ニューズウィーク2022年05月23日(月)14時37分
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<北の大地で繰り広げられる壮大なアドベンチャーを通じて「アイヌ文化への関心を高めた」と政府も評価する漫画や回顧展に潜むプロパガンダ>
『週刊ヤングジャンプ』で連載されていた野田サトルの人気漫画「ゴールデンカムイ」が4月28日に完結した。漫画の完結に先駆けて、実写映画化が発表され、また雑誌発売直後から6月末まで、「ゴールデンカムイ展」が東京ドームシティで開かれている。
漫画の舞台は日露戦争後の日本。アイヌが隠したという金塊を求めて、元日本軍人の青年とアイヌの少女が様々なキャラクターと協力あるいは敵対しながら、北海道やサハリンを旅するというもの。登場する個性豊かなキャラクターの人間ドラマや、作中で紹介されるアイヌの食文化なども人気となり、ベストセラー作品となった。
しかしSNSでは『ゴールデンカムイ』の実写化や展覧会などのイベントや漫画の最終回に対して、アイヌの歴史についての無理解さが露呈していると厳しいコメントが相次いでいる。その中には当事者であるアイヌもいる。北海道地方の先住民族であるアイヌの歴史は和人による差別の歴史でもあり、たとえエンターテイメントのフィクションであっても、そうした歴史への視座は問われる。
迫害をチャラにした最終回
『ゴールデンカムイ』という漫画は、連載中はアイヌに差別的であるという批判はほとんどなかった。専門家の監修を受けていることもあり、文化描写はしっかりと取材されていた。和人によるアイヌ迫害も部分的に扱われている。作品テーマの一つがアイヌの権利獲得運動であることも間違いはない。そもそも物語の鍵となっている金塊は、和人による迫害に対抗するためアイヌが集めたものとされているのだ。
批判されたのは、作者が最終回で示した、「アイヌ問題」への解決方法だ。作中でアイヌが最終的に獲得したものは、国際的に認められているような一般的な先住民族の権利からはほど遠い過小なものであり、また現実のアイヌの権利獲得運動の要求ともかけ離れたものだった。それにも拘わらず、物語では差別的な現状が?肯定的に扱われており、またそうしたことが達成できたのには和人の協力もあった、と強調されていたのだ。
さらに「ゴールデンカムイ展」では、作中で登場したようなアイヌの文化財と、旧日本軍の軍服や持ち物がフラットに並べられており、迫害の歴史が抹消されている。北海道に置かれていた第七師団は作中では主人公たちの敵役であるものの、魅力的な敵として描かれておりファンも多い。しかし一方で第七師団は、かつて屯田兵としてアイヌの土地を奪い、後には「満州」に派遣され、中国人の土地を奪うことに加担した歴史がある。そうした歴史を無邪気に消費していいのか、という疑問も持たれている。
さらに作者の野田サトルはインタビューで、アイヌ文化の保存に協力した和人として言語学者の金田一京助を挙げていた。しかし現在の研究では、金田一はアイヌについてむしろ積極的な同化主義者であったことが分かっている。アイヌ文化のディティールについての理解に比べてアイヌの歴史について無理解を示してしまっていることも、批判を集めている理由となっている。
子どもにも同化政策
もちろん、アイヌを取り扱った漫画すべてがアイヌの差別を過不足なく取り上げなければならないというわけではない。『ゴールデンカムイ』は社会派漫画ではなく、少年誌連載のピカレスク漫画だ。当事者への取材では、可哀そうなアイヌではなくカッコいいアイヌを描いてほしい、という要請もあったという。
しかしそうであっても、和人の作者がアイヌというテーマを扱うときは、迫害の歴史について無責任であってはならない。迫害はたいしたことはなかった、とか、アイヌを助けた和人もいた、というような、迫害の歴史に対する弁明になってしまうのは問題だ。
明治末期のアイヌは、北海道旧土人保護法のもとに土地を追われ、作中から想像されるよりはるかに強い同化圧力を受けていた。ヒロインのアシㇼパのようなアイヌの子供は親と引き離され、アイヌのために特設された旧土人学校で同化教育を受けさせられていた。知里幸恵が『アイヌ神謡集』の序文で「おお亡びゆくもの......」と嘆いたのは、作中の時代からわずか10年あまり先のことだった。
確かに『ゴールデンカムイ』によってアイヌ文化への関心は高まったが、果たしてそれは博物館の陳列品を眺めるような、単なる趣味の域を超えるものとなったのだろうか。『ゴールデンカムイ』のファンの中には、先住民としてのアイヌの、現在進行形で生じている権利問題についてはむしろ勉強を拒絶している人も多い。それでは結局、これまでと何も変わらないのではないだろうか。
第七師団とアイヌ
筆者はかつて第七師団の司令部が置かれていた旭川市出身だ。祖父は志願兵として第七師団に所属していた。彼は生前、自身の軍隊経験について多くを語らなかったが、中国戦線に赴き、ノモンハンでの作戦に参加していたようだ。師団の母体は屯田兵で、旭山動物園の近くに旭川兵村記念館が置かれている。
旭川兵村記念館を訪れると、北海道開拓の苦難の歴史とともに、日露戦争やアジア太平洋戦争など、大日本帝国が行った戦争が肯定的に扱われている。記念館の入り口には、戦時中に戦意高揚に使われていた「加藤隼戦闘隊」の碑がある。
一方、記念館には(少なくとも私が最後に訪問した数年前の時点では)アイヌに関する展示はない。あたかもアイヌという人々が存在していなかったレベルで何もない。だがこの屯田兵部隊は、旭川におけるアイヌ迫害の主体のひとつであったのだ。
明治時代、現在の旭川都市圏一帯に入植する和人の邪魔になるアイヌは、「保護」の名のもとに近文という地域に強制移住させられた。近文は今でこそ市街地の中心部にあるが、当時は橋のない川に囲まれた湿地帯で、和人が定住するには不向きな土地とされていた。現在、近文には川村カ子トアイヌ記念館があるが、旭川兵村記念館と比べて規模は小さい。
近文アイヌの土地問題は20世紀を通して闘争が行われており、1970年代にも旭川で大きな運動が起こった。この運動は、旧土人保護法の廃止と1997年及び2019年のアイヌ新法の制定につながっている。旭川のアイヌといえばゴールデンカムイにも出てきたカムイコタンが有名だが、アイヌ迫害に関しては近文アイヌの歴史が重要なのだ。
漫画はまだ終わっていない
筆者が『ゴールデンカムイ』の最終回を読み、また「ゴールデンカムイ展」の報に触れたとき、違和感を覚えたのは以上のような知見に基づいている。アイヌと第七師団はけしてフラットに並べることはできない。どちらも作中にゆかりがあるからといって、両方の歴史的な物品を同様に消費するという態度は、迫害の歴史の相対化に他ならない。
ただし、『ゴールデンカムイ』という漫画はこれで終わったわけではない。単行本で大幅な加筆修正があるといわれており、批判を踏まえた新たな最終回が描かれる可能性もある。また、そもそもひとつの漫画にあらゆる負担を背負わせるわけにはいかないのも事実だ。そうなれば、問題は消費者である我々が、この漫画とアイヌの歴史についてどのような態度を取るのかということになるだろう。
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