「ヌプルペッ(白く濁った川)」の登別川がある土地で、漁港や記念館などが存在し「歴史・文化・自然環境」に恵まれている。
 しかし、2008年からの5年間で人口は約430人減り、高齢化が進む中で、商店街の空き店舗や住宅街の空き家など、「これまでのまちづくりを見直す時期」(町内会関係者)との指摘が出る。
 また登別駅は、アジア圏のインバウンド(訪日旅行)を中心に利用者が増加傾向にあるが、エレベーターやエスカレーターがないため、観光客や高齢者などに配慮した「バリアフリー」が課題となっている。
 室蘭民報社の取材に小笠原市長は「協議体」の早期設置の重要性を指摘。新年度にスタートする市総合計画第3期基本計画(期間16年度から10年間)を見据え、「登別駅周辺整備を重点に考えていきたい」との考えを示した。
(粟田純樹)
◆―― 構内で荷物運搬支援、新サービス試行
JR登別駅構内で観光客の荷物運搬を支援するポーター
 登別観光協会、JR北海道は春節(中華圏の旧正月)に合わせて8日から、JR登別駅構内でポーターサービス実証実験を開始した。海外旅行者の急増や新幹線開業を意識したホスピタリティー向上の取り組み。同駅舎はエスカレーターなどがなく、大型荷物の移動が課題だが、ソフト対策による解消を模索する。
 事業期間は25日までの18日間。対象は国籍を問わずすべての乗降者。特に高齢者や妊婦、子ども連れ、障害者を優先する。サービスの範囲はホームと改札口の間。ポーター役は、季節労働者による登別勤労者事業組合へ委託した。
 初日はポーター5人が、乗降が多い午前8時台~午後5時台に到着する列車9本でサービスを実施。中国語や英語で「無料ポーターサービス」と書かれたビブスを着て声掛けすると、観光客は思わず笑みを浮かべ「ありがとう」と応え、荷物を預けていた。
 通訳やポーターとして奔走した、登別市観光室の煤孫泰洋さんは「ポーターが60代から70代という事情もあり、遠慮する人がいたのは想定外ですが、多くの方々に喜んでもらえました。実験結果を検証し、事業化の可能性を探りたい」と話していた。
 同実証実験は、登別洞爺広域観光圏協議会などが15~25日に行う「手ぶら観光事業」に合わせて企画。同事業は駅舎近くの臨時カウンターで荷物を預かり宿泊先まで届け、手軽になった旅行者の圏域観光を誘発する試みだが、ポーターサービスは春節に合わせて前倒し実施した。
(鞠子理人)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2016/02/09/20160209m_05.html

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