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作家の津島佑子さん死去 太宰治次女 「火の山」、伊藤整文学賞

2016-02-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞 02/18 21:03、02/19 00:25 更新

死去した津島佑子さん
 作家太宰治の次女で、「火の山―山猿記」「笑いオオカミ」などの小説で知られ、伊藤整文学賞選考委員も務めた作家津島佑子(つしま・ゆうこ、本名里子=さとこ)さんが18日午後4時10分、肺がんのため死去した。68歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は長女香以(かい)さん。
 白百合女子大卒。著書に「寵児(ちょうじ)」「光の領分」など。谷崎潤一郎賞と野間文芸賞を受賞した「火の山―山猿記」はNHK連続テレビ小説「純情きらり」の原案にもなった。1985~86年に北海道新聞夕刊などで「夜の光に追われて」を連載。95年に「風よ、空駆ける風よ」で小樽市民らでつくる伊藤整文学賞を受賞し、97年から2008年まで同賞選考委員。最近では東日本大震災を受けての「ヤマネコ・ドーム」が評判になった。作品は海外にも翻訳され、評価されている。
 アイヌ民族の口承文学ユーカラにも造詣が深く、フランス語訳監修も担当。知里幸恵銀のしずく記念館(登別市)建設の発起人も務め、横山むつみ館長(68)は「熱心に応援してくれた。あの人がいなければ記念館はなかった」と惜しむ。
津島さんは同記念館を運営する NPO法人 知里森舎(ちりしんしゃ)の理事も務めていた。横山館長は「登別を訪れたのは09年が最後で、翌年開館した記念館を見てもらえなかったのが心残りです」と話した。
■選考委員としても熱心
 伊藤整文学賞の会会長を務めた新谷昌明・元小樽市長(87)の話 選考会では、物腰は柔らかいけれど、ご自分の意見を強く主張され、大変熱心な方との印象を持ちました。どうされているのかな、と最近思っていたので、びっくりしました。残念です。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/entertainment/culture/culture/1-0236453.html


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訃報  作家の津島佑子さん死去68歳 太宰治の次女

2016-02-19 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年2月18日 20時00分(最終更新 2月18日 21時52分)
代表作に「火の山−−山猿記」「笑いオオカミ」
 人間の生死や近代的価値観を問い続け、現代文学の先端を走った作家の津島佑子(つしま・ゆうこ、本名・里子=さとこ)さんが18日午後4時10分、肺がんのため東京都内の病院で死去した。68歳。葬儀は近親者で営む。喪主は長女香以(かい)さん。
 1947年3月、東京・三鷹で作家・太宰治(本名・津島修治)の次女として生まれた。翌年6月、太宰は自死。さらに知的障害のある兄を、12歳の時に亡くした体験も後の小説執筆に影響を与えた。白百合女子大英文科在学中に同人雑誌「文芸首都」に参加し、69年「レクイエム」でデビュー。72年に「狐(きつね)を孕(はら)む」が芥川賞候補となり、同賞を熱望しながら受賞できなかった太宰を引き合いに「亡き父のかたきを取るチャンス」などと世間の話題になった。
 「私にとって親は母だけ。なぜ太宰という父の子と言われるのか」と反発しつつ、結婚・出産・離婚の実体験を基にして揺れ動く女性の内面世界をえぐった「葎(むぐら)の母」「草の臥所(ふしど)」など秀作を発表。離婚して子供と暮らす母親の想像妊娠を描く長編「寵児(ちょうじ)」で78年女流文学賞を受賞し、作家としての地位を築いた。「光の領分」で79年野間文芸新人賞を受賞した。
 85年に8歳の長男を病気で失った悲しみを基に、生死そのものに迫る「夜の光に追われて」で87年読売文学賞。91年の湾岸戦争では作家の中上健次、評論家の柄谷行人さんらと共に日本の「加担」に反対する声明に名を連ねた。
 母方の一族をモデルにして日本の近代史と家族史を浮き彫りにし、太宰を思わせる人物が登場する「火の山−−山猿記」は98年の谷崎潤一郎賞と野間文芸賞をダブル受賞し、NHK連続テレビ小説「純情きらり」(2006年)の原案となった。戦後混乱期を旅する孤児たちの姿を幻想的に描いた「笑いオオカミ」(01年大佛(おさらぎ)次郎賞)は、生命力あふれる傑作とされ、団塊世代が戦争を問い直す09〜10年の毎日新聞連載「葦舟(あしぶね)、飛んだ」につながった。アイヌの叙事詩など先住民族の文化や口承文芸にも深い関心を寄せた。
 「黄金の夢の歌」で11年度毎日芸術賞。戦後占領期に米兵が日本人との間に残した孤児らの視点で原爆や福島原発事故の責任を問うた「ヤマネコ・ドーム」(13年)も高い評価を得た。他に「火の河のほとりで」(83年)、「ナラ・レポート」(04年度芸術選奨文部科学大臣賞など)。昨年1月に肺がんと診断され、闘病しつつ「父をテーマに書く」と準備を進めていたという。
 作家の太田治子さんは異母妹。
外へはじけ飛ぶような文学
 作家の黒井千次さんの話 台湾やモンゴルなど日本以外の土地を舞台にしたりアイヌの伝承にこだわったりと、同世代の作家と違うハードで硬いものが作品にあった。外へはじけ飛ぶような文学がどんな結実を生むのかを確かめられず残念。父の太宰治のことは自分からは触れなかったが、何かの席で太宰のスキャンダラスな面が話題に上った際に「私の考え方は違う」と強い調子で言った。実は大変な思いをしていたのかもしれない。
http://mainichi.jp/articles/20160219/k00/00m/040/065000c

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アイヌ民族の美 苫小牧市美術博物館でタマサイ展

2016-02-19 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2016年 2/18)

美しいタマサイを一堂に公開
 苫小牧市美術博物館は、「タマサイ―つながりの美」と題し、アイヌ民族の装飾品タマサイを紹介する初のコレクション展を開いている。初公開となる約70点のアイヌ民族の美を楽しめる。3月13日まで。
 企画展「ハスカップ―原野の恵みと描かれた風景」と同時開催で、普段一般公開していない、同館所蔵の珍しいコレクションを見て知ってもらおうと初めて企画した。昨年11月に姉妹都市締結35周年記念としてニュージーランド・ネーピア市で展示した資料も一部含まれる。
 タマサイはアイヌ民族の首飾り。ガラス玉やサンゴ玉などをつなぎ、深いブルーや赤、白などを美しく組み合わせている。本州や中国大陸からの交易品で18~19世紀ごろのものと想定されるが、時代ははっきりしていないという。
 展示品の中には、飾りの板が付いたシトキウシタマサイや、一つの重さが約1・5キロのものも。昔のアイヌ民族にとってタマサイは、代々受け継ぐ家宝として扱われていた。
 同館は「数、質ともに国内有数のコレクション。こうした資料が当館にあることを知ってもらい、美しさを見てほしい」と話している。企画展と同時開催のため、企画展料金(一般300円、高校・大学生200円、中学生以下無料)を支払えば、一緒に楽しめる。
 関連イベントとして、3月5日午後1時半から同館で記念講演会「苫小牧市内出土のガラス玉とシトキ・タマサイ」を開く。講師は札幌国際大学教授の越田賢一郎氏。聴講は無料。また、同日午後2時半から希望者を対象にタマサイの解説会を予定しており、参加の場合は観覧料(企画展料金)が必要。
 申し込みは同館 電話0144(35)2550。
http://www.tomamin.co.jp/20160235427

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田学連携で札大生、厚真町役場でインターンシップ

2016-02-19 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2016年 2/18)

札大の渡辺さん(左)、上野さんが厚真町内でインターンシップを開始
 厚真町と十勝管内新得町、札幌大学による「田学(でんがく)連携プロジェクト」で16日から札幌大学地域共創群歴史文化専攻3年の渡辺琴音さん(21)、上野宏恵さん(21)が厚真町役場、町教育委員会でインターンシップ(職場体験)をしている。町教委の本郷、軽舞遺跡調査整理事務所で収蔵物の記録整理や展示についての業務を担う。期間は23日までの予定。
 プロジェクトは地方創生先行型交付金事業。名称は「田舎」と「大学」から1文字ずつ取った造語。田舎と大学の連携で、新たな地域の力を生み出すことを目的としており、厚真町では2月中、札大の学生7~8人が参加するグリーンツーリズム分野、考古歴史発掘分野、食のまちづくり分野のインターンシップが計画されている。
 渡辺さん、上野さんは共に将来学芸員を目指しており、アイヌ民族の文化といった北海道史を学んでいる。渡辺さんは「今回のインターンシップがとても参考になると思い参加した。就職に役立つことを全て吸収できるように頑張りたい」、上野さんは「インターンシップを通じて、少しでも学芸員の仕事に慣れて行けたら」と抱負を語っていた。
 町役場では今月9日から17日まで同大学地域共創学群、経済学専攻2年生の福士桂さん(19)がインターンシップをした。新得町でも2月中、同大学の学生7人が三つの民間施設でインターンシップをしている。
http://www.tomamin.co.jp/20160235416

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鳥居龍蔵の人物像に迫る 徳島県立博物館、企画展が好評

2016-02-19 | アイヌ民族関連
徳島新聞 2016/2/18 14:12

 徳島市出身の考古・人類学者鳥居龍蔵(1870~1953年)の生涯と業績を振り返る県立博物館での企画展「鳥居龍蔵 世界に広がる知の遺産」が来館者から好評を得ている。考古学や人類学の専門知識がなくても親しめるよう、鳥居の人物像に焦点を当てたほか、展示資料の8割が初公開とあって関心を集めた。1月23日の開始から千人余りが訪れており、今月28日まで開かれる。
 企画展は、徳島市の県文化の森総合公園にある同館1階企画展示室で行われている。
 全389点の展示物の中で来場者の目を引いているのが、鳥居が外国語を習得するために使っていた練習ノート。このノートは初公開で、モンゴル語、フランス語、アイヌ語の単語や発音が紙いっぱいに書かれている。外国語教育が今ほど盛んでなかった時代に、語学力を地道に磨いていた努力の跡が見て取れる。
 鳥居の研究に協力した家族の活躍にも焦点が当てられているのが特徴。妻のきみ子が人類学者として高い評価を受けていたことが分かる手紙や、4人の子どもたちによる翻訳原稿やスケッチ、写真が並ぶ。
 平日は30人、土日曜日は50人前後が訪れている。徳島市八万町中津浦の自営業富本眞司さん(72)は「これまで知らなかった鳥居の姿に触れることができた」と話していた。
 企画展は、鳥居龍蔵記念博物館が鳴門市から現在の県文化の森総合公園内に移転し、5周年になったことを記念して開かれている。記念博物館の下田順一学芸員は「郷土の偉人に親しむ絶好の機会。多くの人に見てもらいたい」と来場を呼び掛けている。
 期間中は、同公園内の県立図書館や文書館でも関連する催しが行われている。21日には海外の考古学者らによる講演会が21世紀館である。
【写真説明】鳥居龍蔵にまつわる資料を熱心に見る来場者=徳島市の県立博物館
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2016/02/2016_14557723976502.html

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「基本学習」を怠るな! 伊藤龍治のいい汗いい話

2016-02-19 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (ブログ)-2016年02月18日
東京大修館書店発行の月刊誌「体育科教育」にスポーツエッセイを書くようになって12年ほどになる。この「体育科教育」は、全国の小・中・高・大学の体育教師や体育学研究者などが定期購読する体育専門誌だ。価格は本体830円+税で問い合わせ先は大修館書店販売部、03-3868-2651だ。
昨日、4月号の原稿を送った。タイトルは「学校体育は基本学習たりえるか」で、「基本学習」を考えたものだ。
悲しいことに、基本学習せずに社会に出た者たちの醜態が目に余る。スポーツの世界だけでなく、政治の世界でも枚挙にいとまがない。世襲であろうが、公募であろうが、社会に貢献する政治家として活動するのであれば政治家としての「基本学習」が欠かせないはずだ。
「歯舞」はアイヌ語の発音に漢字を当てたもので、北海道の地名のほとんどがそうで確かに難解だ。だから九州や沖縄の人が読めなくても不思議ではない。しかし内閣府特命大臣で沖縄及び北方対策担当大臣がこれを読めず、国会で立ち往生するに至っては「基本学習」を全くしていないということだ。
さらにこの大臣は科学技術政策と宇宙政策も担当というからブラックジョークかとも思ってしまう。この大臣は現地も視察し、知事や根室市長、元島民からも話を聞いているのだから、「何しにきたの?」ということになる。
清原問題は覚せい剤の売人の逮捕など事件の続報が伝えられるたびに、文武両道を忘れ「基本学習」せずにスポーツの能力だけで社会に出てスターになった者の凄まじい転落人生に驚きを禁じ得ない。
先日、道新で選抜高校野球に出場する札幌第一高野球部の文武両道の内容が紹介された。見事だと思った。清原容疑者の出身高校は野球部の休部が発表された。入部者がいなくなるのだという。
昨今は中学校の野球部ではなく、リトルリーグで硬球での野球を経験し高校に進学する選手が多い。道がどうであれ、技術指導の前に生活指導を忘れずにと指導者にはお願いしたい。それこそが「基本学習」なのだと思う。
http://blog.hokkaido-np.co.jp/sports-ryuji/2016/02/post-420.html

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日本政府の努力欠如に批判 国連の女性差別撤廃委員会 委員指摘「直ちに是正を」

2016-02-19 | アイヌ民族関連
しんぶん赤旗 2016年2月18日(木)
【ジュネーブ=玉田文子】国連の女性差別撤廃委員会は16日、日本政府の条約実施に関する第7、8回報告を審議し、取り組みの遅れを厳しく指摘しました。日本政府代表団(代表・杉山晋輔外務審議官)は、安倍政権の女性活躍促進などを強調しましたが、国内法に差別の定義規定がないことや民法改正の遅れなど、条約や勧告が実施されていない現状について、委員からは批判が相次ぎました。

(写真)日本政府の報告を聞く女性差別撤廃委員会=16日、ジュネーブ国連欧州本部(玉田文子撮影)
市民社会の活動評価
 委員からは、法改正など部分的な前進を評価しつつも、差別をなくすための具体的な手だてがみえないなど、日本政府の取り組みの遅れに対して批判が集中。何より条約に従って国内法に差別の定義を盛り込むことや、包括的な差別禁止法をつくること、選択議定書の批准が必要であり、そうした努力の欠如が条約の推進を妨げていると指摘されました。
 日本政府は、憲法と男女共同参画社会基本法で男女平等や差別について規定されているという従来の回答に終始し、委員からは不満の声が上がりました。
 また、前回の審議でただちに是正すべきと勧告されていた夫婦同姓や女性のみに課せられている再婚禁止期間などの民法の差別的規定の廃止が実行されていないと指摘。
 政府は、「重く受け止めたい」としながらも最高裁の憲法判断にふれ、再婚禁止期間の短縮を実現、選択的夫婦別姓制度導入については「国民の意見が分かれており国民及び国会の議論を見守っている」と回答。前回同様委員から、「世論の動向に依拠するのではなく、条約違反として、政府がイニシアチブをとりただちに是正を」ときびしく指摘されました。
 また、委員から▽独立した国内人権機関の設立▽アイヌや性的少数者、移民女性など複合的差別を受けているマイノリティー女性への手だて▽一人親家庭、高齢者など女性の貧困対策▽女性への暴力防止策の強化▽間接差別を含む雇用における差別禁止の具体策▽選挙制度改革を含む政治参加引き上げの抜本策―などさまざまな問題があげられました。
 今回の審議でも、締約国として条約上の義務を実施するという政府の意志が大きく問われました。
 同委員会は、今回の審議を踏まえて3月はじめ、日本政府への勧告を盛り込んだ「総括所見」を発表します。
 日本からは、日本女性差別撤廃条約NGOネットワーク(JNNC)の80人が審議を傍聴しました。条約の実施をすすめるために、委員会にリポート提出や提言などを行ってきました。
 委員たちからは繰り返し日本の市民社会の活動が評価され、審議においても、NGOからの情報が質問や提起に活用されました。
 閉会にあたり、議長は、日本には力強い市民社会が存在している、政府は連携してとりくみをと呼びかけました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-02-18/2016021805_01_1.html

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モアイの島、イースター島の文明が滅びたのは「戦争ではない」という新説が提唱される

2016-02-19 | 先住民族関連
GIGAZINE-2016年02月18日 19時45分00秒

By Carl Lipo
人の顔を刻んだ巨大彫刻物「モアイ」で知られる南太平洋の孤島「イースター島」にはかつて文明がありましたが、19世紀半ばに島内で起こった戦争によってほぼ完全に滅びたと言われています。環境破壊のために資源が枯渇し、残された資源を巡って紛争が勃発したため島の人口が壊滅的な被害を受けたというのがイースター島の歴史として半ば定説化しているのですが、ニューヨーク州立大学ビンガムトン校のカール・リポ教授らによる研究チームは、これらを否定する新しい説と、それを裏付ける証拠を発表しています。
In shards of glass, a new sign of how the enigmatic Easter Islanders met their demise - The Washington Post
https://www.washingtonpost.com/news/morning-mix/wp/2016/02/17/in-shards-of-glass-a-new-sign-of-how-the-enigmatic-easter-islanders-met-their-demise/
New evidence: Easter Island civilization was not destroyed by war | Ars Technica
http://arstechnica.com/science/2016/02/new-evidence-easter-island-civilization-was-not-destroyed-by-war/
イースター島、または現地の言葉でラパ・ヌイと呼ばれる島には5世紀ごろにポリネシア人が移り住むようになり、10世紀ごろには有名な石像彫刻「モアイ」の製作が始まったと考えられています。かつての島の人口は3000人~4000人とする説と1万人以上が住んでいたとする説があり、本当のところはよくわかっていないのが実情です。2016年現在は4000名程度の住民が暮らしており、島内にはチリ海軍が駐留しているほか、空港、道路、港湾などが整備され、市街地にはレストラン、ホテル、ディスコ、ガソリンスタンド、ビデオレンタルショップ、学校、病院、博物館、郵便局、放送局などの施設が整っており、島の暮らしは至って現代的なものとなっています。
モアイ像の起源と並び、イースター島で先住民族であるポリネシア人の文明が滅びた経緯が大きな謎として残されています。文明の崩壊がおこった理由として唱えられている説としては、学者であり作家でもあるジャレド・ダイアモンド氏が唱える「エコサイド(ecocide)」説が広く知られています。これは、無計画な開発で行われた森林の伐採などによって環境破壊が起こり、森は枯れ、森林破壊によって養分を含んだ土壌が流れ出したことで、食物を栽培することもできなくなって食糧に困窮したというもの。
さらに、木がなくなったために魚を釣るための竿を作ることすらできなくなり、周囲を海に囲まれた絶海の孤島であるイースター島で生活に困った住人同士が残された資源を争って戦争を起こし、多くの人が犠牲になったと考えられています。この環境破壊説「エコサイド」は、無謀な開発と環境破壊に警鐘を鳴らすエピソードとしてもよく取り上げられるものです。
このエコサイド説に異論を唱えているのが、リポ教授らによる研究チームです。リポ教授らは2000年ごろからイースター等での現地調査を開始し、モアイの製作方法などを含むイースター等の歴史や、先住民族の社会が崩壊した経緯について研究を行いました。
先述の通り、従来の説ではイースター島では住民同士の殺し合いが行われたと考えられているのですが、この説を裏付けているといわれているのが、島内の各所で見られる刃物のような物体です。島で採れる黒曜石で作られるこの物体は「マタァ(mata'a)」と呼ばれ、その鋭く研がれた形状から住民同士の殺し合いに使われたと考えられてきました。

代わりにリポ教授が唱えているのが、18世紀ごろに島を訪れたヨーロッパ人によってもたらされた病疫が人口を激減させたという説。イースター島に始めて到来したヨーロッパ人は、1722年のイースターの日に島を発見したオランダ海軍提督のヤーコプ・ロッヘフェーンで、その際には島には3000人程度の住民が暮らしているという記録が残っています。
ロッヘフェーン提督の後もヨーロッパからの船が島には到来していたようですが、1774年にイースター島に上陸したクック船長は「島じゅうが骸骨で覆われていた」と、その数年前に島民の大量死が起こったことを思わせる様子を残しています。
リポ教授は、ちょうどその頃イースター島を訪れていたスペインからの船によって疫病がもたらされたとする可能性について触れており、天然痘やペストといった疫病が伝染することで、島の人口は短期間で半数以下にまで減ったと指摘しています。リポ教授は「ヨーロッパ人が到来するまで、島で大規模な人口破壊が起こった形跡はみつからなかった」としています。
このリポ教授の説には反対の声を挙げる人がいるのも事実です。先述のダイアモンド氏は、リポ教授の理論では焼畑農業による環境破壊の影響度が低く見積もられているなどの問題を指摘しているほか、イースター島の研究家であるポール・バーン氏とジョン・フレンリー氏は、当時の骸骨に残された外傷の跡や、島に伝わる大虐殺の言い伝えの存在を指摘し、住民同士の殺し合いが原因であると反論しています。ただし、現在島に住む住民は1度島を出てから戻って来た人や、外部からの流入であるため、この「言い伝え」がどこまで信頼できるのか疑問符が残るところではあります。
まさに諸説入り乱れるといった様相のイースター島の歴史論ですが、従来の説は科学的根拠に欠けるともいわれていたことから、リポ教授らの説は一石を投じる存在であることは間違いないと言って良さそう。状況を鑑みるに、さまざまな思惑があってまさに歴史認識の難しさを痛感させられる観のある問題ですが、最後は科学的な根拠が本当の姿を見せてくれることを願いたいところです。
なお、リポ教授らの研究チームはモアイ像の製作方法についても調査を実施しています。以下のムービーでは、上記の「ヨーロッパ人説」の詳細が語られているほか、昔の人が使ったと考えられる「モアイを歩かせる」という方法で運搬する方法を再現する様子を見ることができます。
National Geographic Live! - Terry Hunt and Carl Lipo: The Statues That Walked - YouTube
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=rut16-AfoyA
モアイに三方からロープをかけ、左右に揺らすことでモアイがまるで歩くように運ばれる様子が収められています。イースター島には「モアイは自分で歩いた」という言い伝えがあるのですが、まさにその通りの光景がムービーで再現されています。
http://gigazine.net/news/20160218-easter-island/

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