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「インディアン=白人の敵」が覆った瞬間とは?“神”ジョン・フォードから紐解く〈赦し〉の西部劇史

2025-01-06 | 先住民族関連

2025年01月05日 17時00分BANGER!!!

『西部開拓史(リバイバル版)』『シャイアン』パンフレット(筆者私物)

■ジョン・フォード監督の死から52年

アイルランド系アメリカ人として、映画草創期の1910年代から半世紀以上現役として活躍し、“西部劇”というジャンルを築き上げたジョン・フォード監督。――アカデミー監督賞を史上最多の4回(『男の敵』[1935年]、『怒りの葡萄』[1940年]、『わが谷は緑なりき』[1941年]、『静かなる男』[1952年])受賞したフォードの個人史は、そのままハリウッド映画産業界の歴史であり、かつ西部劇というジャンルの辿った道筋の歴史でもある。 ジョン・フォードが亡くなったのは1973年で、今から52年も前になるが、筆者はその時のことを今でもよく覚えていて、亡くなった際の新聞記事もとってある。遠い日本の一映画ファンの小学生ですら偉大な映画監督が亡くなったことを知っていたくらいに、ジョン・フォードの名前は特別なものだったのだ。

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John Ford | 125 Years

今から3年前、スティーヴン・スピルバーグ監督の自伝的作品『フェイブルマンズ』(2022年)が公開された時、実際に若干21歳でユニヴァーサル映画と契約したスピルバーグが、スタジオで最晩年のジョン・フォード監督(演じていたのはデイヴィッド・リンチ監督だった!)と出会ってアドバイスを受けたエピソードが描かれていて感慨深かった。 そのスピルバーグが、新作に取り組んでいて行き詰った時に必ず観る映画の一本として挙げているのが、フォードの『捜索者』(1956年)なのだという。

■なぜ『捜索者』は最も偉大な西部劇とみなされるようになったのか?

ジョン・フォードの代表的西部劇としては、『駅馬車』(1939年)、『荒野の決闘』(1946年)、『黄色いリボン』(1949年)、『リバティ・バランスを射った男』(1962年)と枚挙にいとまがないが、今日では『捜索者』こそ彼の最高傑作だという評価が一般的。“今日では”というのは、つまり初公開当時の評価は高くなかったということだが、それは通常、西部劇というジャンルでは主人公はあくまでもヒーローであり、襲い掛かってくるインディアンや、悪党どもからヒロインを護り、町の平和を守る立場であるのに対して、『捜索者』はまったく異なっていたから。

同作でジョン・ウェインが演じる主人公はインディアンに対する偏見に凝り固まった男で、インディアンたちに兄一家が殺され、年頃の姪と幼い姪の二人が拉致されたために追跡の旅に出る。もちろん、表向きは二人の姪の奪還だが、途中で年頃の姪はレイプされた上に惨殺死体となっていた。一緒に捜索の旅をしていたその姪の婚約者の青年や、兄一家に育てられたインディアンと白人の混血児の青年にも途中まで姪の死体を自分の手で埋葬したことを告げずに、もう一人の幼い姪を探す旅を続けた理由は、インディアンたちの手で育てられ、おそらく妻にさせられた姪は、インディアンと性的に交わったことで最早白人ではなくなったから、自分の手で殺すべきだと考えていたからだ。 ビリー・ザ・キッドやジェシー・ジェームズのような無法者を主人公とした映画は沢山あったものの、彼らはそれなりに魅力的な人物として描かれてきたのに対し、本作の様に復讐の念に凝り固まった、いわばアンチ・ヒーローが主人公である西部劇はそれまでになかった。……だからこそ、『捜索者』はある意味で西部劇のアンチテーゼとして時代を経るにしたがって評価が高まってきたのだ。

■テレビ時代到来、画面の大型化を目指した『西部開拓史』

『捜索者』は、ラストに復讐から“赦し”へと意外な転換を見せることで、そういった全ての想いを乗り越えて西部が開拓されていったのだというフォードの立ち位置を示していた。 その6年後に製作された『西部開拓史』(1962年)は、テレビに客を奪われた映画界が画面の大型化で生き残りを図っていた時代に、シネラマ劇映画第1作として製作された超大作。物語は5部構成で、ある一家の親子三代にわたるドラマだが、その第3話「南北戦争」をフォードが監督している。

第1話の主人公カップル、ジェームズ・スチュワートとキャロル・ベイカーの息子ジョージ・ペバードが、父を追って北軍に入隊。そこで南軍の脱走兵ラス・タンブリンにそそのかされて自分も脱走兵になりかかるものの、たまたま二人で北軍のグラント将軍(ハリー・モーガン)、シャーマン将軍(ジョン・ウェイン)に遭遇し、ラス・タンブリンがグラント将軍を撃とうとしたのを阻止する……という筋だ。

『ウェスト・サイド物語』(1961年)で知られる新世代の俳優で、『イージー・ライダー』(1969年)を作ったデニス・ホッパーのマブダチ。後のヴェトナム反戦運動などと繋がる人物で、つまりジョン・ウェインのような旧世代のハリウッド・スターが体現していた古き良き時代の西部劇が危機に瀕していることを象徴するようなエピソードだった。実際、ウェインはその後『11人のカウボーイ』(1972年)でニューシネマ世代の俳優ブルース・ダーンに背中から撃たれて映画の途中で死んでしまう。 ちなみに<シネラマ方式>とは、元々は同期させた3本のフィルムで別々に撮られた映像を3台の映写機で写すもので、『西部開拓史』は65ミリ・フィルムで撮影した映像を3分割してスタンダードサイズ3本のフィルムに焼き付ける方式。繋ぎ目がどうしても目立つのが難点で、画面構成上、人物が繋ぎ目に来ないように調整する必要があった。公開はシネラマ上映設備のあるテアトル東京、大阪のOS劇場などに限られ、テアトル東京などは1階席の前の方に座ると首を廻さないと画面の端から端まで見えなかった。

■“インディアン”を敵として描けなくなった?『シャイアン』で請うた“赦し”とは

『西部開拓史』で狙撃されかかったグラント将軍(後に合衆国第18代大統領となる)役は、当初は名優スペンサー・トレイシーが演じる予定だったものの都合で降板し、トレイシーは代わりにナレーションを担当した。そのトレイシーを尊敬していたことで知られるのが第4話「鉄道」でインディアンたちの意向を無視して大陸横断鉄道の敷設工事を進める悪役を演じたリチャード・ウィドマーク。……そして、ジョン・フォードが最晩年に監督したのが、そのウィドマークを主人公とした『シャイアン』(1964年)だった。フォードはその後にもう一本、女優たちばかりで西部劇スターが一人も出ない『荒野の女たち』(1966年)を撮り、それが遺作となった。

『シャイアン』は、ある意味でフォードがそれまでずっと撮り続けて来た西部劇を否定するような内容だった。――つまり、『駅馬車』で主人公たちを襲い、『捜索者』で主人公の兄一家を惨殺するなど、白人主人公にとっての敵としてしか描かれなかったインディアン側に寄り添って描いた作品なのだ。

ウィドマークが演じるのは、合衆国政府によって居留地に強制移住されられたインディアンたちに同情的な主人公だが、故郷の地に帰ろうとしたインディアンたちを討伐しなくてはならなくなる。……このストーリーは、ある意味でジョン・フォードが人生の晩年になって辿り着いた、アメリカ先住民族に対する声明であり、彼らを繰り返し“敵”として描いてきたことへの赦しを請う内容だと言えよう。

ちなみに本作では、興行的価値を担保する意味で、本筋とは別に有名な保安官ワイアット・アープ役でジェームズ・スチュアート、その相棒ドク・ホリデイ役にアーサー・ケネディという主演級スターが出ているのだが、1977年12月にフジテレビで放送された時には、何とその二人の登場シーンが丸ごとカットされてしまったのには心底びっくりした。

■フォード亡き後の西部劇

さて、フォードが『シャイアン』で予言したように、その後のハリウッドでは先住民族(インディアンと呼ぶことすら政治的に正しくなくなった)を敵として描くことはタブーとなった。そして、シャイアン族を虐殺する白人を“悪”として描いた『ソルジャー・ブルー』(1970年)や、シャイアン族に育てられた白人男性の数奇な運命を描いた『小さな巨人』(1970年)のようなアメリカン・ニューシネマ期のアンチ西部劇を経て、白人と先住民族の和解と友情を描いたケヴィン・コスナー監督主演の『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1990年)、先住民族側が主人公の『ラスト・オブ・モヒカン』(1992年)、『ジェロニモ』(1993年)へと様変わりしていったことはご承知の通りだ。 文:谷川建司 『西部開拓史』『シャイアン』はCS映画専門チャンネル ムービープラスで2025年1月放送

Warner Bros. Rewind

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Cheyenne Autumn - Trailer #1

https://news.nifty.com/article/entame/movie/12287-3708070/

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