先住民族関連ニュース

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<北海道>アイヌ伝統舞踊で初めて地域の踊りを一つの舞台に(動画)

2018-11-25 | アイヌ民族関連
HTB北海道テレビ11/24(土) 17:50配信

 東京オリンピックパラリンピックでの発信も期待されています。地域ごとに違うアイヌ民族の舞踊や歌を一つに集めた舞台が、24日から釧路市の鳥取ドームで開かれています。
 このイベントは2年後の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、日本の文化を発信するプロジェクトの一環として開かれました。アイヌ民族の舞踊は地域ごとに違いがあり、今回、初めて阿寒、平取、旭川の3つの地域の特徴を一つの舞台に取り入れました。舞台を演出した秋辺日出男さんは「ほかの地域の者が踊るとなると、ゼロから練習するのはなかなか難しかった。オリンピックに向けていい手ごたえとして残っている」と話しています。この舞台は25日午後1時からも上演され、会場では伝統楽器ムックリの制作やアイヌ料理のブースも設けられます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181124-00000007-htbv-hok

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ヒュー・コータッツィさん(元駐日英国大使)8月14日死去 94歳 バチェラー研究にも貢献

2018-11-25 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/24 17:00
 「趣味は日本」を公言するほどの親日家。初来日から70年以上にわたって日英関係の強化に尽くし、日本の国内事情にも精通していた。
 その日本通ぶりが発揮されたのが、離任翌年の1985年。道内各地で64年間にわたる布教やアイヌ民族への支援活動を行い、44年に母国で亡くなった英国人宣教師ジョン・バチェラーの遺品を英国内で見つけた。
 自身の別荘があった村に、遺品を詰めたトランクを受け継ぐバチェラーの縁者がたまたま住んでいたことから発見に至ったが、もとよりバチェラーの功績を知らなくては素通りしてしまう状況だ。
 しかも、来札の折、バチェラー関連の著作があった高校教員、仁多見(にたみ)巌さんに自分から面会を求めるほどの行動力を発揮。仁多見さんは、中にあったバチェラーの口述による「自伝」が未発表なことを確認し、91年、「異境の使徒 英人ジョン・バチラー伝」の出版にこぎ着けた。
 英国中部のセドバーグ生まれ。第2次大戦中に空軍に入隊し、日本語通訳の訓練を受けた。終戦直後、進駐軍としてシンガポールから日本へ。東京や広島を訪ねて戦禍に胸を痛め、外交官に転じた。80年から84年まで駐日大使を務めた。
 回顧録によると任期中、最も大変だったのは82年秋、サッチャー首相(故人)の訪日。夕食会後、首相に呼ばれ、なぜ日本車の対英輸出に強硬に歯止めをかけないのか―と深夜まで問い詰められ、帰宅後、妻に「明日、辞表を出さなくてはならないだろう」と告げたと明かしている。事情通だけに板挟みになることも多かったのかもしれない。(編集委員 小坂洋右)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/251333

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「喜界語」消滅危機 保存継承に挑む関学大教授ら

2018-11-25 | アイヌ民族関連
神戸新聞NEXT2018/11/24 14:00
鹿児島県の奄美群島・喜界島に残る言語で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が「消滅の可能性がある」とする喜界語を保存・継承するプロジェクトに、関西学院大の教授らが挑んでいる。喜界語は現地でも戦後徐々に使われなくなり、今も話せるのはおおむね70代以上に限られる。25日に取り組みの一環として、“ネーティブ”の高齢者から指導を受けた地元の小学生6人が喜界語に翻訳した狂言を披露する。
 言語学が専門の本田盛教授(67)と、今西祐介専任講師(34)=ともに総合政策学部。世界には現在、約6千の言語があるとされるが、ユネスコは2009年、約2500言語が「消滅の危機にある」と発表した。言語と方言は区別されておらず、日本ではアイヌ語など8言語がリスト入りした。喜界語も、奄美大島や徳之島の言葉と合わせ「奄美語」として挙げられた。
 喜界島は淡路島の約10分の1の面積に約7千人が暮らし、高齢化率は35%を超える。本田教授は妻のルーツが喜界島で、今西講師と14年から毎年現地を訪れ、フィールドワークに取り組む。高齢者約10人から発音や文法、単語などを聞き取り、口の動きが分かるよう映像にも残してきた。
 「調べるほどに面白い」と2人。例えば「いんがー」という言葉は、最初の「い」を少し喉をすぼめて発音すれば「犬」を指すが、頭にアクセントを付けると「男」の意味になる。目的語を示す「を」を使わないなど独特な文法があり、焼酎は「せ」、ご飯は「むん」など固有の単語も多い。
 4月に小学生たちに伝えるプロジェクトを開始。地元の喜界島言語文化保存会の協力を得て、狂言の有名な曲目「附子」を喜界語に翻訳した。高齢者が発音を教え、所作は京都から講師を招いた。25日は大勢の住民の前で成果を披露する。
     ◆
 喜界語など地域に固有の言語や方言が戦後あまり使われなくなった背景には、「高度成長期の集団就職も影響している」と本田教授は指摘する。独特な言葉遣いは時に差別の対象となり「使ってはいけないもの」「恥ずかしいもの」との意識が広がったという。このため、各地で標準語の使用が推奨された。
 ただ、本田教授は「人に多様性があるように、言語にも多様性が大切」と強調。今西講師も「言語は一度途絶えると取り返しがつかない。地元の言葉だからこそ理解できる文化や歴史もある」とする。
 喜界語も話者の高齢化が進み、継承に残された時間が課題となる。そんな中、道で会った高齢者に覚えたての喜界語であいさつする子どもが出るなど「島全体で良い効果が生まれつつある」と2人は手応えを語る。今後も住民とともに、次代に引き継ぐ取り組みを続けるつもりだ。(田中陽一)
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201811/0011848038.shtml

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