時事通信2023.07.10
鈴木 絢女 【Profile】
2018年に独立以来初の政権交代を果たしたマレーシア。しかし、マハティール、アンワール両氏による新政権は2年足らずでその枠組みが瓦解した。22年11月には、長年にわたり政治経済改革を訴え続けたアンワール氏が首相の座についたが、政治制度改革はなかなか進みそうにない。
2018年5月のマレーシア下院議会選挙で、マハティール・モハマド率いる野党連合希望連盟(Pakatan Harapan: PH)が、222議席のうち過半数となる121議席を獲得した。与党連合国民戦線(Barisan Nasional: BN)は敗北を認め、独立以来の長期政権が幕を閉じた。
2010年代の東南アジアでは、タイ国軍によるクーデター、ジョコ・ウィドド大統領やロドリゴ・ドゥテルテ大統領による政治的・市民的自由の制限が顕著になり、「権威主義化」や「民主主義の後退」が政治分析のキーワードとなった。PHの勝利は「暗闇のただ中にある地域の希望」となるはずだった 。
しかし、20年2月、PH政権は発足から2年足らずで瓦解する。与党連合から離反したマレー人議員がBNやイスラーム党(Parti Islam Se-Malaysia: PAS)などの在野勢力と共にプタリン・ジャヤのシェラトンホテルに集まり、下院の過半数の掌握を主張し(「シェラトンの変」)、翌月には政変の首謀者の一人であるムヒディン・ヤシンが首相に就任した。ムヒディン率いるマレーシア統一プリブミ党(Parti Peribumi Bersatu: Bersatu)とPASは国民連盟(Perikatan Nasional: PN)を結成し、BNと連立を組んだ。人々はこの間、パンデミックに直面しながら民意を反映しない与党連合に統治されることになった。
22年11月の総選挙では与党連合が再び分裂し、PN、BN、PHの3つ巴の戦いとなり、アンワール・イブラヒム率いるPHが81議席を獲得して第一党になった。BN政権期に副首相の座にありながら、アジア通貨危機をめぐるマハティールとの対立によって失脚したアンワールが、24年という時を経て首相に就任したことは、国内外で大きな注目を集めた。しかし、PHの獲得議席は下院の過半数には届かず、BN(30議席)とサラワク政党連合(Gabungan Parti Sarawak: GPS、23議席)などとともに奇妙な連合を形成した 。
マレーシアの主な政治勢力・政党(2023年7月現在)
与党 PH(希望連盟) 民主行動党(DAP)、人民公正党(PKR)=アンワール首相が総裁、国民信託党(AMANAH)など
BN(国民戦線) 統一マレー国民組織(UMNO)、マレーシア華人協会(MCA)、マレーシアインド人会議(MIC)など
GPS(サラワク政党連合) 統一ブミプトラ伝統党(PBB)、サラワク人民党(PRS)、サラワク人民統一党(SUPP)など
野党 PN(国民連盟) イスラーム党(PAS)、マレーシア統一プリブミ党(Bersatu)など


BN長期政権はなぜ倒れたのか。PH政権はなぜ瓦解したのか。マハティール、アンワールによるPH政権はマレーシアの政治経済を改革したのか、それとも、BNの遺制はまだ生きているのか。
権威主義の強靭性という特集のテーマに寄せて、18年以降の政治動向をマレーシア政治史の中に位置付けながら考えてみたい。
BNの権威主義体制
2018年総選挙は、マレーシア政治史で特筆されるべき出来事になった。1957 年の独立以来の連盟党(Alliance Party)とその後継政党連合BNによる61年間にわたる統治に終止符を打ったからである。
BNは野党も参加する定期的な選挙によって権力を得たが、選挙区は頻繁に操作され、BN支持の強いマレー人やその他のブミプトラ(先住民族)の票に重みがつけられた。また、扇動法や結社法、国内治安法など、英植民地期から独立期にかけてつくられた法律が個人の政治的・市民的自由を制限し、政権の反対者を沈黙させるために執行された。
彼らが裁判所に救済を求めるようになると、BNは司法人事に介入し、裁判所の独立性・中立性を削いだ。BNによるインフラ開発事業や民営化をめぐっては決定プロセスの不透明性が指摘され、閣僚らによる汚職疑惑がついて回ったが、法律の適用や司法への介入によって、BNは批判を退けることができた。開発事業をはじめとする利権の配分は、BN政治家の忠誠心を高め、各選挙区での票固めに有利に働いた。このような制度・慣行は独立期から着実に蓄積されていき、マハティール・モハマド政権期(1981-2003年)におおむね完成した。
2018年選挙
長期政権の最後の首相となったナジブ・ラザク(2009-18年)は、こうした仕組みを総動員した。自らが設立し経営諮問委員会の長となった国営投資会社1マレーシア開発公社(1MDB)をめぐるスキャンダルが暴露されたためである。
成長産業への投資をうたう1MDBには多額の国家財政が注ぎ込まれたが、やがて子会社の債務、取り巻きビジネスマンによる不正資金流用、さらには関連会社からナジブ個人の口座への26億リンギの送金などさまざまな疑惑が野党やメディアによって暴露された。史上最悪ともいえる汚職スキャンダルは、補助金削減や物品・サービス税(GST)の導入を一因として生活費の高騰に苦しむ有権者の嫌悪を引き起こした。
BN内の最大与党統一マレー国民組織(United Malays National Organization: UMNO)からも、首相への疑義が噴出した。ナジブは扇動法や2012年に成立した治安違反(特別措置)法(Security Offences [Special Measures] Act: SOSMA)によって批判者を次々と逮捕した。また、ムヒディン副首相(当時)やマハティールらUMNO内の反対派には、更迭・党籍剥奪によって応酬した。
UMNOを離れたマハティールらは、Bersatuを形成し、積年の対立を乗り越えてアンワール率いるPHに合流した。PHは、GSTの撤廃などによる生活費上昇への対応、最低賃金の引き上げ、1MDBスキャンダルの追及、政治制度改革、投票年齢の18歳への引き下げなどを公約として掲げ、「新しいマレーシア」「法の支配」「国家のプライドの回復」をスローガンに選挙戦を戦った。ナジブは、選挙区変更や反フェイクニュース法の立法などによって権力維持を図ったが、PHは、従来の支持基盤である都市部の華人やインド人票をさらに増やし、またBNを支持していたマレー人の一部からも支持を取り付けることに成功した。下院の過半数を失ったBNからは、構成政党が次々と離反し、UMNOからも離脱者が出た。
改革の行方
マハティール率いるPH政府が最初に着手したのは、ナジブとその妻の訴追だった。選挙の1週間後にはナジブ私邸の家宅捜索、翌月以降にはナジブや1MDB関係者の起訴が続いた。ナジブの腹心で総選挙後にUMNO総裁になったザヒド・ハミディも慈善団体に関連した資金洗浄や背信で起訴された。これ以外にも、政府は検事総長、汚職対策局、選挙管理委員会人事の刷新、投票年齢の引き下げ、最低賃金の引き上げを敢行した。
しかし、政治制度改革は、リベラルな有権者が期待するほどの成果を上げなかった。扇動法や警察法、結社法などの法律は温存され、平和的集会法など改正された法律も微修正にとどまった。これに加えて、小学校でのジャウィ文字(マレー語のアラビア文字表記)教育の導入をめぐり、非マレー人団体からの抗議も相次ぎ、PHの強固な支持層であるリベラルな非マレー人有権者を落胆させた。
他方で、2018年選挙の公約だった国連人種差別撤廃条約の批准は、マレー人与野党からの激しい反発を引き起こした。マレー人およびその他のブミプトラの「特別の地位」への挑戦とみなされたからである。「特別の地位」は憲法で規定され、就学・就業機会、政府入札、ビジネス・ライセンスの交付等における優遇政策の根拠となってきた。この憲法規定への異議申し立ては禁止されており、規定の修正には上下両院の2/3の過半数に加えて、スルタンからなる統治者会議の承認が必要となる。憲法によって強固に守られたこの権利は、マレー人保守層による「マレー人の優位(Ketuanan Melayu )」の主張の根拠ともなってきた。
マハティールが検事総長や財務大臣など、長年にわたりマレー人が担ってきたポストに非マレー人を任命したこともあり、UMNOを中心とした在野マレー人勢力はPHに反マレー連合のレッテルを貼り、集会やSNSを通じてマレー人の反PH感情を煽った。こうした戦略が功を奏し、マレー人有権者のPHへの支持は時間と共に低下していった。
その結果、政権発足後に行われた補欠選挙のほとんどで、PHは負けた。やがて、首相ポストをめぐるマハティールとアンワールの対立、最大与党でアンワールを党首とする人民公正党(Parti Keadilan Rakyat: PKR)内のリーダーシップ争いもあいまって、PH内の不協和音は増幅し、「シェラトンの変」という顛末(てんまつ)を見る。
もっとも、PN-BN連合は極めて不安定だった。というのも、汚職容疑により実刑判決を受けたナジブの恩赦や自身の裁判の取り下げを目論むザヒドら一部のUMNO議員は、下野したアンワールとの共闘による政府転覆というカードをちらつかせ、ムヒディンに圧力をかけ続けたからである。結局ムヒディンはこの圧力に屈し、2021年8月にUMNOのイスマイル・サブリ・ヤアコブが首相ポストを継いだが、彼もまたザヒドらからの強い圧力によって、予定よりも早い解散総選挙を強いられた。
こうして行われた2022年11月の総選挙に勝利したアンワールは、持続可能性、繁栄、イノベーション、敬意、信頼、思いやりの6つの価値を核とする「マレーシア・マダニ(文明的なマレーシア)」を政権のスローガンに掲げた。23年2月には、奢侈品やキャピタルゲインへの課税、中所得者の所得税率の引き下げや中下層所得者向けの手当の充実を盛り込んだ予算修正案が、また、4月には殺人、テロなど11の罪について、強制死刑制度を廃止する法案が成立した。
アンワール氏への期待と落胆
長きにわたり、同性愛や汚職容疑で繰り返し有罪判決を受けたアンワールには、政治の自由化への大きな期待がかかった。しかし、現在までのところ、政権は政治制度改革に慎重な姿勢を示している。閣僚らは、扇動法やナジブ時代の立法であるSOSMAの修正を拒否し、オンラインメディアへの監視を継続し、民族、宗教、スルタンに関する挑発や中傷を避けるためにコミュニケーション・マルチメディア法を修正する意向を示している。
他方で、前政権と同様、過去の政権による不正の追及には余念がない。PN政権期にパンデミック対策として導入された建設業者支援のための資金の一部がBersatuに還流していた疑いで、23年3月にムヒディンが逮捕・起訴された。ムヒディンの支持者が、逮捕には十分な根拠がなく、政治的動機によるものであるとして反対デモを起こすと、アンワールは平和的集会法にもとづいてこれを捜査した。ここでも明らかになった政治制度改革の停滞は、人権団体や弁護士からの落胆と批判を引き起こしている。
アンワールの国内政治における優先順位は、「シェラトンの変」再来を防ぐことにあるように見える。74議席を握る野党連合PNは、政権転覆の脅しをかけ続けている。他方で、ナジブの恩赦や汚職裁判取り下げを求めるザヒドらUMNO議員は、裁判の行方次第でアンワールへの支持を撤回するオプションを常に持っている。このような政局のなかでの政治制度の改革は、政敵の牙を抜く手段を自ら手放すことを意味する。また、自由主義制度の拡充は、もともと政治の自由化に関心のないUMNOの機嫌を損ねることになるかもしれないし、それがブミプトラの特別の地位に関わるものとなればなおさらのことであろう。こうした事情から、アンワール政権においても、権威主義体制が抜本的に改革される見通しは必ずしも明るくない。
なぜ改革は挫折するのか
政治制度改革の分野では、2つのPH政権による自由化へのためらいを見て取ることができる。運転手がBNからPHに変わっただけで、車は同じ、向かっている先も同じなのかもしれない。
政権を握る者にとっては、激しい競争の中で、自らの権力を守るために権威主義的手法に訴える誘因は常にある。権力者の自制の難しさという自由民主主義をめぐる普遍的な問題に加えて、マレーシア固有の問題もある。それが、ブミプトラの特別の地位である。
21世紀のマレーシア政治を振り返ると、改革の試み(あるいは宣言)は頻繁にあった。2003年にマハティールの後継者となったアブドゥラ・バダウィは、政治の自由化をうたった。前任者の権威主義的な統治を嫌った若者や都市部有権者の支持を回復するためだ。しかし、これに呼応してブミプトラ優遇政策の是非が議論されるようになると、UMNO は急進化し、首相はその圧力に屈し、優遇政策の継続を明言せざるを得なかった。さらに、選挙の透明性やインド人の権利を求める社会運動が起きると、アブドゥラは警察を使ってこれを抑え込んだ。こうした抑圧を背景に下院議席を減らしたアブドゥラに代わって首相になったナジブもまた、当初は改革を掲げ、政治の自由化や、優遇政策の根拠を民族から所得水準へと変えることを宣言した。しかし、いずれも、UMNOやその他マレー人団体からの激しい反発に遭い、骨抜きになった。
こうした過程を経て、非マレー人票の大部分はPHの票田として固定化された。しかし、人口の7割近くを占め、また票に重みのある農村部に多いマレー人やその他ブミプトラ有権者の支持を得なければ、選挙には勝てない。しかも、今回の選挙でPASが最大政党になったことにも明らかなように、汚職のイメージの強いUMNOは忌避するものの、PHの改革アジェンダにも賛同しないマレー人有権者が多く存在する。このようなマレー・イスラーム保守層の存在は、PHによる自由化へのためらいの一つの要因となっている。
改革の弁証法
それでは、誰が政権を取っても、BNが作り上げた権威主義体制は強靭性を保ち続けるのか。ここでは、2018年以降のいくつかのポジティブな変化を指摘しながら、漸進的に改革が進んでいく可能性を示してみたい。
まず、反汚職の世論が常態化したことである。 18年選挙、22年選挙でUMNOが議席を劇的に減らした理由の一つは、それぞれナジブとザヒドという汚職容疑のあるリーダーに対する有権者の拒否感だった。これ以降、マハティール、ムヒディン、イスマイル・サブリの各政権は閣僚の資産開示を要求し、アンワールはさらなる透明化を指示している。政治家にとって、汚職に関わるリスクは以前よりもずっと高くなっている。
また、イスマイル・サブリ政権期には、党籍変更禁止法(Anti-hopping Law)や投票年齢引き下げの早期実施などの改革が実現した。この背景には「シェラトンの変」以降の不安定な政権運営を引き継いだイスマイル・サブリ政権が議会や司法改革を約束する代わりに、野党側が予算案など重要な審議において反対票を投じないことを約束した「変革と政治的安定に関する覚書」がある。権威主義体制の担い手だったBNが、自らの延命のために野党PHの改革アジェンダを受け入れるという方法でもって、制度改革が実現したことは特筆に値する。
いずれの事例も、汚職や選挙を経ない政権奪取など、民主主義を揺るがす事件が起きた後に、その反動として、党派を超えて改革が支持される可能性を示している。もっとも、改革が起こるためには、政権交代が現実的となる程度の政治的競争があることが前提ではある。政権交代の可能性はまた、司法機関が特定の勢力におもねらず、独自の判断をすることによる改革の道も開くかもしれない。
2023年総選挙でPASが最大議席を獲得したこと、その支持者に若者も多く含まれたこと、そしてアンワールが権威主義的な制度を利用していることは、リベラルな有権者を落胆させた。しかし、改革の可能性は小さくないかもしれない。
バナー写真:プトラジャヤのモスクで礼拝を終えた、マレーシアのアンワール・イブラヒム新首相=2022年11月24日(AFP=時事)
https://www.nippon.com/ja/in-depth/a08602/