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武四郎の歩いた天塩川 カードに 流域11市町村で無料配布 ゆかりの地やグルメ紹介

2018-11-15 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/14 10:59 更新
 北海道の名付け親として知られ、幕末に天塩川流域を探査した探検家松浦武四郎(1818~1888年)の足跡を紹介するカード「テッシ武四郎カード」が完成した。武四郎の生誕200年と北海道命名150年を記念し、天塩川流域11市町村が発行し、公共施設などで無料配布している。各自治体ごとに1枚あり、武四郎ゆかりの地と、観光やグルメの情報を掲載し、武四郎の業績と天塩川流域の魅力を観光客らにPRする。
 カードは天塩川流域の地域振興を目指し、流域11市町村(上川北部9市町村、豊富、天塩両町)でつくる「テッシ・オ・ペッ賑(にぎ)わい創出協議会」が制作。11市町村と、松浦武四郎の生誕の地・三重県松阪市の計12種類ある。
 カードは縦9センチ、横6センチ。表面には、市町村ごとに武四郎が1857年(安政4年)6月に24日間かけて、天塩川を往復した際、立ち寄った地に設置された案内板や記念碑の写真を掲載。訪れた月日のほか、武四郎が記した「天塩日誌」の記述も引用し、道中やアイヌの人々との出会いなども説明している。
 また、裏面には各市町村の観光と、ご当地グルメの情報を掲載。スマートフォンで読み取り、自治体のホームページにアクセスできる「QRコード」も載せた。
 カードは、全国的人気を誇る各地のマンホールのふたをデザインした「マンホールカード」にヒントを得て、同協議会が発案。作成費は約25万円で、石狩川振興財団(札幌)の助成などを活用した。同協議会事務局の名寄市の田畑次郎・営業戦略課長は「道内外の観光客にカードを通じて武四郎を知ってもらい、天塩川周辺の市町村に足を運んでもらいたい」と話している。
 各自治体ごとに1枚配布している。配布場所は名寄市が駅前交流プラザ「よろーな」の観光案内所、士別市は市立博物館など。カードは各千枚あるが、1人1枚まで。配布場所は同協議会事務局の名寄市のホームページで紹介している。(鈴木宇星)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/248043

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ミシェル・オバマ、次の大統領選で台風の目に

2018-11-15 | 先住民族関連
JBpress 2018.11.14(水) 高濱 賛
13日発売の新著を引っ提げて「反トランプ・キャンペーン」を展開
来年開会の米連邦議会を突き動かす「ピンクウェーブ」
 米中間選挙では女性の下院議員が110人も誕生した。上院では12人の女性候補が当選し、非改選の10人と合わせると、22人となった。
 当選した女性下院議員候補の中には史上最年少(29歳)の女性や初のイスラム教徒、先住民族(通称アメリカインディアン)の女性、さらにはLGBTQ(同性愛者やバイセクシャルなど)の人もいる。
 女性蔑視や同性愛者への偏見を露骨に示してきたドナルド・トランプ大統領に対する女性からの反発が原動力となって史上最多の女性候補が当選した。
 米メディアはこれを「ピンクウェーブ」(女性の波)と呼んでいる。その波は選挙後も吹き荒れそうだ。
 タイミング的には女性の勝利への祝砲ととも言える新著が13日に出た。
 ホワイトハウスを去った後も依然として根強い人気を誇っているミシェル・オバマさん(54)の回顧録(全426ページ)だ。
 ファーストレディだった女性が回顧録(ゴーストライターの含めて)を書いたのは11人。
 エレノア・ルーズベルトさん(フランクリン・ルーズベルト第32代大統領夫人)とヒラリー・クリントンさん(ビル・クリントン第42代大統領夫人で前民主党大統領候補)はともに4冊を著している。
前ファーストレディが前代未聞の徹底批判
 だがミシェルさんの回顧録はこれまでのものと2点大きく異なっている。
 1つは、移民として米国にやって来た白人の子孫ではなく、鎖につながれアフリカ大陸から連行された黒人奴隷を先祖に持つ黒人女性がファーストレディになるまでの半生を綴っていること。
 赤貧のような生活、人種的偏見と差別を乗り越えてファーストレディにまで上り詰めた半生を描いていることだ。
 もう1つは、現職大統領(ドナルド・トランプ第45代大統領)をこれ以上強い口調では表現できないほどの激しい憤りを込めて批判している点だ。
 辞めた大統領もファーストレディも自分たちの後を継いだ直近の大統領に対する批判は、たとえ党派が違ってもしないものである。
 ミシェルさんはその「掟」をものの見事に破っている。
 ところが今のところ、ミシェルさんの行動を批判する主流メディアはない。それどころか出版前のテレビ・公開インタビューを見た市民、特に女性たちからは称賛の声が上がっている。
「黒人としてファーストレディをどう演じればいいのか」
 タイトルは「Becoming」(ふさわしく)。
 これまでの半生を振り返えり、女性として妻として母として、そして何よりも史上初の黒人ファーストレディとして、いかに「ふわしい存在」になろうと努力してきたか、その記憶と思い出が知的にエレガントに描かれている。
 最高の学歴を誇るわけでもなく、低学歴な人たちを見下すわけでもなく、しかも夫であるバラク氏をたて、尊敬する姿勢が行間ににじみ出ている。
 最高学府を出て弁護士となり、政治家になった女性たちに見られがちな傲慢さはひとかけらもないはない。
 ミシェルさんが人種や国籍を超えて「今最も尊敬される女性」であることが分かるような気がする。
 しかもファーストレディ当時は、その知的なファッションで全米女性(特定の黒人嫌いな白人女性を除くすべての女性)の憧れの的でもあった。
 ホワイトハウスを去って2年経った今でもミシェルさんの人気度は79%と夫バラク氏(65%)よりも高い。
 ファーストレディ当時から政策や外交には口を出さず、意見を述べるのは女性問題や教育、食育に限定していたことも人気度と無関係ではなかった。
(https://abcnews.go.com/Politics/story?id=7416915&page=1)
 ホワイトハウスを去った後、ミシェルさんが注目を集めたのは、2016年秋の民主党全国党大会での演説だった。
 予備選を勝ち抜き、民主党大統領候補として正式に党大会で指名されるヒラリー・クリントン前国務長官を応援する演説で、ミシェルさんはトランプ共和党大統領候補に強烈なパンチを浴びせる一言を放った。
 人種差別的発言や女性を侮辱する発言を繰り返していたトランプ候補に対する痛烈な批判だった。
 「When they go low, we go high」(相手が低俗に出るのなら私たちは品位を保って言動しましょう)
 つまり、「トランプがいかに下品で下劣な言動を繰り返そうとも、ヒラリーさん、あなたは気品を持って振舞ってくださいね」という助言だった。
 元々自分の娘を育ているときに彼女らに口を酸っぱくして言っていた言葉だという。
 「黒人だということで白人から口汚く罵られてもあなたたちは品位をもって接しなさい」という戒めだったそうだ。
 党大会の後、クリントン候補は、ミシェルさんのその言葉を何度か引用して、トランプ候補の挑発をさらりとかわしていた。
中間選挙中に超党派「投票促進運動組織」立ち上げる
 今回の中間選挙中にミシェルさんが動き出したのは7月。「We All Vote」(みんな投票しよう)という超党派の投票促進運動組織を作った時だ。
 9月には自分自身が街に出て、有権者一人ひとりに必ず投票するよう呼びかけた。特に、黒人向けには公民権運動団体など20の組織と組んでキャンペーンを続けた。
 黒人有権者の投票率はオバマ氏が大統領を辞めて以降、急速に低下している。黒人票の7~8割は民主党に行くとされている。
 投票促進運動は超党派と銘打っているが、ミシェルさんとしては黒人の投票率を上げることで民主党候補に肩入れするという狙いがあったことは言うまでもない。
 さらにその「戦略」の背後には、ミシェルさんが心の底に秘めていた「トランプ憎し」があり、中間選挙でトランプ共和党を徹底的に叩きのめすという狙いがあった。それが今回出版された回顧録で明らかになってくる。
「私たち家族の安全を脅かしたトランプの罵詈雑言」
 以下本書に書かれているミシェルさんのトランプ批判のくだりだ。
 「トランプという人物は基本的には女性蔑視主義者であり、外国嫌いな偏屈者だった。私の夫に対する発言はきちがいじみており、卑劣だった」
 「夫があたかも外国生まれで米国籍を持っていないというようなことを、あたかも本当であるかのように主張した。まさに謀略だった」
 「(オバマ氏の)出生証明書を出せという話は馬鹿らしくて、意地の悪い主張だった。そこには隠そうとしても隠し切れない(トランプ大統領の)人種偏見と外国嫌いが潜んでいた」
「これは極めて危険なことだった。奇人や変人を意図的に挑発する危険性があった」
 「万一情緒不安定な者が銃を取って(オバマ家族が住んでいる)ワシントンにやって来たらどうするのか。もしその人物が私たちの娘たちを狙ったらどうするのか」
 「トランプ氏が大声でひっきりなしに繰り返す当てこすりは、私たちの家族の安全を危険な目に晒した。このことだけでも私はトランプという人物を絶対に許すことができない」
 「夜中ベッドに横たわっている時、ふと今何が起こっているかという思いが広がっていく」
 「現職大統領の言動や内政外交政策アジェンダがどれほど多くの米国民を不安にさせ、恐れさせているか、しかも大統領自身がその原因になっていることを知るにつけ、悲しく、息苦しくなっていく」
 「(2005年にトランプ氏がテレビ番組の担当者に過激なセクハラ発言*1をしていたことがビデオで発覚したことについて)私は憤りで体の震えが止まらなかった」
 「こうした発言をしたトランプ氏もトランプ氏だが、大手エンターテインメント企業が見て見ないふりをしていたことに対する憤りだった」
 「こんな女性に対する蔑視発言が現代社会でまかり通り、なおかつドナルド・トランプ氏のような人間が騎士気取りで振舞わっている現実に対しての憤りだった」
*1=トランプ氏が2005年、NBCテレビの番組『Access Hollywood』の撮影現場に着き、専用バスから降りてきた際に番組関係者の男性と交わしていた会話と映像が2016年大統領選の最中にリーク。その中でトランプ氏が「著名人なら女は何でも言うことを聞く。狙った女の下腹部を触ってやればいいんだ」などと言っていた。共和党幹部の中にはこの発言を受けてトランプ候補の支持を降りる人も出た。
(https://en.wikipedia.org/wiki/Donald_Trump_Access_Hollywood_tape)
「私こそオバマを許せない」と直ちに反論
 トランプ大統領は9日、発売前に新著を入手した記者からミシェルさんが本の中で「トランプ大統領を許せない」と指摘していることについて聞かれてこう答えている。
 「まだ読んでないから何が書いてあるのかは分からない。だが出版元は騒動になるのを望んでいるんだろうから1つの材料を提供してやる」
 「私はオバマが米軍に何もしなかったことを絶対に忘れない。(ミシェルはオバマ一家の安全について指摘しているようだが)米国民の安全を守るのは米軍隊だ。オバマはその軍隊をないがしろにしたんだ。だから絶対に許せない」
 ミシェルさんは13日発売と同時にブックツアーを開始する。通常、著者は大手書店の店頭でサイン会を行うが、ミシェルさんの場合は多数の市民が押しかけることを想定してショッピングセンターの広場。
 しかもサイン会と言うよりもタウンミーティング形式になりそうだ。
 目下決まっているのはシカゴのユナイティッド・センター、ニューヨーク市のバークレー・センター、ロサンゼルスではLAフォーラムが会場になる。
 会場にはハリウッドからリース・ウィザースプーン*2さんやサラ・ジェシカ・パーカーさんといった著名な女優兼プロデューサーが駆けつけるという。
*2=ウィザースプーンさんは2005年に「ウォーク・ザ・ライン」でアカデミー賞主演賞を受賞。その後女性支援組織に関与するなど社会事業を続け、「信頼できるセレブ100人」のトップテンに選ばれている。
パーカーさんは超人気テレビ・ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」で爆発的な人気を得て、その後、香水やドレスのプロデュースやCM契約で2011年の『フォーブス所得番付』で1位になっている。2人とも民主党支持者。
ミシェルさんは公職を狙わぬ民主党の応援団長
 ミシェルさんは本書でも「政治は嫌い。公職など絶対狙わない」と公言している。だが、主要紙の政治記者の1人は筆者にこう予言している。
 「ミシェルさんは(ファーストレディ経験者は現職大統領を批判しないという)前例を破ってこれだけ強烈に現職大統領を批判したのだから、民主党支持者たちが彼女を放っておくわけがない」
 「自らが公職を狙わなくとも、ミシェルさんが2020年大統領選に向けて重要な役割を演ずるのは必至だ。ミシェルさんは民主党の応援団長として『台風の目』になるだろう」
 夫君バラク氏は、来年早々、新著を上梓する。2人のパッケージで大手出版社と執筆契約を結んでいるからだ。
 オバマ夫妻による本がベストセラーになるのはほぼ間違いないだろう。
 オバマ政権が成し遂げたすべてをぶち壊そうとしているトランプ大統領に対し、オバマ夫妻がタッグマッチで挑む。
[もっと知りたい!続けてお読みください]
米中間選挙後、トランプ大統領は何を仕出かすか
ドナルド・トランプ大統領の型破りな2年間の政治を米国民がどう評価するか注目された米国の中間選挙。米国の有権者は、上院はトランプ共和党に軍配を上げたが、下院ではイエローカー…
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54655

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60年前の連載 戸川幸夫『牙王物語』復刻 「動物文学の最高峰」現在に

2018-11-15 | アイヌ民族関連
会員限定有料記事 毎日新聞2018年11月14日 東京夕刊
 アイヌの人々が「カムイミンタラ」(神々の遊ぶ庭)と呼んで美しさをたたえた北海道大雪山連峰を舞台に、オオカミと猟犬の混血犬キバを主人公にした戸川幸夫(1912~2004年)の本紙連載小説「山のキバ王」(56年12月~57年12月)が完結してから60年余になる。『牙王物語』と改題し、角川書店、講談社など複数の版元が刊行してきたが、新装版が今月、新評論(東京・西早稲田)から復刻された。長く読み継がれてきた「動物文学の最高峰」を改めてひもとくと、現代社会に通じるテーマが息づいていた。
 戸川は大の動物好きで、旧制山形高時代にはニホンオオカミ残存説を信じて山村を歩き回ったという。そうし…
この記事は有料記事です。
残り1018文字(全文1309文字)
https://mainichi.jp/articles/20181114/dde/014/040/016000c

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恵庭と松浦武四郎 -つづき-

2018-11-15 | アイヌ民族関連
北海道新聞 2018年11月14日
安政5年(1858年)の松浦武四郎の恵庭再訪は千歳川を上る舟ではなく、開削されたばかりの「札幌越え新道」(現在の国道36号線)の九折を越える陸路だった。恵庭市郷土資料館の展示にあった『西蝦夷日誌』の現代語訳で知った。
抜粋すると、
『・・・九折の鼻を衝くばかりの峻を上ると上に平地が広がる。茅野を過ぎるとロロマップ(ルルマップ川)、そこを過ぎるとケレペ(柏木川)、・・・モイザリ(茂漁川)、これはイザリ(漁川)の支流である。・・・』
恵庭市民に馴染みの地名、川の名がアイヌ語の意味とともに記録されている。新道は急坂とあるから恵庭と北広島の境界の島松川に沿った沢を越える道だったのだろうかと勝手に想像する。江戸時代が急に身近になる。
この時、蝦夷地探査で道案内を頼んだアイヌの人らと再会しており、情に厚い人柄が偲ばれる。
1846年の最初に恵庭を通過した時のことを綴った『再航蝦夷日記』には当時の恵庭の肥沃な大地の様子が綴られている。
朝の自転車ポタリングコースの漁川付近は今もコメ、麦、豆、野菜の畑が広がり、遠く恵庭岳、樽前岳などを望める。
探検家松浦武四郎の気分と人柄を味わえるスポットは北海道の至る所にありそうだ。貴方の街にも。
http://blog.hokkaido-np.co.jp/endaen/2018/11/post-567.html

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「ハーフ」「日本人」を考える(上):結局、何と呼べばいいの?

2018-11-15 | アイヌ民族関連
nippon.com 11/14(水) 11:03配信
下地 ローレンス吉孝
【「ハーフ」「日本人」を考える(上):結局、何と呼べばいいの? 記事をみる】
大坂なおみ選手の活躍や玉城デニー氏の沖縄県知事就任で「ハーフ」に改めて注目が集まっている。「混血」「ハーフ」「アメラジアン」などと呼ばれてきた母を持つ筆者が、戦後に作られたさまざまな呼称を振り返り、日本社会で生きる多様なルーツを持つ人たちと「日本人」のアイデンティティーを考察する。
「ハーフ」を巡る議論
大坂なおみ選手の活躍を機に、「ハーフ」を巡る議論がメディアやSNS上で盛んだ。その中で、「ハーフとは何か」「日本人とは何か」という問いが投げ掛けられている。
そもそも「ハーフ」という呼称自体、曖昧な性格を持つ。戦後、メディア空間で生み出された表現だが、当事者が自らのアイデンティティーを示す用語としても使われてきた。肯定的なニュアンスの場合もあれば、否定的もしくは差別用語として捉えられる場合もある。
10月、沖縄の県知事に就任した玉城デニー氏も、2016年の記事で自らに投げられてきた「ハーフ」という呼称について考察し、「呼び方についての根本的な問題は『呼んで区別する・区別されている』差別や蔑視の意識が入り込んだり垣間見えたりすること」と述べている(BLOGOS「容姿一枚」)。
「国籍」「国際結婚」だけでは定義できない
一般的に「ハーフ」はどのような意味で用いられているのだろうか。朝日新聞にはこんな記述がある。「両親のどちらかが外国出身のいわゆる『ハーフ』の子どもは、国内では新生児の50人に1人にあたる年間約2万人が誕生している…」(「『ハーフ』新生児の50人に1人 外国人扱いに戸惑い」/朝日新聞デジタル、2016年11月5日)
また、社会学者のメアリー・アンジェリン・ダアノイ氏も、「日本において一般的に国際結婚によって生まれた子どもたちを指す比喩的な社会的概念を示すもの」と説明している(佐竹眞明・金愛慶編『国際結婚と多文化共生――多文化家族の支援にむけて』/2017年、明石書店)
つまり、「ハーフ」は国際結婚で生まれた子どもというニュアンスで用いられることが多い。厚生労働省の調査によると、「夫妻の一方が外国籍」の婚姻総数は年々増加傾向で、過去10年間では年間平均3万件以上、およそ30組に1組が国際結婚だ。厚労省による出生時の親の国籍数の統計で、日本国籍と外国籍の組み合わせによる子どもの年間出生数が、メディアなどで「ハーフ」の数として伝えられる。
だが、実際には現在日本社会に暮らす「ハーフ」の全体数を把握する統計データはない。
例えば、私がリサーチでインタビューした人や、メディアで自ら発信する当事者の中には、海外へ移住して暮らす日系人(日本国籍もしくは外国籍)と現地の女性の間に生まれ、日本に住むようになって自ら「ハーフ」と名乗る、もしくは周囲から「ハーフ」と呼ばれる場合がある。1990年代の入国管理法改正を機に来日した「日系人」の場合も同様だ。
厚労省の統計では日本で生まれたケースしか想定されていないため、このように海外で生まれて日本に移住してきた多くの「ハーフ」たちの数は示されない。
さらに、沖縄の女性と駐留米兵の間に生まれた私の母のように、法的に「婚姻」という手続きを取らないまま生まれた子どもたちも実際には日本で暮らしており、やはり「ハーフ」と呼ばれる。つまり、一言で「ハーフ」といっても、必ずしも「国籍」や「国際結婚」の条件を基に明確に定義できるわけではない。
また、「ハーフ」であれば必ずこういう経験をする、と単純に説明することもできない。「国籍」の他にも、「出身地」「育った場所」「外見」「親世代の移動の経緯」「文化」「学校教育(公立・私立、インターナショナルスクールなどの違い)」「ジェンダー」「名前」(カタカナ、漢字、ひらがな)などの組み合わせによって、個人の経験やアイデンティティーは多様だ。
このように曖昧な呼称であるが故に、「日本人」「外国人」一体どちらなのか、といった疑問がしばしば浮上する。「ハーフ」という言葉が社会に広く浸透していることもあり、「日本」以外に多様なルーツがある人が自らのアイデンティティーを分かりやすく周囲に説明するために、「あなたは何者か」と迫る周囲に対して、その場しのぎに「ハーフ」を選択する場合もある。
「ダブル」「ミックス」などさまざまな類似表現
現在最も広く使われているのは「ハーフ」だが、多様なルーツの人たちの呼称として、類似表現は複数存在する。
戦後、特に米兵と日本の女性との間に生まれた子どもたちは「混血児」と表現された。以後、支援団体や当事者やメディアなどが以下に挙げるような新たな言葉を生み出してきた。
「国際児」=支援団体や社会運動、研究者の間でよく用いられる。差別的なニュアンスを持つことが指摘された「混血児」に代わり、特に沖縄の無国籍児童を巡る支援運動や、フィリピンルーツの子ども達への支援活動の中で使用された。
「ダブル」=二つの言語や文化を持つという意味で用いられる場合が多い。「ハーフ」には「半分である」という否定的なニュアンスがあるという考えから、親の二つのルーツを受け継ぐという肯定的な意味で用いられる。特に90年代の社会運動や映画の上映を機にメディアで広がった。この言葉を肯定的に用いる当事者もいるが、現実に合わないとして批判される場合もある。
「クォーター」=「ハーフ」の子ども世代に対して用いられる場合が多い。最近では二つ以上のルーツを持つ場合に使われる場合もある。現在進行形でその意味合いが変化し、発話者によって意味も異なる。
「ミックス」=海外で “mixed race” という表現が頻繁に用いられるため、日本でもしばしば「ミックス」という表現が用いられる。複数のルーツを持つという意味が込められている。ただし、この概念も肯定的に捉えられる場合もあれば、違和感を与える場合もある。
「ジャフリカン」「ブレイジアン」=「ジャバニーズ」と「アフリカン」の合成語「Jafrican」や、海外で用いられる「ブラック」「アジアン」の合成語「Blasian」が近年しばしば用いられる。
「アメラジアン」=「アメリカン」「アジアン」の合成語「Amerasian」は、特に沖縄で90年代のフリースクールの社会運動や支援団体により用いられた。元々は戦後に米兵とアジア女性との間に生まれた子どもたちの呼称だった。
「ハパ」=ハワイ語の「混血」などの意味がある「Hapa」という言葉が日本でも用いられる場合がある。特に、SNSのコミュニティーなどで使用されている。
これらの呼称の表す範囲や、意味の社会的含蓄、政治性と歴史性、そしてその使用目的・用途は多様だ。社会運動で使われてきた言葉は、権利主張の文脈で用いられ、重要な社会的役割を果たしてきた。一方でこうした複雑性は、彼らの存在の捉え難さの一つの要因となっている。
戦後の社会背景の変遷と結び付く
上記のさまざまな呼称の誕生や変化は、日本の戦後史と密接に結び付いている。約20年ごとの区分で見てみよう。
1945年~60年代:敗戦後、GHQの占領期間が終わると瞬く間にメディアをにぎわせ社会問題化したのが上述の「混血児問題」だ。それまで「混血」を巡る主な社会的関心は、朝鮮半島や台湾、もしくはアイヌ民族などとの「混血」だった。しかし、戦後の「混血児」は、ほとんど全てが米兵と日本の女性との間に生まれた子どもたちを指した。
この「混血児問題」には、戦後復興期の経済不況や敗戦といったイメージが強く結び付けられていた。しかし、50年代半ば以降、次第に高度経済成長期へと移行していく中で「混血児問題」のメディア報道は減少していく。
また、50年~60年にかけて欧米の文化(テレビドラマ、映画、ファッション、音楽など)が大量に輸入される。オードリー・ヘップバーンやツイッギーらの髪型やファッションの流行なども手伝い、戦後の敵国としての欧米に対するイメージが憧れや豊かさのイメージへと変貌していった。
70年~80年代:高度経済成長と欧米文化の影響を土台として、「ハーフ」という呼称がメディアを中心に流通し始める。メディアでは、「混血」「ハーフ」のタレント、芸能人、スポーツ選手の活躍を多く取り上げ始めた。この結果、「ハーフ」には容姿を過度に美化するある種の偏ったイメージも作られた。
また、この時期には「日本人論」と呼ばれるジャンルが一大流行した。この中では、「日本人」が単一民族としてイメージされることが多かったため、「ハーフ」は「日本人論」の中で見えない存在だった。
一方、この時期の国際結婚の状況を見ると、それまでは男性側が外国人のケースが半数を上回っていたが、75年以降から女性が外国人のケースが過半数を超えた。80年代ごろからアジア女性との国際結婚も大きく増加した。さらにグローバル化が進む中で、さまざまな国のルーツを持つ人と日本人との国際結婚が増える。
90年~2000年代前半:これまで主流な呼称として用いられてきた「混血」「ハーフ」に代わって、「国際児」「ダブル」を用いる社会運動が展開される。「日比国際児」「アメラジアン」「在日のダブル」を巡る権利保障運動やコミュニティー活動が活発になった。
また、日本が国際社会でのプレゼンスを高める中で、留学やワーキングホリデー、開発援助、企業の海外進出などを通じて、国際結婚がさらに増加。多様なルーツの子どもたちが日本で育つようになる。
バブル崩壊後の経済危機と深刻化する労働力不足を背景に、90年、入管法が改定され南米から多くの移民が流入する。それに伴い、外国人や外国につながる子どもたちに対する地域レベルでの支援活動も次第に広がっていった。
SNS発信で「可視化」されつつある差別問題
2000年代後半以降、行政が多文化共生に関する取り組みに注力し始めるが、支援の対象は「外国人」であり、受け入れ側は単一の「日本人」イメージとして語られることが多い。そのため日常生活でしばしば差別を経験する「ハーフ」は支援の対象として捉えられなかった。いじめや、就職・結婚差別などを経験する彼らは、自力で対処するしかない状況が続いている。
一方、「ハーフ」の当事者コミュニティーが増大するとともに、自らの経験やアイデンティティーにまつわる問題意識を社会に向けて発信する人たちも増えてきた。特に、情報技術の発展に伴って、当事者によるSNSを通じたメディア・アクティビズムも活性化している。戦後から「不可視化」され続けてきたかれらをめぐる人種差別の問題が次第に可視化されつつある。
これまでは、「ハーフ」といえば、タレントやスポーツ選手のイメージが強かったが、いまの日本社会で暮らすさまざまな当事者たちの経験が語られるようになり、「ハーフ」にまつわるステレオタイプ的な表現やイメージも次第に修正されつつある。
現在、政府が「骨太の方針」で示した外国人受け入れ拡大の議論が盛んだ。その議論で抜け落ちているのは、多くの「ハーフ」が暮らすだけではなく、在日コリアンと呼ばれる人々や、外国籍から帰化した日本国籍の人々など、受け入れ側の「日本」はすでに多様化しているという現実だ。
複雑なものを複雑なままに捉える視点
複数の呼称やその背景を見てきたが、「結局、なんて呼べばいいのか」「要するに『ハーフ』はどのような存在なのか」「どんな経験をしているのか」といった疑問は残る。
だが、他人が誰かのアイデンティティーを一方的に決めつけることはできないし、その必要もない。自らのアイデンティティーを「ダブル」「ハーフ」「ミックス」などと、さまざまな表現を用いて語る背景には、「二つのアイデンティティーのつながりを表現したい」「自分が何者かを相手に分かりやすく表現したい」「自分の複雑さを伝えたい」といったさまざまな意思が反映しているのだ。
「ハーフ」などと呼ばれる人々が置かれた日常の現実を知った上で、目の前にいる人が自分をどのように説明するのか、その複雑さをどのように表現するのかに耳を傾ける姿勢が大切なのだ。カテゴリーに押し込めようとせずに、複雑なものを複雑なままで表現すること。それが、すでに多様化している日本社会の現実を見つめる上で重要な視点だと感じている。
【Profile】
下地 ローレンス吉孝  SHIMOJI Lawrence Yoshitaka
1987年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門は社会学・国際社会学。現在、 港区立男女平等参画センターに事業コーディネーターとして勤務 。著書に『「混血」と「日本人」 ―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』(青土社、2018年)。「ハーフ」や海外ルーツの人々の情報共有サイト「HAFU TALK」を共同運営。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181114-00010002-nipponcom-soci

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