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先住民族関連ニュース

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イニャリトゥ監督、「レヴェナント」ディカプリオの演技は「監督人生で初めて見る素晴らしさ」

2016-02-20 | 先住民族関連
映画.com 2016年2月19日 18:00

[映画.com ニュース] 第88回アカデミー賞で作品賞・監督賞・主演男優賞ほか最多12部門にノミネートされ、第69回英国アカデミー(BAFTA)賞でも最多5部門に輝くなど賞レースを席巻している「レヴェナント 蘇えりし者」の特別映像が公開された。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督とキャスト陣のインタビューとメイキング映像で構成されている。
19世紀、アメリカ西部の未開拓地が舞台。狩猟中に熊に襲われて瀕死の重傷を負ったハンターのヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は、グラスを足手まといに感じたメンバーの1人、ジョン・フィッツジェラルド(トム・ハーディ)に置き去りにされるだけでなく、息子の命までも奪われてしまう。復しゅうを心に誓ったグラスは、先住民族に追われながらも不屈の闘志で生き延びようとする。
オスカー監督のイニャリトゥ監督は、長回しを効果的に用いた作風で知られている。本作でも、冒頭の先住民族との戦闘シーンから長回しが見られ、見る者を作品世界に引きずり込む。イニャリトゥ監督は「カメラを90分回し続けて、複雑なシーンを作り上げた」と語り「本作を可能にしたのは、過酷な自然と俳優陣の気迫だ。何百人も俳優を動員し、まるで舞台のようだった。パワフルな俳優ばかりだった。奇跡の芸術と演技の神髄を見られて、この上なく幸せだった」と俳優陣を称えている。
悲願のオスカー獲得を目指すディカプリオについては、「レオは目だけで全てを語ることのできる俳優だ。わずかなセリフだけで、複雑に入り組んだ感情を同時に表現できる。彼の演技は、私の監督人生で初めて見る素晴らしさだった」と太鼓判を押す。
一方のディカプリオは、「インセプション」(2010)でも共演したハーディを「僕は彼の大ファンなんだ」と目を輝かせる。「彼ほど力強い俳優は、他にいない。キャラクターを作りこむ彼の集中力は、見ていて興奮するよ。本作の彼は過去最高だ」と最敬礼。「ダークナイト ライジング」(12)、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(15)で人気を不動のものとしたハーディもまた本作でアカデミー賞助演男優賞に初ノミネートを果たしており、ディカプリオとのダブル受賞にも期待がかかる。
「レヴェナント 蘇えりし者」は、4月22日から全国公開。
http://eiga.com/news/20160219/19/

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オレカTXが奏でるチャラパルタとアイヌの伝承歌がダンスとコラボレート

2016-02-20 | アイヌ民族関連
CDジャーナル 2016/02/19 15:43掲載
 スペイン・バスクの幻の伝統楽器、チャラパルタ。並べられた木材にすりこぎのような木撥を叩きつけ、素朴でユニークな音を出すこの楽器を奏でる世界的グループ、オレカTX(OREKA TX)が来日します。日本を代表するコンテンポラリー・ダンサーで振付師の平山素子が2008年から続ける“音楽シリーズ”の第3弾公演〈Hybrid - Rhythm & Dance〉に、アイヌの伝承歌を歌う床 絵美とともに出演。原始的な音楽と生演奏を新しい身体表現に繋げることをテーマに、音楽とダンスのコラボレートがステージで繰り広げられます。公演は3月25日(金)から27日(日)までの3日間、東京・初台 新国立劇場中劇場にて。チケットは発売中です。
 また、オレカTXは単独公演の開催も決定。世界各地の映画祭で14もの賞を受賞した、オレカTXを追うドキュメンタリー&ロードムービー『遊牧のチャラパルタ』(2006年・スペイン)の上映とコンサートが3月29日(火)東京・代官山 晴れたら空に豆まいて、4月2日(土)埼玉・所沢 所沢市民文化センターミューズ、さらに平山素子と床 絵美をゲストに迎えたコンサートを4月3日(日)兵庫・西宮 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて行ないます。
http://www.cdjournal.com/main/news/oreka-tx/70400

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「慰安婦」だけじゃない!国連が指摘する日本の女性差別問題

2016-02-20 | アイヌ民族関連
ダイヤモンド・オンライン 2016年2月19日 みわよしこ [フリーランス・ライター]

2016年2月15日から国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)が開催されており、日本に対する審査は16日に終わったばかりだ。ほぼ従軍慰安婦問題以外は報道されていない委員会で、日本の貧困、特に女性と子どもの貧困は、どのように議論されたのだろうか?
「女性差別」委員会での議論
なぜ「慰安婦」だけになるのか?
 2016年2月15日から3月4日まで、スイス・ジュネーブの国連本部において、国連女性差別撤廃委員会(第63会期、以下CEDAW)が開催されている。この委員会は、国連女性差別撤廃条約(外務省公定訳では「女子差別」とされている)を批准した各国で条約がどのように実行されているか審査し、不足不備があれば勧告を行う。なお、「女性差別撤廃条約」と「女性差別撤廃委員会」の略称は、いずれも「CEDAW」となり、「セダウ」「セドウ」のように発音される。
 2016年、条約のCEDAWを批准してから31年目となる日本に対する委員会のCEDAWによる審査は、初日の2月15日と16日に行われた。私も、市民団体の一員として参加した。
 CEDAWからの勧告は3月7日に発表される予定となっている。なお現在、委員長を務めているのは、日本の弁護士・林陽子氏である。各委員による自国の審査に対する参加は制限されており、基本的に「口出しできない」決まりとなっている。
 本記事を執筆している2月18日現在、日本に対する審査は既に終了しており、メディア各社が報道を行ったところだ。内容は、ほぼ従軍慰安婦問題一色である。たとえば日経新聞は、記事「慰安婦『強制連行確認できず』 日本、国連委員会で」(2016/2/16 19:58)において、
 国連の女性差別撤廃委員会は16日、女性差別撤廃条約の対日審査会合を開いた。出席した外務省の杉山晋輔外務審議官は旧日本軍の従軍慰安婦に関する質問に「日本政府が発見した資料では軍や官憲による強制連行を確認できるものはなかった」と答えた。また「歴史を否定しているとか、何の対応もしていないというのは事実に反する」と強調した。(以下略)
 と報道しており、従軍慰安婦問題以外の内容に関する言及はない。他のメディアも従軍慰安婦問題を中心に報道している。まるで、他の話題は全くなかったかのようだ。
 しかし、女性に対する差別全般を取り扱うこの委員会では、生育・教育・就労・就労を前提とした年金などすべての側面において、女性の人生に「ゆりかごから墓場まで」という感じで影のようについて回る「貧困」も、当然のこととして取り上げられる。その国の女性の貧困は、その国全体の状況に、その国で女性が置かれている社会的・経済的状況を反映したものとなっているからだ。もちろん今回の日本に対する審査でも、従軍慰安婦問題しか話題にならなかったわけはなく、数多くの重要な問題が審議された。
 では、CEDAWの審査の流れは、どうなっているのだろうか?
人権問題に関する国連の委員会は市民の関心と声を重要視
 CEDAWに限らず、国連の各委員会が定期的に(緊急ではなく)各国の審査を行う場合の手続きには、政府の報告・政府とともに、異なる視点や立場を持つ市民団体からの報告が含められている。政府と市民団体は、委員会を通じて意見交換・情報交換を促されることになる。最後の段階で審査が行われ、勧告が公開される。準備段階から勧告までは、概ね2年程度である。
 用いられる公式文書は、すべて公開される。今回のCEDAWでも、対象となったすべての国の政府・市民団体等が提出した文書・委員会から政府への質問リストなどはすべてで閲覧・ダウンロード可能になっている。まだ見ることができないのは、3月7日に公開される予定の勧告だ。私も、女性のメンタルヘルスの問題・女性の貧困の問題・女性のメンタルヘルスと貧困が複合しやすいシングルマザーの状況を中心に、自分がメンバーとなっている全国「精神病」者集団(JNGMDP)(全国「精神病」者集団(JNGMDP))と、NPO法人・CPAO(大阪子どもの貧困アクショングループ)合同の報告書2本(2015年6月(委員会から日本政府への質問リスト作成に際して)、(2016年1月(本審査に際して))を提出した。
 内容の中心は、生活保護を先陣として進められる社会保障削減である。JNGMDPとCPAOの組み合わせになった最大の理由は、スタートとなった2015年6月の報告書作成において時間がないなかで、締め切りまでに団体としての合意が取れ、なおかつ日本語の下書きなしにいきなり英語で書いたレポートをチェックできたのが、この2団体だけだったからである。
 本審査向けに作成した2本目のレポートの締め切りは2016年1月だったため、生活保護の住宅扶助削減・冬季加算削減・児童扶養手当増額と同時に盛り込まれた「不正受給対策強化」の問題(本連載第34回)など、現在進行形の問題に充分な言及ができた。
 国連が市民からの情報や参加を歓迎するのは、なぜだろうか? 「人権が保障されている」といえる状況は、政府だけで実現できるものではなく、政府とその国の人々それぞれとの間の相互作用やパワーバランスの上に、成り立ったり成り立たなかったりするからだ。また、「人権が保障されている」といえる状況は、何もしなくても永久に続くわけではない。特定のグループに対して保障されたとき、忘れ去られているグループがいる場合もある。だから、国連は市民の声を聞きたいと望み、審査への参加を歓迎する。もしも丁寧な対話を行おうという意志が政府と市民の両方にあるのなら、国連の委員会は、委員会という第三者の前での、双方の丁寧な対話の機会にもなりうる。年単位の時間がかかってしまうのは、民主主義あるいは民主主義に近づくことが、まことに面倒くさく手間ヒマのかかるものであるからだ。なお、政府と市民団体の主張があまりにも似通っており、市民団体の報告書がすべて政府を賞賛する内容になっている場合、国連は、その国で思想・信条・表現の自由が侵害されている可能性を考える。
 とはいえ、委員会に行って参加する市民に対し、旅費・宿泊費・その間に失う収入への補償などは全くない。委員たちも、国連から報酬を受け取っているわけではなくボランティアである。それが「中立性を保つための基本」と認識されているからだ。
 なお今回、審査の対象となった国は、チェコ・ハイチ・アイスランド・日本・モンゴル・スウェーデン・タンザニア・バヌアツの8カ国である。肉体的な「生き延びる」「殺されない」が問題の国々には当然ながらその解決、男女平等がある程度実現された先進国には次の段階への進展が求められる。
「男女共同参画」でお茶を濁す日本に冒頭から強烈な一撃が
2月17日午前10時に開始された本審査は、日本政府代表団を代表した杉山晋輔・政務担当外務審議官の挨拶で始まった。30分ほどの挨拶の中で、杉山氏は安倍内閣下で進められる「男女共同参画」を、女性活躍法・50万人分の保育の受け皿づくり・介護離職を減少させるなどの方針とともに語った。
 この挨拶の直後、条約のCEDAW(外務省公式訳)の条文を最初から最後までたどる形で、議論が開始された。
 最初の委員質問は、
「日本の国内法では、『差別』が定義されていません。直接・間接の差別の定義を、具体的に入れていく予定はあるのですか?(略)『男女共同参画』という言葉は経済成長のためのもので、人権のためにあるものではないと思います。実体的な男女間平等を、あらゆる分野で実施するために、どういう方法を考えているのでしょうか?」
 という内容であった。「差別とは何か」が明確にされていない限り、「差別されている」「差別されていない」も明確にできないし、「差別がない」「平等である」という状態に近づいたのかどうかも判断できない。むろんCEDAWには、冒頭の第一部第一条に、
第一条
 この条約の適用上、「女子に対する差別」とは、性に基づく区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない。)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するものをいう。
 という明確な定義がある。しかし日本の国内法には未だ、「差別とは何か」「直接差別は悪、間接差別も悪」を明確に述べた条文はない。
 日本政府からの代表団の多くは、各省庁に勤務する比較的若手の官僚である。もしも局長クラスであれば、自分の判断でその場で答えることも可能であろう。しかし、代表団の前には想定問答集らしき書類があり、各省庁の代表者はほぼ、淡々と、あるいは抑揚をつけて読み上げるのみであった。
 さて、CEDAW第一部第二条・第三条は主として、男女平等・女性差別撤廃にかかわる立法、さらに司法・立法・行政のすべてが関わる法と制度の整備に関するものである。しかし政府代表団の人々は、自身が「司法・立法・行政」の三権のうち「行政」に関わっていることを理由として、立法に関する明快な回答をしなかった。
 第四条は、差別を是正して事実としての平等を実現するためのポジティブアクション、たとえば「○市の男女比は40:60なので、市議会議員の60%は女性に割り当てる」といった措置を行うことに関するものである。「行き過ぎて逆差別になった」という事態を防止するため、「機会および待遇の平等の目的が達成された時に廃止されなければならない」とも明記されている。日本政府代表団は、さまざまなポジティブアクション案を語った。内閣官房は「平等についての数値目標をどれだけ達成したかを企業名とともに公開し、日本的『横並び』によって他企業との競争を促す」と語った。しかし委員は、「なぜ罰則を設けないのでしょうか?」と質問の手を緩めなかった。
 第五条は、社会的・文化的な「男性優位」「性別役割分担」をなくすこと、育児の責任は両方の親にあると明確にすることを目的としたものである。特に学校教育・社会教育に関して、委員からは鋭い質問の数々が相次いだ。しかし政府回答は、主に文科省による「指導要領にもとづいて適切に学校教育を行っている」と繰り返すのみだった。
 慰安婦問題は、第六条(売春・売春からの搾取禁止)に関係する。本審査で日本政府代表団から自分の言葉での力強い主張が聞かれたのは、この時だけであった。しかし私としては、慰安婦問題そのものではなく、委員が指摘した「売春において、買う側をなぜ罰しないのか?」という問題、東南アジアの女性が異なる名目で日本に入国させられて性産業に従事しているが強制送還を怖れて何も出来ない問題、DV被害者が十分に保護されない仕組みに関する問題、性的暴力が極めて狭い意味に限定されている問題を、さらに大きなものと感じた。
 現在の日本では売春を含めて、女性が意に反して何かを強制されない権利を保障する仕組みや、強制されてしまった場合に本人の意志に沿って安全を確保し名誉を回復する仕組みは、まったく不十分だ。このことこそが問題なのである。慰安婦問題も、戦前の日本で管理売春が合法化され公然と存在したことや当時の日本の女性観と密接に関連しており、真の問題は「あったかなかったか」「強制か自発か」ではないはずだ。日本政府代表団の回答は、慰安婦問題そのもの以外では明確でなかった。「買春」に厳格な罰則を設けることに対しては、極めて消極的であった。
 ついで第二部第七条(選挙権・被選挙権・政策決定への参加)、第八条(国際機関活動への参加)に関する検討が行われた。ここで私が最も重要だと感じたのは、小選挙区制に関する質問であった。小選挙区制では、マイノリティは得票できても選出されにくくなる。候補者の女性比率を増やして各政党が注力すれば、女性議員を増加させることくらいは出来るかもしれない。しかし、障害者やLGBTなどのマイノリティを人口比率・男女比ととともに議員比率に反映させることは、小選挙区制のもとでは不可能である。これでは、誰もが「自分の」代表を議会に送り出せるとはいえない。言い換えれば、マイノリティにとっては特に、日本の民主主義が不十分であるということだ。
 第九条は、国籍の変更に関するものである。日本人男性と結婚した外国人女性は、「日本で生まれたことによって日本国籍となった子どもの母」という身分でない限り、離婚すれば日本への在留資格を失う。このことは非常に深刻な人権侵害を引き起こしている可能性があり、委員からも鋭い質問が相次いだ。
 第三部は、第十条(教育)・第十一条(雇用)。第十二条(保健)・第十三条(給付についての権利・経済権・文化活動)・第十四条(農村女性の平等)に関するものである。第三部に含まれる問題の数々は、極めて具体的かつ個別的であるからこそ、地道に確実に改善する可能性がある。しかし足かせになっているのは、何と言っても「最初からデータの多くが男女別のデータで取られていないので、したがって現状も改善の必要性も方法も明らかにできない」という問題である。文科省の担当者は、女性に対する高等教育の機会均等のために「日本学生支援機構の奨学金を貸しつけており、予算も対象人数も増加させつつある」という事実を「無利子奨学金(第一種)では女子の採択率が4% 高い」というデータとともに述べた。奨学金の貸与を受ける必要性が女子学生においてより大きく、それが「4%高い」に反映されているのであれば、女性差別の結果かもしれないではないか。私は唖然とし、失笑した。
社会保障の削減は「女性」を直撃“複合差別”を深刻にする
 さて、JNGMDPとNPO法人・CPAOの共同報告書(2015年6月・2016年1月)を起草した私としては、給付についての委員質問が最も気になるところであった。報告書では、社会保障の削減が女性を直撃し、さらにシングルマザーとその子・特に障害をもつシングルマザーに深刻な問題をもたらす可能性を、判明しているデータも挙げた上で、
「問題があることは間違いないのですが、とにかく公式調査が皆無に近く、データが足りません。より具体的で詳細な調査で、現状と問題点を明らかにすることが必要です。でも現状把握はされないまま、社会保障の削減が進められています」
 と述べた。「貧困」「ひとり親」「女性」に精神も含む「疾患」による困難と差別が複合しうるシングルマザーにおいて、問題が深刻にならないわけはないのであり、影響は子どもたちにも及ぶ。しかし現在のところ、調査もデータも不十分すぎる。
 問題を解決する最大の手段は、経済的基盤を支えることである。手っ取り早く言えば、最も立場の弱い人々に対する給付である。それは現在の生活保護や児童扶養手当そのものである。
 複合差別の問題は、DPI女性障害者ネットワークも問題にしつづけてきている。たとえば「視覚障害の女性障害者が痴漢に遭ったり暴力を受けた場合、相手が誰だか分からないため、訴え出ることが困難」「障害女性が夫からの暴力を受けたとき、障害を理由にシェルターでの保護を拒まれた」といった残念ながらよくある問題が、典型的な複合差別である。
 2015年7年、CEDAWは日本に対する質問リストを作成するための検討を行った。この時、DPI女性障害者ネットワークから2人が参加していた。参加できなかった私の代わりに、JNGMDPとCPAOのメッセージを彼女たちが代読してくれた。
 先日のCEDAW日本審査の際、DPI女性障害者ネットワークは詳細な報告書を他団体と共同で作成し、資金調達も含む周到な準備のもと、障害者6名・介助者等スタッフ5名を今回のCEDAWに送り込み、ロビイングを含め、マイノリティの権利保障を求めて活発な活動を行った。今回、前日の2月14日午前中に米国ワシントンDCで学会発表を行った私は、その日の夕方の便で開会当日の2月15日朝にジュネーブ入りする予定であったが、フライト遅延により、国連本部に到着したのは午後1時過ぎであった。しかし、彼女たちとCEDAWに関連する団体の集合体であるJNNCの協力により、極めてスムーズに参加することができた。2月15日夜にJNNCが作成した委員たちへの追加情報提供文書にも、JNGMDPとCPAOの立場からの意見を反映させてもらえた。また2月16日の本審査直前、DPI女性障害者ネットワークが行った委員へのロビイングにも同席し、短時間ながら、女性の貧困・精神の健康・シングルマザーの状況を委員に話せた。
 委員質問では「障害を持つ女性」「シングルマザー」「複合差別」という用語が、「もっと調査を」「さらなる統計を」「より詳細なデータを」という言い回しとともに何回も使用された。また、
「社会福祉などが削減されることによって女性の権利が阻害されることを懸念しています」
 という委員質問もあった。年金、介護、医療などすべての面において進む社会保障・社会福祉の削減は、最初に立場の弱い女性の生存を危うくし、結局は全人口に影響が及ぶ。このことを深く認識しているであろう委員から「それそのもの」の質問が発せられたとき、私は心のなかで「やったー!」と叫んだ。ついで心のなかで委員に「ありがとうございます」とお礼を言い、ひそかに嬉し涙を流した。JNGMDPとCPAOに出来たことは、報告書を2回提出し、私が本審査に参加することだけだった。けれども、委員たちが真摯な関心を持ち、報告書の内容を質問に反映したことは、十分に理解できた。
 なお、このCEDAWで検討された「女性差別」には、LGBT・アイヌ民族・差別など、本人が選べない何かを原因とする全ての差別が含まれていることを、最後に述べておきたい。日本にいても関心がなければ「見れども見えず」という問題と当事者に対し、日本人ではない委員たちは細やかな目配りを絶やしていない。日本に住んでいる日本人に、それ以上のことができないわけはないであろう。
 CEDAWとは何か・CEDAWで何が議論されているのかについて知っていただくには、あまりにも文字数が足りない。しかし「慰安婦問題」が非常に数多い問題の一部であること、むしろ現在とこれからの数多くの課題との関連から問題にされつづけていること、CEDAWそのものは極めて現実的・具体的で未来志向であることは、ご理解いただけたのではないだろうか。
 関心を持ち「行きたい」という気持ちがあっても、ジュネーブまたはニューヨークで行われる国連本部での審議に参加できる人々は限られているであろう。直接知りたい数々の事柄のうち、報道を頼らず自分の身体で確かめられることは、誰にとってもごく一部であろう。しかし、国連の人権問題に関する委員会に対して、
「慰安婦問題とヘイトスピーチ問題がどうなったかは分かった。それ以外はどうだったの?」
 という関心を向ける人が増えれば、報道も政府も変わらざるを得ないはずだ。
 あなたの思想信条がどのようなものであれ、本記事が「国連や国際社会はどうなっていて、どのように動いていて、どう考えているのか」を知るお役に立てば、さらに報道が「そこに行くことのできない人の代わりに見て聞いて伝える」という機能をより大きく果たすお役に立てば、これ以上の喜びはない。
http://diamond.jp/articles/-/86597/

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クリミア先住民の象徴に=苦難の女性歌手-ロシア介入2年

2016-02-20 | 先住民族関連
日刊アメーバニュース-2016年02月19日 15時05分提供:時事通信

クリミア先住民の象徴に=苦難の女性歌手-ロシア介入2年
クリミア先住民タタール系のウクライナ人気歌手ジャマラさん=2011年12月、キエフ(EPA=時事)
 【モスクワ時事】2014年2月のウクライナ政変後、南部クリミア半島編入のためロシアが軍事介入してから間もなく2年。住民投票を棄権した先住民族タタール系はロシアに「過激派」として弾圧され、故郷を追われた人も多い。タタール系の人気女性歌手はウクライナ代表として世界を目指し、編入反対の象徴となった。
 歌手はジャマラさん(32)。欧州最大の音楽祭「ユーロビジョン」の有力なウクライナ代表候補で、民族の苦難の歴史をつづった曲「1944年」を歌う。
 中央アジアのキルギス生まれ。父方の曽祖母を含むタタール系住民約20万人が第2次大戦時、ソ連の独裁者スターリンによって「ナチス・ドイツのスパイ」とぬれぎぬを着せられ、クリミアから強制移住させられた場所の一つだ。
 ジャマラさんは、一家で1986年にクリミアに帰還。音楽学校で学び、首都キエフを拠点に活動してきたが、メディアのインタビューに「故郷はクリミア」と即答する。ただ、ロシアによる編入後は身の危険を感じて「一度も帰省していない」。タタール系の友人はロシア当局の事情聴取を受けたという。 【時事通信社】
http://news.ameba.jp/20160219-769/

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ニコール・キッドマン大胆全裸演技 ボカシなし 映画「虹蛇と眠る女」

2016-02-20 | 先住民族関連
ZAKZAK-2016.02.19
 押しも押されもせぬ、ハリウッドを代表する演技派となったオスカー女優、ニコール・キッドマンが衝撃のオールヌードで、大胆演技をみせているのが、27日公開の「虹蛇(にじへび)と眠る女」(キム・ファラント監督)だ。
 ニコールといえば、美人でグラマー。これまでも「冷たい月を抱く女」や「誘う女」「アイズ・ワイド・シャット」などで際どい場面やセックスシーンは多々あったが、背中などばかりで肝心のバストトップは拝ませてくれていなかった。
 それがどうだ。ついに真正面からボカシなしで堂々と披露してくれたのだからお宝映像といってもいいだろう。
 オーストラリアの砂漠地帯にある小さな町ナスガリ。都会から引っ越してきたマシュー(ジョセフ・ファインズ)とキャサリン(ニコール)一家。ある日、2人の子供が忽然と姿を消した。
 町の人々も総出で捜索するが見つからない。厳しい自然のなか、子供たちが生存できるタイムリミットが迫る。しかし、人々の疑いは夫婦に向けられるようになる。
 周囲の無理解と迫るリミット。極限状態に追い込まれたキャサリンが取った行動は…。
 ニコールがすべてをさらすシーンからは、ヒロインの悲しみと苦悩がひしひしと伝わってくる。母として、女として、むきだしの魂を演じて見せたニコールの真骨頂でもある。彼女にとっても、忘れられない渾身の作品となるだろうことは疑いもない。ぜひスクリーンで確認されたい。
 ちなみにタイトルの虹蛇は、先住民族アボリジニの伝承によれば、その精霊を呼び起こすことによってさまざまなことが起こるとされている。 (望月苑巳)
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20160219/enn1602191527014-n1.htm

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日本の北方領土問題と歴史学ーとくに明治国家の愚行の評価について

2016-02-20 | アイヌ民族関連
BLOGOS-2016年02月18日 18:07 保立道久
 外交にとって最低の必要条件は、国際法上の不法をただすことであって、それがないような外交は外交といわないが、歴史学からいわせると、日本外交はつねにそういう種類の外交であった。それを論じて、最後には徳川幕府が結んだ1855年(安政元年)の日魯通好条約と、明治国家が結んだ1875年(明治8年)樺太・千島交換条約の評価に及びたい。
 さて、現在、国際法上、どのような立場からしても不法であることが明瞭なのは、ロシアによる北方領土の占領である(アメリカによる沖縄の基地占領については最後に述べる)。これに対する国際法的な法理を正面にすえた異議をとなえない日本の外務省は決定的な職責違反を行っている。また私見では法学界、国際法学界も、この問題についてよるべき十分な仕事をし、必要な主張をしていないように思える。
 私は、以下の国際法的な事実は、歴史学界共通の見解である以上、小学校・中学校・高等学校で、社会科学・歴史学のカリキュラムのなかで、順次、学ぶべきものであると考えるが、それができないのは、それをやると外務省の行動が職責を果たしていないことが明々白々になるからであろうか。
 まず第二次世界大戦における日本の降伏条件を構成する1943年の「カイロ宣言」には"The Three Great Allies are fighting this war to restrain and punish the aggression of Japan. They covet no gain for themselves and have no thought of territorial expans"、つまり「三大同盟国は日本国の侵略を制止し、罰するため、今次の戦争を行っている。同盟国は自国のために利得をむさぼろうとするものではなく、また領土拡張の念も有しない」という「領土不拡張」原則が記されている。そして続けて、" It is their purpose that Japan shall be stripped of all the islands in the Pacific which she has seized or occupied since the beginning of the first World War in 1914"(以下は中国との関係、省略), つまり、「同盟国の目的は日本国より1914年の第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取し、または占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪する」という形で日本の領土をどの範囲に限定するかを明らかにした。
 しかし、アメリカ、イギリス、ソ連3国の首脳、ようするにルーズヴェルト・チャーチル・スターリンは、1945年2月、ソ連のヤルタで会談を開き、そこでスターリンがソ連の対日参戦の条件として千島列島の引き渡しを要求し、ルーズヴェルト・チャーチルがこれを認めて、ヤルタ秘密協定に盛り込まれた。そこには「三大国の指導者は、ドイツが降伏し、かつヨーロッパの戦争が終結して二・三ヶ月後、ソ連が左の条件にしたがい、連合国に与して日本に対する戦争に参加することについて合意した」として、(1)外蒙古の現状の維持、(2)1904年の日本の裏切りの攻撃(the treacherous attack)によって侵害されたロシア国の旧権利(樺太南部など)をあげ、さらに「(3)千島列島はソ連に引き渡される(shall be handed over)」という項目を付け加えた。
 第二項目はポーツマス条約(日露講和条約、1905年)における樺太の獲得にふれたものである。それはカイロ宣言における「1914年の第一次世界戦争の開始以後において日本国が奪取し、または占領したる島嶼」という条項と異なるが、樺太は日露戦争の敗戦処理のなかでの領土獲得という側面をもつために、国際法上、一定の根拠をもつことになる(ただし、ポーツマス条約の問題性については後述)。
 しかし、千島についての第三項目は、明らかにカイロ宣言に対する違反である。このヤルタ協定は密約として日本国には伝えられていない以上、これを降伏条件として日本国に要求することはできない。もちろん、日本の戦争が侵略戦争であったことは明らかであるが、しかし、その責任を問うことと、戦後処理が降伏条件との関係で法的な正当性をもつかどうかは別問題であって、このような秘密協定を潜り込ませたスターリン、そしてそれを容認したルーズベルト、チャーチルの行動は不当なものである。勝った側、さらに戦争において大局的な正当性をもったものが何をやってもよいということではないのである。ルーズヴェルトは原爆投下に消極的であったといわれ、ルーズヴェルトの死が原爆投下の促進要件になったといわれる。それは事実であろうが、ルーズヴェルトをむやみに誉めることはできない。彼にとってもアメリカの狭い国益が第一であったことはいうまでもない。ヤルタ密約に同意したルーズヴェルトの判断自体から問題にされなければならないことも明らかであろう(参照、武田清子『天皇観の相剋』)。
 「カイロ宣言」が第二次世界大戦における日本の降伏条件を構成するというのは、ポツダム宣言において"The terms of the Cairo Declaration shall be carried out and Japanese sovereignty shall be limited to the islands of Honshu, Hokkaido, Kyushu, Shikoku and such minor islands as we determine"、つまり「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく、また日本国の主権は、本州、北海道、九州ならびに吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」と確認されているからである。もちろん、明らかなように、この条文の後半は実質上、ヤルタ秘密協定をうけた側面がある。わざわざ「本州、北海道、九州ならびに吾等の決定する諸小島」という用語をいれたことはスターリンの主張に対する曖昧な妥協であった。ポツダム宣言に「(アメリカ・イギリス・中国の)巨大な陸海空軍は西方より(中略)数倍の増強を受け日本国に対し最後的打撃を加へる態勢を整えた」とあるのは、ソ連の参戦を前提にしたものであるから、ルーズヴェルトとチャーチルはさかんにスターリンに媚びを売ったのである。
 藤村信は「ヤルタ体制を結晶させたものは、あいまいな妥協であり、いかようにも解釈できる不明瞭な協定の文字である」と述べているが、ポツダム宣言の上記の条項は、その曖昧さを継承していたということになる(藤村信『ヤルター戦後史の起点』)。たしかに日本はポツダム宣言を受諾したが、右の曖昧な条文によって、カイロ宣言の領土不拡大原則と国際法上の原則をこえて、千島を放棄させられたことは容認すべきことではない。
 このヤルタ密約が前提となってサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)が締結されたのはいうまでもない。その第二章 領域、第二条、(c)項に「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とある通りである。ヤルタ密約とそれを追認したサンフランシスコ条約の該当部分は、国際法上の不法行為であって、これの見直し・訂正を求めることは敗戦国とはいっても、日本国民の国際法上の権利であることは明瞭であろう。
 もちろん、外務省は、北方四島の返還を要求はするが、それをヤルタ協定が国際法に反するという形では主張しない。ようするに、彼らには、ヤルタ→ポツダム→サンフランシスコという国際密約・協定などの全体を問い直そうという、外交官ならば当然にあるべき覇気と専門職としての自覚がないのである。
 ポツダム宣言は原稿用紙4枚ほどにすぎない。それをその歴史的背景をふくめて「つまびらかに」読むことが国家理性の中枢にいる人間の最低の知的レヴェルというべきものであることはいうまでもない。昨年、本当に驚愕したのは「ポツダム宣言の内容をつまびらかにしない」という人を国家中枢にもっていることが明らかになったことであった。そして、最近、「歯舞、これ何だっけ」という人物が沖縄北方担当相であるという、悲しいあきらめをもったが、これらの発言は、職責的知識の欠如が中枢に存在することを示すのみでなく、そのような欠如が、政治的な立場の如何をとわず、きわめて一般的であることを期せずして明らかにしたといえるのかもしれない。
 こういう現状を前提とすると、上記のような外務官僚への要求は過大なものということになるのかも知れないが、しかし、さすがに20年前まではいくら対米従属といってもそんなことはなかったのだから、外務官僚が職務怠慢の責めを受けることはやはり否定できないだろう。
 これがアメリカによる沖縄の基地占領が国際法上の不法行為であるという問題提起をしないことと共通する問題であることはいうまでもない。戦争行為を直接に無法な土地占取・基地設置に連続させ居住者を追い出す、という沖縄におけるような行為は、国際法上認められていない。沖縄の基地は、サンフランシスコ条約第三条に根拠があることはいうまでもないが、これも違法なものでり、その違法性は沖縄の施政権返還協定によっても完全に解消された訳ではない。
 サ条約の改定は、締結諸国全体との外交交渉を必要とし、それは日本側のアジア太平洋戦争に対する総括をふくめて全面的で根本的な態度を必要とする。その方向をとる決意なしには、サ条約第二条の千島放棄の規定の再検討はありえない。そもそも当時の自民党佐藤政府とアメリカがサ条約の改訂という道を取らなかったのは基地を確保するとともに、安保条約を日本全土に拡張するためであった。
 たとえば荒井信一氏の仕事が示すように、これらは歴史学においては周知の問題であって、いわずもがなのことであるが、最後に二点を述べたい。
 第一に、沖縄の状況であるが、戦後に続いてきたすべての政権がサ条約の不法性を主張せず、それを容認し、沖縄を日本の国家意思として「引き渡し(handed over)」続けてきた。しかし、ともかくも施政権の返還によって、沖縄における不法行為は、国際法上の違反の形式をもつのは基地の占拠に極限されるに至ったということができよう。不法に占拠された基地までも法的な基礎をもつという形式をとっているのは不適法であることはいうまでもないが、しかし、日本の沖縄に対する国家意思が変わらないままでは、国際法上の異議提起は現実には成立しえない状況であり、その意味で施政権の返還の意味は重い。ここで国際法上の不法性が縮減されたことは否定できない。
 これに対して、千島のソ連・ロシアによる奪取は、戦後処理のドサクサにおける奪取であって、これについては、日本の国民意思を代表すべき政治は、左翼であろうと右翼であろうと、保守であろうと革新であろうと、「敗戦国」としての正当な戦後処理を受ける国際法上の権利の問題として、サンフランシスコ条約の該当条項の削除を要求すべきものである。日本の戦後における政府は、それができない、それをする意思がない政府であり続けたのである。
 そのなかで、第二次大戦については、「せいぜい」、内向きの発言をするか、韓国・中国の歴史認識に異議をいうだけという姿勢である。「歯舞、これなんだっけ」という閣僚の発言は、そのなかでもたらされたものである。こういう口の裏まで透けて見えるということでは、領土問題に関する外交的な発言に説得力をもたせるのは無理というほかない。
 むしろ千島の返還のためには、韓国と日本の関係はきわめて重大であって、しばしばいわれるように、両国を核として東アジア共同体を形成し、さらに中国・アメリカの賛同をえて、それらをバックとしてロシアに対して戦後処理の不法性を主張することこそが、日本外交にとっての本来の正道である。ロシアが北朝鮮の背後にいて利害優先の態度をとっていることも明瞭な事実であって、日本にとってロシア批判は、国内的な立場を越えて優先的な問題なのである。現在のプーチンのロシアが世界とユーラシアの平和にとってきわめて危険な存在であることはいうまでもない。ロシア批判を第一にせずに、中国・韓国の対日態度を論ずるというのは、少なくとも当面の外交上、国益上、真の実効のないことである。
 第二の問題は、千島、そして樺太は、本来、日本民族ではない諸民族の領土であったという問題である。日本の「領土」問題において、北方においても、「琉球処分」と同じ種類の問題の検討が必要であることを示している。これは私の専攻する日本の前近代の歴史にも関わってくる。
 まず千島については、最近の考古学的な研究によって、ウルップ島より北の北千島には「コロホウンクル(コロポックル)」と呼ばれた北海道アイヌとは言語を異にする民族が分布していた可能性が指摘され、それに対して択捉島以南は北海道アイヌのテリトリーのなかにあったといわれる(瀬川拓郎『アイヌ学入門』、講談社現代新書)。また樺太については、ギリヤーク(オホーツク人)の人びとの強い地であり、そこに北海道アイヌの人びとも古くから進出していたことは以前から明らかになっている。ユーカラが12世紀頃以降のアイヌとギリヤークの戦いを反映しているという金田一京助の盟友、知里真志保の説は有名であって、最近では支持者が多い(榎森進『アイヌ民族の歴史』、草風館。本書については保立『日本史学』人文書院を参照)。
 私は、その意味で、徳川幕府が幕末・1855年(安政元年)に結んだ日魯通好条約は、北海道地方における実情を正確に反映していた可能性が高いと考える。つまり同条約は、択捉(えとろふ)島以南を日本領とし、また、カムチャッカ半島につらなる得撫(うるっぷ)島以北をロシア領としたこと、また樺太(サハリン)を民族混住の地とした。これは実情をふまえた賢い判断であった可能性が高い。
 これに対して決定的な誤りを犯したのが、明治政府であって、明治政府は、せっかくの日魯通好条約を、北海道開発をロシアとの矛盾なく展開することを主目的として改訂し、1875年(明治8年)に樺太・千島交換条約を結んだ。これによって樺太全体がロシア領となり、ロシア領だった得撫島以北の千島が日本領となったのである。これは結果からいって、北海道開発による初期利益という衝動に動かされた愚策であったことは明らかである。明治国家は巨額の戦費を費やして日露戦争に「勝利」し、ポーツマス条約(日露講和条約、1905年)によって樺太を獲得したが、前記のように、これは戦争による領土獲得であると判断され、ヤルタ→ポツダムの経過のなかで、樺太南半部を放棄させられ、さらに全千島を、本来、北海道アイヌ民族のテリトリーとして北海道の一部であった、エトロフ・クナシリ・シコタン・歯舞(はぼまい)までをふくめて奪取されることになったのである。
 これはようするに国家の資本主義化のなかで、アイヌ民族の大地(アイヌ・モシリ)を奪い、明治国家の中央集権化・軍事化の資金としようという動きであって、この乱暴な政策が、結局、この列島の北への視野と活動を大きく狭める結果となったのである。他民族を抑圧するものは、いつかしっぺ返しを受けることの好例である。この明治国家のアイヌ民族に対する罪過は、さまざまな意味で、つぐないきれない種類の罪過であったと思う。
 以上は、サンダースの外交政策がどうなっていくかということを考えるなかで、世界戦略上、ロシアをどう位置づけるかがキーになるというところから、従来の知見をいちおう整理してみたものであるが、歴史学の側から「領土問題」、北方領土問題を考える基本はここにあることになる。この種の問題は、本源的に、単純な自民族中心のナショナリズムではすまないのである。
http://blogos.com/article/161698/

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