先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

北方民族の技光る 編み物や織物展示 網走・北方民族博物館

2023-07-20 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年7月19日 22:06

北方民族の編み物や織物が並ぶ特別展
 【網走】北方民族の編み物や織物の文化を紹介する特別展「北方民族の編むと織る」が、道立北方民族博物館で開催されている。
 アイヌ民族やロシア極東のコリヤーク、アラスカのエスキモーの技術を約140点の展示品で紹介している。海獣柄が編み込まれたバスケット、トナカイ革製のかんじき、トナカイの角を使った織り道具などが並ぶ。
 ・・・・・・
 観覧料は大人450円、高校・大学生200円、65歳以上300円。中学生以下無料。10月22日まで。(池野上遥)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/880230/

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<ウポポイ オルシペ>69 バチラー八重子が残したもの 同胞のため祈り、詠む

2023-07-20 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年7月19日 21:46

立教小学校所蔵の「アイヌ生活資料」などが並ぶ特別展示の様子
 今回の特別展示のタイトルになっている「アウタリオピッタ」は、バチラー八重子の歌「ウタシパノ 仲良く暮さん モヨヤッカ ネイタパクノ アウタリオピッタ」から抜粋しています。この歌について、言語学者の金田一京助は「今は残り少なになりはしたれど、相互に仲よく暮して行かうではないか、我が同族の皆々」と訳しました。
 八重子は1884年に伊達の有珠で生まれました。7歳のときに聖公会の司祭ジョン・バチラーから洗礼を受け、その後、バチラーの養女となりました。1902年には聖ヒルダ神学校(現香蘭女学校)に学び、09年にはロンドンでカンタベリー大主教によって祝福を受けるなど、生涯を通じて信仰の道に励みました。
 そうした中、いわゆる同化政策などの結果により苦境に立たされているウタリ(同胞)の生活を目の当たりにした八重子は、ウタリのために祈り、彼らへの思いも歌に詠みました。
 そんな八重子の生涯について、第一章「バチラー八重子 ―ウタリへの慈しみ―」では「1 若きウタリに ―歌を詠むということ」「2 文化を伝える」「3 信仰に生き、ウタリを思う」という三つの構成で紹介しています。
・・・・・・
<文・立石信一=国立アイヌ民族博物館学芸主査>
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/880202/

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松浦武四郎を知ろう 喜茂別中で資料展示

2023-07-20 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年7月19日 20:58

松浦武四郎のマンガや副読本などもそろえた喜茂別中内の展示コーナー
 【喜茂別】喜茂別中(40人、午来睦美校長)で17日の「北海道みんなの日」(道みんの日)に合わせ、北海道の名付け親とされる幕末の探検家松浦武四郎の関連資料が展示されている。
 道みんの日は武四郎が1869年(明治2年)、明治政府に北海道の基になった「北加伊道(ほっかいどう)」の名称を提案した日で、2017年に道議会が条例で定めた。
 展示は武四郎の足跡を私的に調査している午来校長が、生徒たちに郷土史に親しんでもらおうと企画し、同校ホールに約40点をそろえた。
・・・・・
(須藤真哉)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/880165/

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アイヌ文化の継承、座り歌に着想 英博物館で展示される平取・貝沢さんの木彫 企画担当者「メッセージ性が決め手」

2023-07-20 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年7月19日 18:40(7月19日 18:55更新)

文化伝承をテーマにした木彫作品「UKOUK2」を手にする貝沢徹さん。来年秋にも英国の博物館に常設展示される
 【平取】来年秋にも英国のオックスフォード大ピットリバース博物館に常設展示される町二風谷のアイヌ工芸家貝沢徹さん(64)の木彫作品「UKOUK(ウコウク、輪唱)2」。車座になって輪唱するアイヌ伝統のウポポ(座り歌)に着想を得た作品で、制作を依頼した同博物館の展示企画者マレンカ・トムソンオドラムさん(35)は「過去から未来に文化を受け継ぐ様子を表現した作品のメッセージ性にひかれた」と常設展示を決めた理由を語る。
 作品はシントコ(酒などを入れる容器)のふたを中心に女性たちが車座になり、ふたを手でたたいてリズムをとりながら輪唱するウポポをイメージした。高齢者から幼児まで世代の異なる5人の女性の手をかたどり、直径50センチの円形のふたに組み合わせた。
 5人の手は貝沢さんの3歳の孫らをモデルに写真を見ながら制作。1人の手にデザインした入れ墨は、貝沢さんが幼い頃に近所にいたフチ(おばあさん)の手に施されていた入れ墨を思い出しながら彫った。貝沢さんは「物づくりをする木彫り職人としては、消えゆく風習を作品に入れて残したかった」と言う。
 大人3人は右手、幼い2人を左手としたのは、変化することを示し、時代とともに文化も変容しながら受け継がれていく意味を込めた。民具のマキリ(小刀)やイタ(盆)の制作が主だった木彫は、時代に合わせてクマの置物や装飾品などの土産品としても作られるようになった。貝沢さんは「先人たちも少しずつ変化させながら伝統工芸を受け継ぎ、現代につながっていると思う」と振り返る。
・・・・・
(杉崎萌)
※「ウコウク」の「ク」、「ラムラムノカ」の「ム」はそれぞれ小さい字。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/880006/

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先住民族ファーストの観光とは 先進地カナダ・ハイダ族の島訪問<デジタル発>

2023-07-20 | 先住民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年7月19日 10:00
 アイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が7月、開業3年を迎えました。アイヌ文化伝承の中心地となることに加え、先住民族の誇りが尊重される社会の実現に向けて、多くの人がアイヌ民族の存在や歴史への理解を深める観光施設としても期待されています。先住民族が観光を通して自身の文化や歴史を伝える「先住民族観光」に取り組む動きが世界的に進んでいます。カナダ西海岸の島ハイダ・グワイに暮らすハイダ族は、カナダでも他の先住民族と比べて積極的に観光事業を営んでいます。6月上旬にハイダ・グワイを訪れ、先住民族観光を体験しました。(報道センター 金子文太郎、写真も)

先住民族ハイダ族の伝統的な木造彫刻トーテムポールが立ち並ぶハイダ・グワイの風景
 2007年に先住民族の自決権などを明記した「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されて以降、先住民族自身が主導する形で観光事業を行う動きが活発化しています。北海道でも、釧路市の阿寒湖アイヌコタンや日高管内平取町の二風谷コタンでアイヌ民族による観光事業が行われています。ただ、全国や北海道単位で先住民族の観光を取りまとめる組織がなく、先住民族の文化を活用しながら先住民族自身の意見が反映されていない観光事業が散見されるのが現状です。カナダでは、こうした課題が生じていないでしょうか。
 ハイダ・グワイは、カナダ西部ブリティッシュコロンビア州(BC州)のバンクーバーから飛行機で1時間半の場所にあり、太平洋に浮かぶ150の島々からなります。島の総面積は北海道の8分の1の約1万平方キロメートルで、人口約4300人の6割がハイダ族といわれています。島はかつて「クイーン・シャーロット諸島」と呼ばれていましたが、ハイダ族の自治組織「ハイダ・ネーション評議会」の訴えが実り、2010年にハイダ語で「人々の島」を意味する「ハイダ・グワイ」を正式名称にしました。
■先住民族の文化に敬意払うための施策次々
 ハイダ・グワイ観光の大きな柱は、島南部に位置する美しい自然とハイダ族の集落跡がある「グワイ・ハアナス国立公園」と世界文化遺産の「スカン・グワイ」です。ハイダ族は1993年にカナダ連邦政府と国立公園を共同管理する協定を結び、公園内の環境保護や観光客の受け入れ人数などについて、ハイダ族3人と連邦政府側3人の合議体による話し合いで決めています。先住民族と政府が国立公園を共同管理する取り組みはハイダ・グワイで初めて実施され、その後、カナダ各地に広がりました。
 ハイダ族が管理に関わるようになってから、土地やハイダ族の文化に対して敬意を払うためのさまざまな施策が行われるようになりました。
 観光客が国立公園に入る際は、約1時間のオリエンテーションを必ず受けなければなりません。オリエンテーションでは、生息するアメリカグマへの注意と併せてハイダ族の文化が紹介され、史跡の遺物を勝手に持ち出さない、史跡1カ所に一度に入る人数は12人までとするなどの注意点が説明されます。
・・・・・・・・・
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/879214/

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米紙も注目「先住民族の権利に対する意識が低い日本」で闘うアイヌの人々

2023-07-20 | アイヌ民族関連
クーリエ7/19(水) 17:30配信

アイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」の会長、差間正樹。伝統的なサケ漁をする権利を取り戻そうと闘ってきたPhoto: Chang W. Lee/The New York Times
サケは古くからアイヌの人々の生活とともにあった。しかし日本政府によって一方的に川漁を禁じられ、伝統の存続が危ぶまれている。自らのアイデンティティを取り戻そうと闘い続けるアイヌに、米紙「ニューヨーク・タイムズ」が注目している。
ある日の午後、差間(さしま)正樹は、霧の立ちこめる十勝川の灰色の水面を見つめていた。彼の先祖である先住民族のアイヌの人々はかつて、ここで槍と網を使ったサケ漁をおこなっていた。サケは神さまからの贈り物だと、アイヌの人々は考えていた。
サケはアイヌの料理、交易、精神文化に欠かせない。だが、日本の法律では100年以上前から、川でのサケ漁が禁じられている。いまこそ彼らにとって当然と思われる権利を取り戻し、衰退したアイヌのアイデンティをひとつ取り戻すときが来ていると、72歳の差間は語る。
「かつて私たちの文化では、サケは共同体のなかで誰もが楽しめるものでした。サケはここに私たちのためにいます。この魚を獲る権利を取り戻したいのです」
国会がアイヌを日本の先住民として認める法律を可決してから4年、差間は「ラポロアイヌネイション(旧・浦幌アイヌ協会)」を率いて、サケの漁業権の再獲得を求め、北海道と政府を相手に裁判を起こしている。
深刻な消滅の危機にあるアイヌ語
長らくおこなわれた日本の同化政策によって、アイヌの人たちは土地を奪われ、狩猟と漁業をやめさせられ、農業やその他の単純労働に従事させられてきた。また、アイヌの人たちは日本語の学校に通わされたため、自分たちの言語を受け継ぐこともままならなかった。
明治時代、政府は川漁を全面的に禁止した。「太平洋へ産卵に向かうサケを守るため」というのが表向きの理由だった。だが、アイヌの歴史と漁業権に関する著書をもつ札幌学院大学人間科学科の山田伸一教授によれば、これは海からサケを獲る日本の漁師に有利になるよう、生業であった漁業からアイヌを遠ざけようとする政府の方針によるものだったという。
アイヌ文化の保存に取り組む活動家たちは、日本の法律は「先住民族の権利に関する国連宣言」に違反すると訴える。この宣言に法的拘束力はないものの、伝統的な所有権、または慣習に基づいて土地や資源を利用する権利を規定している。2007年、日本はこの宣言に賛成した。
「日本は法の支配に従うと言っていますが、先住民族の権利という点では非常に遅れています」と語るのは、北海道東部の私立博物館の館長であり、日本の国会議員を務めた唯一のアイヌ、萱野茂の息子の萱野志朗だ。「アイヌの人々には、本人がそうしたいなら、伝統的なアイヌの生活様式に戻る選択肢があるべき」だと萱野は言う。
アイヌの数は激減しており、2017年におこなわれた最後の公式調査では、総人口約520万人の北海道で「自分はアイヌだ」と答えたのはわずか1万3188人だった。ユネスコはアイヌ語を「極めて深刻」な消滅の危機にあるとしている。
2023年、日本政府はアイヌを先住民族として認めた2019年の法律に基づき、アイヌの文化活動、観光、産業を支援するために58億円の予算を計上した。この新法は、10年前の決議に基づいている。
2020年、政府は札幌の白老町に国立アイヌ民族博物館を開設した。博物館では舞踊、木彫り、弓矢、刺繍など、アイヌの伝統が称えられている。
メインの展示室にある歴史年表は、日本から来た侵略者がアイヌを「抑圧」し、アイヌの人口の一部を絶滅させる病気を持ち込み、日本の慣習を強制し、「往々にして耕作できない」農地をアイヌの人たちに与えていたことを認めている。
アイヌは「日本は民族的に均質な国だ」と主張する日本の政治家に、何世紀にもわたって無視されてきた。新法も、国立アイヌ民族博物館を含む国立民族共生象徴空間(愛称:ウポポイ)も、アイヌに力を与えるには不充分だと批判する人たちもいる。
政府はアイヌの工芸品、音楽、舞踊を重視している。だが、アイヌの権利の専門家であり、有名なアイヌの指導者の姪でもある鵜澤加那子は、「私たちは政治的権利を持てるべきだと思う」と語る。
魚の数でなく、権利の問題
教科書やカリキュラムでは、北海道の先住民の存在がほとんど認められていない。そんな教育制度のもと、不便な場所にある博物館以上のものを求めるアイヌの人たちもいる。
ウポポイの副本部長を務める村木美幸(63)は、子供のころ、家庭で「自分たちはアイヌだ」ということが話題に挙がることはなく、同級生たちは彼女や他のアイヌの子供たちを「犬」に喩えたという。
「社会全体のなかで、私たちが学ぶのは日本文化だけです」と村木は言う。「アイヌの数が少ないからと言われますが、それは私たちがアイヌの生活を自由に送れなかったせいでもあるのです」
アイヌが自分たちの生活を制限なく送るためには、川で自由にサケ漁をできるようになることが不可欠だと差間は言う。
北海道県知事は、毎年の儀式のために、限られた数のサケを川から獲ることをアイヌに許可している。そして差間によれば、もし彼のグループ「ラポロアイヌネイション」が勝訴しても、毎年許可される100~200匹以上のサケを捕獲することはない。
「魚の数だけでなく、私たちの権利の問題なのです」と差間は言う。彼は地元で漁網を製造する会社を共同経営しており、海での漁業権も持っている。
裁判は早ければ今秋にも始まる予定だ。裁判所に提出された資料によると、川漁の禁止は北海道民すべてを対象とし、アイヌは儀式用の川漁が特別に許可されるが、それ以上のものは認められないというのが日本政府の立場だ。
北海道庁アイヌ政策課の広報担当者は、係争中であることを理由にコメントを避けた。また、アイヌ政策推進会議・内閣官房アイヌ総合政策室と水産庁もコメントを出さなかった。
差別と闘い遺産を残す
北海道のアイヌコミュニティのなかでも、アイヌ文化を守るためには何が最善なのかということについては、意見が割れている。
北海道アイヌ協会事務局長の貝澤和明は、土地や森林の使用権とともに、漁業権についても政府関係者に働きかけたいと語る。一方、ウポポイでアイヌ文化に携わる人たちは、法廷闘争をするよりもアイヌの文化的なルーツを探究していると語った。
「サケ漁をめぐる訴訟はとても重要ですが、同時に、私たちは現代の日本人でもあります」と博物館勤務の牟田龍秋(34)は言う。最近はアイヌの伝統的な木製カヌーのデモンストレーションをしたという。「それなら、法律に従うべきではないでしょうか」
「ラポロアイヌネイション」の12人のメンバー(ほとんどが差間の会社で働いている)のうち何人かは、訴訟の過程で自分たちのルーツを発見した。長根弘喜(38)は子供のころ、アイヌは絶滅したと思っていたという。まさか自分がアイヌだとは思ってもみなかった。
最近のある午後、長根はラポロアイヌネイションのメンバーとともに公民館のテーブルに腰掛け、藍色の布の帯に、黄色い糸の刺繍を熱心に施していた。縄を編み、大きな網を張ってきた太くて固い指をしているのに、先生に「長根さんはアイヌの刺繍が上手だね」と言われたという。
差間が訴訟を続けてアイヌの伝統を保存するのは、アイヌの遺産を残すためだ。他の多くのアイヌの人たちと同じように、子供のころの差間は、自分が先住民族の一員であることをうすうす感じてはいたものの、はっきりとは知らなかったという。
だが40代の頃、ある男にアイヌの血が入っていることを飲み屋で馬鹿にされ、つかみあいの喧嘩になった。差間が自分の人生をアイヌのための文化・政治活動に捧げると決めたのは、そのときのことだ。
「刺繍や木彫りに誰一人として興味を持たないときでも、一人で頑張りました」と彼は頬に涙を流しながら言う。「民族差別はどこにいってもなくなりません。どこまでいっても、逃れることはできないのです」
Motoko Rich and Hikari Hida
https://news.yahoo.co.jp/articles/9b5f918aa7e6ec7f16e4a9422094deda080c7d52

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親交と交流の発展に期待 平取町 パキスタン フレンドシップ書簡の交換式【平取】

2023-07-20 | アイヌ民族関連
日高報知新聞2023.07.19

フレンドシップ書簡を交換したターラル特命全権大使(前列中左)と遠藤町長(同右)
【平取】町と駐日パキスタン・イスラム共和国大使館は11日、フレンドシップ書簡の交換式をびらとり温泉ゆからで行い、今後の親交と交流の発展に期待した。
 フレンドシップ協定は、同国の前駐日大使アハマド・イムティアズ氏が、以前より北海道の農業技術とアイヌ文化に興味を持ち、2019〜22年の大使在任中「ぜひ北海道を訪れて農業技術やアイヌ文化に触れたい」と平取町にも数回訪問。平取町の緑豊かな風土や肥沃な大地で作られる農作物に接して、「パキスタンの若者を平取町や北海道で受け入れてもらい、農業技術を学ぶことは出来ないだろうか」との考えを抱き、平取町の知人に伝えていた。
 同氏が21年11月25日に平取町を表敬訪問した際、町とパキスタンとの交流を発展させたいと提案。22年6月20日、遠藤桂一町長が同大使館を訪問した際、第一歩として、まず平取町とパキスタン大使館との友好協定を締結する旨の提案があり、町議会の賛同を得て協定の締結に至った。
 交換式には、駐日パキスタン大使館のラザー・バシール・ターラル特命全権大使、ハフィズ・アシジ・ルクマン地域福祉参事官、国立工科大学のムガル・アルマン・ジャン・岳相談役(通訳)、日本技能実習生送出機関のバディ・ワカール・アリ代表の4人、平取町の遠藤桂一町長、佐藤和三副町長、松田拓美教育長、四戸正彦副議長、井澤敏郎総務文教常任委員長、中川嘉久産業厚生常任委員長、山田基生町づくり課長、木下正人アイヌ施策推進課長ら10人、 関係機関からBPS北の大地事業協同組合の萱野久彦代表理事、伊東秀子法律事務所の伊東秀子弁護士ら4人の計18人が出席した。
 遠藤町長とターラル駐日大使がそれぞれ協定書にサインしてフレンドシップ協定を締結した。
 ターラル駐日大使は「パキスタンの送出機関・海外雇用促進機関と平取町の受入機関が連携してより良い方向へ歩み出し、協定を通じて友好関係がさらに深まり交流されることを期待する。新たな取り組みの可能性も模索したい」と述べた。遠藤町長は「パキスタンとの友好関係を深め、さまざまな分野で努力していく。パキスタンは若い人材が豊富。当町は一次産業、介護の面で人材が不足している。双方の条件に合致するような人材の受け入れができることを期待。パキスタンは世界的にも有名なインダス文明の発祥地であり、文化的交流も進むことを期待している」と話した。
 現在、パキスタン北部の「ギルギット・パルティスタン州」と平取町との姉妹都市提携についても検討されており、近く州知事との面談を予定している。
 同国政府は、自国の若い人材の日本での就業を積極的に推進しており、技能実習生の送り出し機関であるパキスタン国立工科大学(NUTECH)と北海道内の協同組合3者がすでに契約を締結している。平取町を中心とする企業が発起人となって設立した協同組合では、今年度中に技能実習生の受け入れを予定している。
https://hokkaido-nl.jp/article/30114

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川越唐人揃いパレード 開催継続へ 終了告知するも新実行委員会結成

2023-07-20 | アイヌ民族関連
東京新聞2023年7月19日 07時41分

昨年11月に行われた川越唐人揃いパレードの一場面=川越市内で
 埼玉県川越市中心街で二〇〇五年から開催され、昨年十一月限りでいったん終了すると告知されていた「川越唐人揃(ぞろ)いパレード」が、今年以降も継続開催されることになった。旧実行委員会の呼びかけに応じる形で、川越市民を中心に実行委員会を新たに結成し、パレードの継承を決定。同会会長には蓮馨(れんけい)寺(同市連雀町)住職の粂原恒久さん(73)が就いた。
 十七~十九世紀の朝鮮王朝が徳川幕府に派遣した朝鮮通信使の勇姿を再現してきた行事。昨年は蔵造り通り(川越一番街商店街)を歩行者天国として三年ぶりに開かれ、日韓の他、タイやアイヌ民族の団体など計約四百人が参加。それぞれ路上や蓮馨寺境内で舞踊も披露して観光客を楽しませてきた。
 新会長の粂原さんは「これまでも出発・帰着が私の寺。川越氷川神社の賛同も得て、再スタートを切ろうということになった」と説明。「交流セッションも設け、若い人たちの国際交流に役立てたい」と意気込みを示した。
 次回開催は十一月十二日で、会場は従来と同じ。今後、参加団体を広く募るという。問い合わせは、実行委事務局長・広報担当の上田恵司さん=電090(9132)9894=へ。(武藤康弘)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/264008

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約4割が間違えた「海豹」ってなんと読む? 字から想像できないほど可愛いあの動物…

2023-07-20 | アイヌ民族関連
モデルプラス2023.07.19 09:00
水族館の人気者! 「海豹」ってなんと読むか分かりますか?
海の豹(ひょう)と書く「海豹」。水族館で人気の動物ですが、あなたは正しく読めますか?
「海豹」って何と読む?
fumumu編集部が全国の10代~60代の男女800名を対象に「海豹」の読みかたに関する意識調査を行なったところ、「アシカ」と読むと答えた人が全体で26.1%。続いて、「オットセイ」と読むと思うと回答した人が17.3%でした。
ちなみに「アシカ」を漢字で書くと「海驢」、「オットセイ」は「膃肭臍」と書きます。かなり複雑ですね...。
正しくは「アザラシ」
なお、「海豹」の正しい読みかたは「アザラシ」。編集部の調査では全体で56.5%の人が正しい読みかたを回答していました。
「アザラシ」と呼ぶようになったのには諸説あるようですが、体の表面にある斑点が動物の豹のように見えることや、アザに見えることから「海豹(アザラシ)」と呼ばれるようになったそう。また、別名で「かいひょう」と読むこともあり、北海道ではアイヌ語で「トッカリ」とも呼ばれています。
アザラシ科は全部で19種類
アザラシは、鰭脚類(ききゃくるい)と呼ばれる水中での生活に適応し足がひれ状になった哺乳類に含まれる、海棲哺乳類(かいせいほにゅうるい)のグループ。アザラシ科、もしくはアザラシ科アザラシ亜科に分類されます。
アザラシを飼育しているサンシャイン水族館によると、ひとえにアザラシといっても120cm、50kg程度の「ワモンアザラシ」から、600cm、5,000kgにもなる「ミナミゾウアザラシ」まで、その大きさはさまざま。アザラシ科に属しているのは、全部で19種類なのだとか。
アシカやオットセイとは泳ぎかたも違う
また、アシカやオットセイに間違われがちなアザラシですが、アザラシは陸上では這うようにして動き、水中では後肢を左右に振って泳ぎます。一方、アシカやオットセイは、陸上で前肢を使って比較的スピーディーに動き、前肢を羽ばたかせるように使って泳ぎます。
ちなみに、サンシャイン水族館では、3頭のバイカルアザラシが暮らしています。気になるかたはぜひ1度足を運んでみては!
★サラッと読んでデキる女子に!「fumumu難読漢字」記事一覧はコチラ
(文/fumumu編集部・丸井 ねこ)
【調査概要】 方法:インターネットリサーチ 調査期間2023年7月11日~2022年7月12日 調査対象:全国10代~60代の男女800名
https://mdpr.jp/news/detail/3854507

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《ブラジル》24年リオのカーニバルの準備始まる=アフリカや先住民族など続々とテーマ決定

2023-07-20 | 先住民族関連
ブラジル日報7/19(水) 7:03配信

リオのカーニバル(Paulo Pinto/Fotos Publicas)
 5月13日付のベージャ紙サイトが、2024年リオのカーニバルの各エスコーラ(サンバチーム)のエンレド(テーマ)を紹介している。アフリカや自然破壊などの主題がすでに各チームによって固められ、来年のパレードに向けた準備が始まっている。
 2024年のパレードの幕開けをかざるマンゲイラのテーマは「明日の黒い声」。これは黒人有名歌手のアルシオーネを顕彰したもの。
 ベイジャ・フロールは、「ラス・ゴンギラのマセイオ、カーニバルの興奮」と題し、アラゴアス州文化を紹介。「ラス・コンギラ」は20世紀初頭にマセイオで生まれた文盲で靴磨きの少年ベネヂート・ドス・サントスのあだ名だ。彼は同地初のエスコーラの創立者となった。
 グランデ・リオは、先住民族トゥピナンバの世界創世神話から触発を受けた形で、作家アルベルト・ムッサの著書『ジャガーになる私の運命』をテーマにした。
 ウニードス・ダ・チジュッカは、ポルトガルの伝説を再現すべく「妖精の物語」をテーマにすると発表した。
 インペラトリス・レオポルジネンセは「ジプシーのエスメラルダの遺言による、月に向けられた幸運」をテーマに2度目の優勝を目指す。
 ヴィラ・イザベルは、1993年にカルナバレスコ(演出家)のオズワルド・ジャルジンが作り上げたパレード「グバラ、創造の神殿への旅」の再演を発表。チームは、より良い世界の構築のためには、子供たちの教育が重要であることを強調するという。
 そしてサルゲイロはカルナバレスコのエジソン・ペレイラが、先住民族への敬意をこめてアマゾン熱帯雨林の保護をテーマに決めた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/36b740bc005bb4d2b008309e1e49f0796ccce065

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「沖縄の声を届けた」国連でPFAS汚染など報告 琉球民族独立学会ら

2023-07-20 | ウチナー・沖縄
琉球新報7/19(水) 16:00配信

国連の先住民族の権利に関する専門家機構会議で、軍事化の影響に関する声明を読み上げる琉球民族独立総合研究学会の親川志奈子共同代表=17日、スイス・ジュネーブ
 スイス・ジュネーブで17日、国連の先住民族の権利に関する専門家機構(EMRIP)の会合が始まった。琉球民族独立総合研究学会の親川志奈子さん、宜野湾ちゅら水会の町田直美さんが米軍基地から派生する事故や事件、有機フッ素化合物(PFAS)による飲料水の汚染など、軍事化による自然環境の破壊や人々の生命を脅かしている現状について、それぞれ声明文を読み上げた。
 2人は会合の「軍事化が先住民の権利に与える影響に関する研究」という項目で声明を発表した。町田さんはPFASによる汚染について訴え、「沖縄の声を届けることができ、ほっとしている。沖縄の人が後に続いてほしい」と話した。
 親川さんは日米地位協定によって米軍関係者の事件の多くが不起訴となり、「軍用機の事故や環境汚染問題もその責任が不問にされている」と声明で指摘した。「国内でもなかなか(政府などに)届かない声を、国連の場でウチナーンチュ自身が発言することはとても大事だ」と話した。
 会期は21日まで。両団体などが主催するサイドイベントも行われる予定。
 (座波幸代)
https://news.yahoo.co.jp/articles/89c1e9c05ce55a0e06f8e87f67f78d0203cc7d8c

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【プレビュー】「糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。」静岡県立美術館で7月25日から

2023-07-20 | 先住民族関連
美術展ナビ2023.07.19
一針一針を縫い進めていくことで無限のイメージを作り出す技法”刺繍
ししゅう
”。独特の美しさと温もりで、今も多くの人に愛される刺繍の魅力を、約230点の出品作を通して紹介する展覧会「糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。」が静岡県立美術館で7月25日から9月18日まで開催されます。
糸で描く物語 刺繍と、絵と、ファッションと。
会場:静岡県立美術館
会期:2023年7月25日(火)~9月18日(月・祝)
休館日:月曜日、ただし 8月14日(月)、9月18日(月・祝)は開館
アクセス:JR東海道線「草薙」駅県大・美術館口から、徒歩約25分またはバス約6分。静岡鉄道「県立美術館前」駅南口から、徒歩15分またはバス約3分ほか
入館料:一般 1,200円、70歳以上 600円、 大学生以下 無料
詳しくは(https://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/)へ。
第 1 章 刺繍と民俗衣装
現在、中・東欧として分類される国々では、それぞれの文化を背景とした独自の文様や技法による刺繍で民族衣装を彩ってきました。
ルーマニアの中部トランシルヴァニアのカロタセグ地方に住むハンガリー系の人々が手がけたイーラーショシュと呼ばれる刺繍は、太い線で布地を埋め、力強さ、素朴さを特徴とします。
スロヴァキアの民俗衣装や装飾品は、華やかさと技巧性に富んだ刺繍が特徴です。
国だけでなく、地域によって異なるルーツや言語を持つ人々が、伝統的な刺繍のデザインを受け継いできました。
第 2 章 イヌイットの壁掛け
カナダの先住民族であるイヌイットの人々が制作した、大胆な色彩とユーモラスな造形感覚による布絵の壁掛けが紹介されます。

サラ・イヌクプク《ダッフル製壁掛け〈お魚の話をするイヌイット〉》北海道立北方民族博物館蔵
20世紀半ば、伝統的な狩猟生活から定住生活へと切り替えるイヌイットたちの経済的自立支援のために、芸術作品の制作が奨励されるようなり、こうした壁掛けが作られました。
かつては狩猟で仕留めた動物の毛皮で、家族の防寒着を手作りしていたイヌイットたち。壁掛けには狩猟生活や、神話をはじめとする独自の伝承など、イヌイット固有の文化に根差したイメージが表現されています。
第 3 章 刺繍と絵
この章では、近現代のアーティストによる、様々な糸の表現を紹介。
こちらは絵本画家・童画家、武井武雄の図案集をもとに制作された現代の刺繍家・大塚あや子の作品です。
こちらはチェコのエヴァ・ブラーズドヴァーとエヴァ・ヴォルフォヴァーの作品。
緻密な色彩構成を特徴とする樹田紅陽は、京都の刺繍業を営む家に生まれ、三世・紅陽を襲名し、文化財の復元にも積極的に取り組みます。
第 4 章 刺繍とファッション
最後は、フランスのオートクチュールの華やかな刺繍を紹介。ディオールをはじめとする高級服のメゾンの発注に応える専門の刺繍工房では、注文に応じて、図案や、ビーズやスパンコール、モールやコード、羽根などのさまざまな素材、刺し方などを提案し、具現化します。
本章では、名門メゾン・ヴェルモンが所蔵するヴィンテージ刺繍と、同工房が注文に応える過程で制作した刺繍サンプルを通して、創意工夫に満ちたオートクチュール刺繍の世界を楽しむことができるでしょう。
(読売新聞デジタルコンテンツ部美術展ナビ編集班)
https://artexhibition.jp/topics/news/20230719-AEJ1473680/

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インド発の世界で最も美しい、ハンドメイド絵本。自分の価値に気付くちいさなねこの物語『しっぽばなし』刊行【制作動画付き】

2023-07-20 | 先住民族関連
株式会社世界文化ホールディングス2023年7月19日 11時20分
世界文化社は、インドのチェンナイにある出版社タラブックスによる、伝統技術を用いた世界で最も美しいハンドメイド絵本『しっぽばなし』を4月18日(火)に発売。この度、絵本の制作工程「『しっぽばなし』手作り絵本ができるまで」の動画をYoutubeに公開しました。
一つ一つを手作りで製本するアートな絵本として、世界中から注目を集めているインド・チェンナイにある出版社タラブックスの絵本。この度、子どもたちとも一緒に楽しめる絵本『しっぽばなし』の日本語訳を刊行しました。ワルリ族にルーツをもつ芸術家、ワイエダ兄弟により、自然や生きものを繊細なタッチで表現。日本語訳には、谷川俊太郎氏を迎え珠玉のことばでお届けします。※シリアルナンバー入り
【タラブックスが作る絵本とは】
少数先住民族に古くから伝わる芸術を、一冊一冊手作りで美術品のような絵本にし、世界に届けてきました。紙を漉き、染め、一色ずつシルク印刷を施し、最後は丁寧に手作業で製本していきます。数々の絵本の賞を受賞し、世界中のファンを魅了し続けています。この世の宝のような美しい本を創り出す――タラブックスにとって、この事業そのものが、「よりよい社会を作る」社会運動です。これまでインドでは顧みられることのなかった民俗画に光を当て、代々壁に描かれ、口伝えで受け継がれた話を絵本の形にしました。少数民族や伝統工芸の職人など、インドにおける社会的に弱い立場にある人と対等な関係を築き、働く場を整えます。本づくりの工場の人々が心地よく誇りをもって働けるよう、環境づくりに心を配り、必要に応じて教育の援助をし、まるでひとつの大きな家族のような出版社を作りあげているのです。タラブックスの絵本には、美しさだけでなく、のびやかでフェアな働き方、社会の在り方を問いかける力強い精神が宿っているのです。
* 谷川俊太郎氏の珠玉のことばで届ける「ありのままの大切さ」
ちいさなねこが理想のしっぽ探しの旅へ出かける物語。さまざまな「しっぽ」に出会い、ありのままの自分の大切さに気づいていきます。「ねこはしっぽに うんざりしてる ちっともいうこと きいてくれない  ゆらゆらぴくぴく ぷるんるん」谷川俊太郎氏の珠玉の言葉と、ワルリア―トが出会い、美しい物語の世界に引き込まれる感覚をぜひお楽しみください。
* タラブックス『しっぽばなし』手作り絵本ができるまで【動画】
https://www.youtube.com/watch?v=TqwUl1Jbu-k&t=217s
インド・チェンナイにある出版社タラブックスで、日本語版『しっぽばなし』が完成するまでの工程を動画でご紹介いたします。
* 刊行概要

『しっぽぼなし』
■文:アヌーシュカ・ラビシャンカール
■絵:ツシャール・ワイエダ /マユ―ル・ワダイエ
■翻訳:谷川俊太郎
■発売日:2023年4月18日(火)
■定価:3,960円(税込)
■発行:株式会社世界文化ワンダーグループ
■発行・発売:株式会社世界文化社
※一部書店により発売日が異なります。
https://www.amazon.co.jp/dp/4418238026
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001509.000009728.html

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106歳のタトゥー・アーティスト、アポ・ワン・オドに世界が注目する理由

2023-07-20 | 先住民族関連
VOGUE2023年7月19日
106歳の伝説の彫り師、アポ・ワン・オドは、VOGUE最高齢のカバーモデル(フィリピン版VOGUEの表紙を飾った)として世界的に話題となった人物だ。フィリピン北部のルソン島で千年の歴史を持つ伝統のタトゥー「バトック」を、世界的なブームへと押し上げた火付け役でもある彼女がなし得たこととは?
BY AUDREY CARPIO
TRANSLATED AND ADAPTED BY TOMOKO NAGASAWA、YAKA MATSUMOTO
旧世代の最後の生き残りである伝説のマンババトック(フィリピン伝統のタトゥー・アーティスト)が住む秘境の村、ブスカランへのアクセスは、最近になってぐっと容易になった。とは言っても、首都マニラからの12時間にわたる、体がしびれきってしまうほどのロングドライブを耐える必要はある。しかもその道のりは、マニラ名物の渋滞をやり過ごしたかと思うと、コルディリェーラ山脈の曲がりくねった山道が待っており、危険なほどの濃霧の中で地すべりの跡に残されたがれきや逆方向からやってくるトラックをよける必要もある。だがカリンガ州の町、ティングラヤンにある分岐点(「ようこそ! ワン・オドが住むタトゥーの村ブスカランへ!」という文字が躍る看板が目印)から先の道は今やすっかり舗装され、車から降りて山中を歩く時間も1時間以上短縮された。今でも最後は棚田の間を縫う、ハードな登山が待っているが、ある程度の体力がある人なら、40分ほどで踏破できるはずだ。
文明の波に洗われてぐっと便利になったブスカランだが、それでもこの村がかつての姿から一変したわけではない。携帯電話の電波は届かず、家でWi-Fiが使える人の数もわずかだ。だが家々の屋根はかなり前に伝統的な草葺きから鋼板の屋根に替わり、木造の小屋は雑然としたコンクリートの建物に取って代わった。
村の変化をすべて見届けてきたある女性はまた、これらの変化が起きる大きなきっかけになった人物でもある。齢100歳を超えてなおはつらつとしたたたずまいを見せるその女性はアポ・ワン・オド、またの名をマリア・オッガイと言い、10代のころから手彫りのタトゥーを人々の肌に刻んできた。だが彼女の顧客が激増し、その評判が地元のコルディリェーラ地方を超えて爆発的に広がったのは、ここ15年ほどの話だ。今や世界中からこの村を訪れる人の数は数千人規模に達する──その誰もが、肌を刺す痛みをものともせず、すすから作られる墨と木のとげを用いた、伝統のタトゥーを刻むのだ。
村々に伝わる伝承とタトゥーが専門分野の文化人類学者、ラース・クルタク博士による聞き取り調査によると、ワン・オドが父親の指導のもと、彫り師の道を歩み始めたのは16歳のときだったという。同世代では初、かつ唯一の女性のマンババトックとして、ワン・オドは住民たちの求めに応じて遠方や近隣の村々を訪ね、先祖から伝わる神聖な文様を、人生の節目を迎えた、あるいは迎えようとする者の肌に彫ってきた。
男性にとって、伝統的なタトゥーを入れる行為は、首狩りの風習があったこの民族の兵士として正式に認められたことの証しだ。ビッキングと呼ばれる、胸部から肩を経て両腕を覆い尽くす文様が特徴的なタトゥーは、完成までに数日を要し、彫り師にも丸々と太った豚1頭や米数キロという、手厚い報酬が支払われる。女性の場合は男性とは異なり、多産の祈願や美容が主な目的となる。タトゥーを刻んだカリンガの年配の女性たちの口ぐせは「ビーズや金は、死んだときに死後の世界に持って行くことはできない。持って行けるのは体に刻んだ模様だけ」だ。
名誉や富、勇敢さの証しだったタトゥー
ワン・オドがこれまでタトゥーを施した相手は、兵士となる男性よりも女性のほうが多い。これは1900年代初頭に、首狩りの風習が当時の宗主国のアメリカによって禁じられたためだ。血に飢えた野蛮人というカリンガの人々のイメージが広まったのは、植民地時代にさまざまな民族をカメラに収めた写真家、ディーン・ウースターによるところが大きい。ウースターは1912年にコルディリェーラ地区に住む先住民の人々を撮影した写真を、ナショナルジオグラフィック誌で発表した。ルソン島北部のアメリカによる支配を正当化する意図から、彼はこの地域を「無人地帯」と呼び、先住民をエキゾチックではあるが恐ろしい人々として描いた。だが現実はこのような単純な図式で捉えられるものではない。首狩りの風習も、あくまで儀式的な戦闘の一要素で、スピリチュアルな意味合いをはらんだものだった。タトゥー文化を広めるアーティスト、レーン・ウィルケンが、著書『Filipino Tattoos: Ancient to Modern(原題)/フィリピンのタトゥー:古代から現代まで』(2010)で解説したように、首狩りの風習は対立する地域社会の間に均衡と秩序を取り戻すための儀式として機能していた。ゆえに戦士の証しであるタトゥーを彫る行為も、神聖な儀式の一環で、2年近くの年月をかけて、複数のステップを踏んで行うものだった。
当時は、タトゥーのない女性は不完全で、婚姻にふさわしくないと考えられていた。この地域には「ウラリム」と呼ばれる、村人によって唱えられる長編の叙事詩があるが、その中でも特に長きにわたり愛唱されている一編は、バンナという名の戦士が美しいラグンナワと恋に落ちるというストーリーだ。フィリピンが植民地化される前から伝わるこの物語では、タトゥーが刻まれた主人公二人の体が名誉、富、美、勇敢さの証しとして賛美される。
アメリカからカリンガにやってきたカトリックの宣教師によって学校が建設されると、村の少女たちは長袖の衣服で腕のタトゥーを隠すよう強制された。また、女性たちが街中に出かけると、タトゥーを恥ずかしく思う意識が生まれた。欧米流の美やステータスに関する概念がカリンガの文化に浸透していく中で、若い世代の間ではこの伝統を受け継ぐ女性は少なくなっていった。
失われた習慣が、アートとしてよみがえる
グレース・パリカスがタトゥーを彫る様子。現代の基準に合わせて衛生に配慮してはいるが、使われているのは先祖が用いてきたものと同じ基本的なツールだ。
カリンガの長老で、かつて先住民族に関する国家委員会(NCIP)のメンバーだったこともあるナティヴィダード・スギヤオは、フォトグラファーのジェイク・ヴェルゾーサが刊行した写真集『The LastTattooed Women of Kalinga(原題)/カリンガ最後のタトゥーを刻んだ女性たち』(2014)の序文に、「若い世代からは、伝統的なタトゥーは時代遅れで苦痛を伴うものとみられている」と綴っている。それでも「タトゥーを入れる慣習は完全になくなってしまったが、今でも重要な意味を持ち、決して忘れ去られるべきでない」と、スギヤオは主張していた。
確かにカリンガの間ではこの習慣は消えてしまったかもしれないが、ここで再び、外部勢力が影響力を発揮する。しかも今回は、バトック(フィリピン先住民のタトゥーの呼び名)の習慣をよみがえらせ、ハイブリッドアートの一形態へと変貌させるという変化を起こした。2007年にはラース・クルタク博士がブスカランで2週間を過ごし、自身がナビゲーターを務めるディスカバリー・チャンネルのシリーズ「タトゥー・ハンター」のフィリピン編を撮影した。ここで彼はワン・オドと出会う。ワン・オドは当時すでに90歳になっていたが、それでも毎日田んぼで働いていた。
マンババトックが自身の技を伝える相手は、血のつながっている者に限られている。そして、ワン・オドには実子はいなかった。そこで“また姪”(甥または姪の娘)にあたる10歳のグレース・パリカスが、弟子に選ばれた。とはいえ当初は、技術を教わることに消極的だったという。「タトゥーの技術を学んだ子どもは私が初めてでした。最初は大おばがタトゥーを入れる様子をじっと見ているだけでした」と、今では26歳になったグレースは振り返る。「大学進学のため、私が2015年に村を離れると、次はエリヤンがその技術を学び、観光客が押し寄せるときにはアポおばさんのサポート役を務めるようになりました」
私たちが今いるのはグレースの家だ。ここで彼女といとこにあたる23歳のエリヤン・ウィガンが、今朝ブスカランに到着した数人の訪問者の手足にタトゥーを入れている。その後、新たなタトゥーを入れた者たちは数軒先まで歩いて出かけ、ワン・オドに、彼女のトレードマークになっている3つの点からなるタトゥーを入れてもらう。最近では、ワン・オドが手がけるのはこの模様のタトゥーだけだ。3つの点を入れる作業は5分ほどで完了するが、ワン・オドの弟子たちの軽やかな手でより大きな柄を入れてもらったときよりも痛みは激しい。しかし遠路はるばるやってきて、生きる伝説となったタトゥー・アーティストと対面できるのであれば、多少の痛みの代償を払う者は多い。
変容しながら、次世代へと受け継がれるタトゥー文化
アポ・ワン・オドと“また姪”のグレース・パリカス。グレースはバトックと呼ばれる伝統のタトゥーにかける思いをワン・オドから受け継いでいる。
私たちは自宅にいるワン・オドと対面した。彼女は土の床に置かれた低いスツールに座り、客の腕に3つの点を入れるためのツールの準備をしていた。彼女はいつものように「一周回ってヒップに見えるおばあちゃんルック」に身を包んでいる。トラックパンツの上に厚手のボンバージャケットを羽織り、おでこにはペイズリー柄のバンダナを巻く、といういでたちだ。オッガイ家の外壁は、観光業者が資金を出した、ワン・オドの顔が描かれた防水シートで覆われていて、この場所が商業主義的な観光スポットであることを改めて思い知らされる。結局のところ、今ここを訪れる者は戦士でもなければ、結婚の資格を得ようとするバトバト族の乙女でもない。私たちのようなよそ者がこうした神聖な印を得られるのは、いわば身に余る栄誉なのだ。
前の顧客の施術が終わると、ヴォーグチームの順番がやってきた。最初にタトゥーを入れてもらうのは、フォトグラファーのアシスタントで、チームの中で唯一、ワン・オドとイロカノ語で意思疎通ができるセラ・ゴンザレスだ(ワン・オドはタガログ語も英語も話せない)。助手が片方の端に未使用の木のトゲがついた竹の棒(「ギシ」と呼ばれる)を用意し、その間、ワン・オドはすすと木炭を混ぜた墨に浸した草の葉を使って、セラの腕に模様を描く。左手にギシを持つと、右手に持ったより大きなサイズの棒で強く叩き、3つの点が塗りつぶされ、血と墨がにじんでくるまで、1分間に100回以上のペースで肌にギシを刺していく。ひととおり彫りの作業が終わると、ワン・オドはセラのタトゥーを施したばかりの箇所をウェットティッシュで拭いたのち、念のためもう一度墨を入れることにした。これには「アライ!(タガログ語で「痛い」の意味)」と声が出た。「遠くから来たお客さんには」と、ワン・オドはバトバトの言葉で語った。「私の目が見える限り、ブスカランのしるし、カリンガのしるしを施そう」
2022年の秋、グレースは夫の故郷であるフランスで数週間を過ごし、その間、いくつかのタトゥースタジオにゲスト・タトゥー・アーティストとして招かれた。こうしてグレースはブスカラン生まれの彫り師として初めて、バトックを西欧にもたらした人物になった。彼女が描く、くっきりとして整った黒いラインは実に美しく、サソリやムカデ、ヘビ、稲の束などのモチーフが組み合わされ、腕や脚を覆う大きなタペストリーが描かれる。グレースの施術を受けた一人で、ブルックリン出身の手彫りのタトゥー・アーティストは、インスタグラムのコメントで「自身にとってこれまでで最も意義深いタトゥー体験だった」との感想を綴っていた。歴史の闇に消えゆく寸前だったフィリピン先住民の習慣はこうして今、新たな肌に刻まれている。バトバトの人々の物語と彼らの信仰は、カリンガの地に育つ木から摘み取られたとげで描かれるタトゥーを通じて、今後も後世に伝えられていくのだろう。
タトゥーを彫る際には儀式が執り行われるのが、カリンガの伝統だった。この儀式はウラリムの詠唱から鶏をいけにえに捧げるものまで、多様な形をとっていた。最近では、タトゥーを彫る際にこうした儀式が行われることはまったくなくなってしまったが、グレースによれば、要望があれば行うことは可能だという。特に彫り上げるまで数日を要する大きな柄のタトゥーであれば儀式をする意味はあるだろう。とはいえ、この地と縁のない人々には、こうしたタトゥーは先祖代々の由来からは切り離されたもので、すべての人に提供されるデザインのメニューから選んだもの、という位置づけにすぎない。結果的に、私たちはタトゥーのモチーフが象徴するものを、コミュニティ全体ではなく、個々人の目を通して読み取り、自分なりの意味をこれらのタトゥーに見出していくことになる。
観光ブーム、そしてパンデミックの到来
私は今回の取材の1年前に、最初のカリンガ・タトゥーを入れたが、そのときはその絵柄の意味を詳しく教えられることはなかった。実際、それぞれのデザインの意味についてマンババトックに尋ねても、「あなたを導き、強さを与えるお守りだ」といった、あいまいな答えしか得られない。私はカニと旅人のコンビネーションを選んだ。その理由のひとつは、このモチーフに自分の家族との縁を感じたこと、そしてもうひとつはこれがオリジナルのカリンガの絵柄だと、どこかで読んで知っていたからだ。これと比べると、月と太陽の絵柄は、ワン・オドとグレースが編み出した新世代のデザインだ。あとになって、ハサミや釣り針と組み合わされたカニのデザインは、フィリピンの「ルマウィグ」という神と関連があるモチーフだと知った。複数の研究者から、ポリネシアの神話に登場するいたずら好きの英雄「マウイ」と非常によく似ていると指摘されている神だ。読者の中にはご存じの方もいるかもしれないが、マウイは「魔法の釣り針」を持っていると伝えられている。シンプルな線の裏にある深い歴史をあがめる気持ちとともに、私はまた新たな目で、自分のタトゥーを見つめている。
アポの親戚のエミリー・オッガイが、私の太ももにカニのタトゥーを入れてくれた。彫っている間も、痛みはほとんどなかった。彼女は冗談交じりに、自分の施術は「ティック・ティック・ティック」という優しいタッチだが、アポの彫りは「トック・トック・トック」という勢いだと言い、重いハンマーを振るしぐさをした。グレースやエリヤンと同様に、エミリーは新世代のマンババトックの一人だ。実はこうした彫り師は驚くほど多く、その大半は少女や成人女性だ。私が確認しただけでもZ世代のタトゥー・アーティストは少なくとも18人いた。彼らは見よう見まねで技を習得し、お互いにタトゥーを入れ合うことで技を磨いてきたという。大半は一大観光ブームが起きた2018年以降に彫り師となっている。
当時、アポにタトゥーを入れてもらおうとカリンガを訪れた人たちは一日中待ち続け、長い行列をなした。ピーク時には、ブスカランの村は1日平均で400人の旅行者を迎え入れていた。ワゴン車に詰め込まれた団体客が山中の村に押し寄せ、まるでジンベイザメが必ず見られるとうたうダイビングツアーのように、ワン・オドとの面会を保証するツアーまで登場した。家々は観光客でひしめき合い、見ず知らずの来訪者が肩を寄せ合って床で寝るような状態だった。仮にワン・オドがすべての来訪者に対して正式な儀式を執り行おうとしても、鶏の数が足りなくなっていただろう。「以前は、農業をして暮らしていました。カモテ(タガログ語でサツマイモの意)しか食べるものがありませんでした。そんな中でこの村を訪れる人が現れ始め、ご覧のとおり、観光業によってブスカランの村は大きく変わりました」と、アポの言葉を通訳する形で、グレースが話す。さらに彼女は、食べられるものの種類が増えたことや、地元の人たちがツアーガイドや観光客の滞在する民宿の運営など、新たな仕事を得たと話してくれた。「英語やタガログ語を覚えたのも、村を訪れる人たちがいたからです」とグレースは振り返る。
だがこの活況は突如終わりを迎える。新型コロナウイルスのパンデミックの最中、ブスカランの村では2年間にわたり、外部からの来訪者が完全にシャットアウトされた。村人たちには、農業に戻る以外の選択肢はなかった。グレースはこの時期について「いい面もありました。少し休むことができたからです」と振り返る。しかし私が初めて山道を登ってカリンガ州を訪れた2021年7月の時点で、ワン・オドが自宅で休んでいたかというと、そんなことはなかった。彼女は新型コロナの規制が比較的緩めの近隣の別の村に逃れていた──そこまでして彫り師の仕事を続けたかったのだ。
ワン・オドの姿をかたどった巨大な黄金の像の下で、私は彼女を見つけたのだ。そして、胸をはだけ、両腕を差し伸べるポーズを取るこの像の下で、私は腕に3つの点のタトゥーを入れてもらったのだった。
ジェイク・ヴェルゾーサは、ワン・オドに最初にタトゥーを彫ってもらったときのことを振り返る。それは2009年のことで、報酬はブラウンシュガーとポスポロ(タガログ語でマッチの意)で支払ったという。「ワン・オドが何時間もタトゥーを彫って疲れてくると、グレースが後を引き継いでいました」と、ジェイクは私に話してくれた。実際、彼の手首に入っているタトゥーは、端の線に震えが見られる。グレースは当時まだ13歳だったはずだが、「彼女が描くラインはとても確かだった」という。カガヤン州の州都であるトゥゲガラオで育ったジェイクは、学校の近くでタトゥーの入った年長者の姿を見ることもあり、ブスカランの噂もよく聞いていたという。2009年当時は簡単にたどり着ける場所ではなく、ワン・オドがタトゥーを彫る相手も、偶然この村にたどり着いた外国人が大半だった。その後、ジェイクは3年を費やして、カリンガの年長の女性たちからなるポートレイトシリーズを完成させた。ジェイクが撮影したワン・オドのアイコニックな白黒写真は世界各地で展示され、今ではそのさまざまなバリエーションを、ブスカランの村のあちこちで見ることができる。
ワン・オドへの非難に思う、伝統文化の“守り方”

ワン・オドの肌には成功や病気、はるか昔に世を去った恋人まで、彼女の人生の物語が刻まれている。
ワン・オドの顔はTシャツからコーヒーのパッケージに至るまで、ありとあらゆる商品に登場し、それはブスカランの村だけにとどまらない。これが彼女自身の実直さや自分が属する文化を伝えたいというまっすぐな思いからのことなのかは、私にもわからない。だが、過去に、その行動が伝統文化の搾取にあたるとして非難の的になったことは何度かあり、そのうち数回は先住民族の知的財産権を守る務めを担う、NCIPが介入する事態となった。
こうした問題を議論するウェビナーで、社会人類学者のアナリン・サルバドール=アモーレス博士は、かつてその土地に根付いた儀式だったものが、商業活動へと変貌していると指摘した。「文化は希少性のある商品となっており、他者によって暴力的に収奪されている」と博士は述べ、さらにこう続けた。「文化の持ち主は誰か? と問うのではなく、大衆社会の中で土着の文化と先住民による自己表現を敬意ある形で取り扱うためにはどうしたらいいのかを議論するべきだ」
この2月に106歳になったワン・オドは、存命のマンババトックの中では最高齢だが、決して最後の彫り師ではない。彼女が彫る3つの点はそれぞれアポ、グレース、エリヤンを表現すると同時に、そのシンプルな点にその起源を超えて受け継がれる、無限の伝統を象徴する意味合いが込められている。太平洋を挟んだアメリカでは、レーン・ウィルケンやナタリア・ロクサスといったタトゥー・アーティストが儀式的なタトゥーであるバトックの伝統を広めようと活動しており、先祖のシンボルをその身に刻むことで伝統文化とのつながりを得たいと願うフィリピン系アメリカ人の心の支えとなり、癒しをもたらしてきた。
フィリピンの他の地域でも、南部ミンダナオ島のブキドノン州でタトゥーを彫るパイパー・アバスが、パティックと呼ばれる、ビサヤ諸島やミンダナオ島の伝統的なタトゥーの復活に取り組んでいる。長い歴史を持つ先住民のタトゥーを入れるフィリピン人も増えており、植民地的な美の基準からの脱却、自分の身体の所有権の奪還、自身のルーツや自我とのつながりの回復に向けたひとつのステップと見られている。
文化は収奪ではなく、正当な表象によってこそ生き残るものだ。私の脚に刻まれたカニのタトゥー、そしてフォトグラファーのアルトゥ・ネポムチェーノの腕にワン・オドと彼女の愛弟子二人によって刻まれたばかりの3つの点は、私たち自身の血がつながった祖先から継承した文化ではないかもしれない。それでも自分の体に刻み込まれた消えないタトゥーによって、私たちはタトゥー文化を生きながらえさせてきた最後のフィリピン先住民コミュニティとのつながりを得た。フィリピン諸島の他の地域では、植民地主義の浸透とともに消え去った文化だ。これから、私たちはこのしるしとともにこの世界で生きていくことになる──タトゥーを入れるまでは必要だと気づきもしなかった「人を導き、強さを与えるお守り」の力を得ながら。
Photos: Artu Nepomuceno Text: Audrey Carpio Producer: Anz Hizon Production Assistants: Jojo Abrigo, Marga Magalong, Renee De Guzman Photographer’s Assistants: Aaron Carlos, Choi Narciso, Sela Gonzales Special thanks to the National Commission on Indigenous Peoples Translation: Tomoko Nagasawa
https://www.vogue.co.jp/article/apo-whang-od-and-the-indelible-marks-of-filipino-identity

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インドネシアの首都がジャカルタから“移転” 移転費用約4兆円の一大プロジェクト 2050年にはジャカルタのほとんどが水没の予測も…【現場から、】

2023-07-20 | 先住民族関連
TBS7/19(水) 12:25配信
シリーズ「現場から、」です。インドネシアでいま、首都を現在のジャカルタから1200キロも離れた別の場所に移す一大プロジェクトが動き出しています。移転の背景には何があるのでしょうか。
高層ビルが建ち並ぶインドネシアの首都ジャカルタ。経済発展が進む一方で、深刻な問題に直面しています。
記者
「ジャカルタでは多くの家庭が水道水ではなく地下からくみ上げた水を使っているということです」
こちらでは、地下13メートルからくみ上げた海水混じりの水で生活しているといいます。
ジャカルタ在住 エビスギアルトさん
「ほとんどみんな(地下水を)使っています。シャワーや皿洗い、洗濯などに使います」
上水道の普及率はわずか4割程度。地下水を使いすぎたことで、ジャカルタの地盤は年間10センチ以上のペースで沈下しているといいます。温暖化による海面上昇も重なり、2050年にはほとんどの地域が水没するとの予測もあります。
こうした危機への対応策として打ち出されたのが「遷都」です。
インドネシア ジョコ大統領
「首都を移転させ、人が集まる都市を作る必要があります」
首都をおよそ1200キロ離れたカリマンタン島東部に移転する巨大プロジェクトです。新しい首都の名前は「ヌサンタラ」、「群島」を意味します。目指すのは、環境に配慮した未来型のスマートシティで、現在、新庁舎の基礎工事が急ピッチで進められています。
移転の理由はほかにもあります。
記者
「首都移転の大きな理由がこちら、深刻な交通渋滞です」
ジャカルタがあるジャワ島には、国の人口の6割近くにあたる1億5000万人が集中していて、政府は世界最悪とも言われる交通渋滞や大気汚染といった問題を解決したい考えです。
市民の受け止めは様々です。
ジャカルタ市民
「ジャカルタはすごく混雑しているので、首都移転には賛成です」
「首都を移転することで経済のバランスも良くなると思います」
飲食店経営 ジャカルタ市民
「正直に言って賛成ではありません。私の店がどうなるのか分かりません」
移転費用は日本円でおよそ4兆円。岸田総理大臣は5月、ジョコ大統領に首都移転への協力を表明するなど、日本や中国などがインフラ整備を中心に投資意欲を見せています。ただ、森林地帯を切り開いての新首都開発には生態系を破壊するとの反発が根強いほか、現地で暮らす先住民族とのあつれきもあります。
移転の完了は2045年。多くの課題を乗り越え、無事「遷都」は成功するのでしょうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/96da3f39fc256f355d74adc2e3f0c68c4e15b89e

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