Meiji.net7/5(水) 11:07配信

グローバル・ノースとグローバル・サウスの狭間で揺れるメキシコ
所 康弘(明治大学 商学部 教授)
太陽の国、メキシコ。同国へ進出している日本企業は1300社を超えており、自動車や部品メーカーの一大生産拠点として注目されています。しかし、ビジネス面でのニュースが先行する一方で、メキシコが持つ複雑な歴史・政治・経済の多層的な様相は、まだ日本で十分に理解されているとは言えません。
◇メキシコの人々の微笑みは仮面?
多くの日本人にとって、メキシコといえば「陽気でお祭り(フィエスタ)好きの人々」といったイメージがあると思います。
しかし、ノーベル文学賞を受賞したメキシコシティ生まれの作家オクタビオ・パス(1914-1998)は、代表作『孤独の迷宮(El laberinto de la soledad, 1960)』において、メキシコ人にはスペイン植民地時代の「遺産」としての恐怖心や不信感がいまだ残っていると述べています。
〈つまりメキシコ人というものは、己れの中に閉じこもり、身を守る存在のように思われる。その顔が仮面であり、微笑みが仮面である。その気難しい孤独の中に追いやられ、とげとげしくも丁寧な彼にとって、沈黙や言葉、礼儀や軽蔑、皮肉や忍従、すべてが防御のために役立っている。〉(高山智博・熊谷明子訳、法政大学出版局、1982 年)
「メキシコの仮面」とは、面従腹背を強いられてきた人々が生き残るために身につけた処世術であり、いわば自己防衛本能です。
その地域はかつてマヤやアステカといった高度な文明が栄えていました。しかし、コロンブスによる新大陸「発見」以降、300 年に渡って征服者たち(コンキスタドーレス)に支配され続けます。その古代文化と西洋文化の衝突・軋轢の中で、先住民と白人の混血化も進行しました。
パスが〈孤独なメキシコ人は祭りや公共の集まりが好きである〉との逆説で強調するように、「陽気」は彼らの一面でしかありません。表層的な明るさの対極に仄暗い影が落ちていて、その間には一言で表現できないグラデーションが形成されているのです。
たとえば、近年、「グローバル・サウス」という言葉を聞く機会が増えたと思いますが、これをキーワードにメキシコの近現代史を振り返ると、この国がいかに多様で複雑なものを抱えているかが見えてくるでしょう。
そもそも、グローバル・サウスの定義は明確ではなく、論者によって解釈に幅があります。第一義的には、旧植民地のアジア・アフリカ・ラテンアメリカ地域などに属する、冷戦期において「第三世界」と呼ばれた国々のグループを指しており、いわゆる「南北問題」という場合に使われるような伝統的な「南」を表すものとして定義されます。「第三世界」とは、西側諸国を指す「第一世界」、東側諸国を指す「第二世界」以外のグループのことです。
他方、居住国や地域に限定することなく、グローバル化された市場経済の恩恵を受けている人々を「北」、そこから排除・疎外されている人々を「南」と置き、それらを区別する社会的カテゴリーを包含して定義する議論もあります。
これらの定義のいずれにおいても、一時期までのメキシコはたしかに「南」の典型でした。しかし「隣人」の超大国であるアメリカ合衆国との関係の中で、メキシコは経済的にも政治的にも大きく揺れ動くことになります。
◇グローバル・サウスとしてのメキシコの起源
1821年にスペインから独立してわずか20数年後、メキシコは米墨戦争で自国の領土の半分以上を失います。以降、米国の大資本家による進出が本格化し、20世紀に入ると「北」の隣国に向けた資源・食糧供給基地となっていきました。
重要なのは、それと同時にスペイン統治下時代の「遺産」を背負い続けたことです。とくに地方・ローカルにおいては、大土地所有制や少数者による寡頭制支配が維持されました。
言い換えますと、農業主体の第一産業に依存する貧しい地域では小規模家族農家や小規模土地所有農家が多く存在し、その一方、少数の白人層が広大な農地を所有し、かつ、その白人層の一族が各地方の政治的リーダーになっているという構造です。
これらは、ほかの旧スペイン植民地のラテンアメリカ諸国にも見られる特徴であり、その意味でメキシコはグローバル・サウスとしてのアイデンティティを有しているといえます。
しかし、20世紀の後半になるとメキシコは「北」への急接近を強いられます。
もともと1940年代から60年代にかけて、戦争による米国の一時的なプレゼンス低下の間隙を縫うかたちで、メキシコは自国のナショナリズムを強め、国内産業(正確には外資企業も含んでいますが)を育成するための保護主義をとりました。
ですが、1970年代半ば以降になると、国際金融機関や「北」の民間銀行からの融資を受けながら国内産業の開発を推進するようになり、1980年代初頭、米国の高金利政策にともなう返済金利の上昇の影響もあって、ついにデフォルト(債務不履行)に陥るのです。
この累積債務危機の発生が契機となり、メキシコは返済の一部繰り延べのために条件付き融資を飲むことになりました。その「条件(コンディショナリティ)」こそが、関税撤廃や貿易自由化といった政策の大転換でした。これにより、メキシコ政府は対外的な保護主義政策をやめ、新自由主義政策を導入していきました。
そのピークが、米国との貿易と資本移動を自由化した北米自由貿易協定(NAFTA)でした。これは経済統合を通じた先進国への接近、すなわちグローバル・ノースへの接近の象徴であったといえます。
ところが、NAFTA発効日の1994年1月1日、メキシコ南部の最貧州であるチアパス州で、マヤ系先住民を中心としたサパティスタ民族解放軍(EZLN)が NAFTA 反対を標榜して武装蜂起しました。
暴力に訴える手段は非難されるべきことですが、EZLNの主張は「NAFTA によってこの国の貧困・経済格差はさらに加速してしまう」というものであり、これは国民の 60%が貧困層であるという同国の経済的な二極化と社会分裂を再認識させたのでした。
実際、貿易自由化で安価な米国産穀物が大量にメキシコに流入し、特に南部地域の小規模家族農家の経営は次第に立ち行かなくなりました。結果、農民を中心に大量の離農者・失業者が生まれて、今日の越境移民や麻薬経済の問題へとつながっていきます。
つまり、メキシコはNAFTA発効によってグローバル・ノースの世界――米国を中軸とした北米――と経済的に連結した一方で、先住民による抵抗運動を含めた社会状況は、皮肉にも自分たちの歴史的ルーツである植民地時代の「遺産」とグローバル・サウスとしての立ち位置――可視化された絶対的貧困という「南」の属性――を浮き彫りにしたのです。
◇ピンク・タイドと現代メキシコの実相
そして現在、メキシコは新たなフェイズに突入しています。直近のメキシコ大統領選挙ではロペス・オブラドール現大統領(2018年12月就任)が地滑り的な勝利を収め、国際メディアは「初の左派政権が誕生」と取り沙汰しました。
オブラドール大統領は就任以来、過去 40 年間に渡って行われた新自由主義政策からの転換を公言し、従来の資源配分の歪みを是正するため、最低賃金の引上げ政策、年金制度や奨学金制度の拡充、社会福祉制度と医療保険制度の充実化などを進めてきました。
それらは社会的弱者にセーフティーネットを提供するための政策です。この政策転換が可能となった要因には、国民の半数以上を占める貧困層を支持基盤にして大衆動員を図ったことがあげられます。
こうした傾向は、メキシコだけではなく、ラテンアメリカ全域において2000年初頭から四半世紀の間に興隆したり、勢いを失ったり、再び勃興したりしながら交差的に起きています。いわゆるピンク・タイドと呼ばれる潮流です。
各国でその特徴に異同はあるものの、共産主義(=レッド)まではいかない左傾化(=ピンク)という枠組みの中で、この間、様々な論者が様々な議論を展開してきました。
いずれにせよ、メキシコについていえば、親ピンク・タイド派が評価するほど社会構造の変革は進んでおらず、環境保全、先住民の権利保護、ジェンダー、社会の暴力化などの面で深刻な問題を抱えています。
他方で、反ピンク・タイド派によるポピュリズム(衆愚政治)という批判、あるいはバラマキを通じて国民の不平不満を懐柔しているといった見方も、全くの見当違いというわけではありませんが、あまりに一面的であり、この国の植民地主義のもとでの抵抗・革命運動や独立後の社会運動の歴史と伝統を過小評価していると思います。実際、自律的な草の根の社会運動は今も数多く生まれており、現政権に多様な要求をしています。
私は実のところ、オブラドール政権は古典的な「左派」(あるいはピンク・タイド)の枠組みで表層的に解釈されるものではなく、むしろ「北」と「南」の間で揺れる現代メキシコを体現している政権であると考えています。そのスタンスは、貿易協定改定をめぐる一連の動きに端的に表れているでしょう。
2018年、メキシコと米国はNAFTAを改定し、米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)を新たに締結しました(2020年7月発効)。この改定の背景には、当時の米トランプ政権が対メキシコ貿易赤字の増大は看過できないと見直しを迫ったという経緯がありました。
ところが、両国の衝突は必至という予想に反して、改定交渉はスムーズに進みました。また、米国の対メキシコの財貿易赤字は2018年以降、年度によって増減はあるものの、(米トランプ政権の当初の意図に反して)むしろ増大傾向にあります。これは何を意味しているのでしょうか。
2016年の米国大統領選挙と2018年メキシコ大統領選挙の過程で両国はいがみ合い、政治的対立が続いた一方、米国・カナダ企業はすでにUSMCAを活用することでメキシコにおける資源開発、金融、通信サービス、財の生産や輸送に関する最も効率的なアクセスを得ることができるようになっているのです。
つまり、政治的には新自由主義批判と富の再分配を標榜して、国内の貧困層・地方(=「南」)に片足を置きつつ、経済的にはUSMCAを通じて富裕層やグローバル企業(=「北」)に重心を乗せてもいるのです。
新自由主義政策の是非を巡って政治的二極化や社会分裂が深まる中、それと並行してメキシコは今、グローバル・サウスとグローバル・ノースの狭間で揺れている――この現代メキシコの実相は、日本人が抱きがちな先入観から脱却することなしに見えてはきません。
さらに付け加えると、米国側から見ればUSMCA はグローバリズムというよりむしろ、カナダ・メキシコと包括的な北米同盟関係を築くための重要な国際制度として考えられてもいます。ようするに、北米域内の結びつきを強化するためのリージョナリズム(地域主義)として読み解くことも可能であり、米国によるこの二国の「囲い込み」を通じて、北米圏から中国をしめ出す狙いも透けて見えてきます。
複雑化する現代世界において、経済・政治・社会における課題を一国で解決することは不可能です。だからこそ、他国の歴史や国民意識を単純化して分かった気になるのでなく、複雑かつ多層的だという認識のもとで包括的理解に努めることが重要だと思います。
所 康弘(明治大学 商学部 教授)
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c2f0ab61053c300a6bf8a3205895211dd8acf10